「生かされている」思いを新たなエネルギーへ 胃がんを克服し、今は前立腺がんと同居するDJの巨匠・小林克也さん
1941年、広島県福山市出身。29歳でラジオDJデビュー。「スネークマンショー」など伝説的な番組を手がけてきた。ラジオDJ歴40年を越えた現在も、9時間の生放送の番組を担当中。衰えを知らないDJ界の巨匠。
日本で最も存在感のある声は小林克也さんの声だろう。70年にラジオ番組のディスクジョッキーとしてデビューして以来、40年以上、DJの第一人者としてフル回転してきた。しかし、06年に1度だけ生放送の番組を休んだことがある。胃にがんが見つかったのだ。
たまたま受けた検査で
胃がんはこれといった初期症状が出ないことが多いため、人間ドックやたまたま受けた検査で見つかることが多い。ディスクジョッキー(DJ)の代名詞的存在である小林克也さんも、たまたま受けた人間ドックが発見のきっかけになった。
「2006年の3月末に家内がぎっくり腰になりまして、お医者さんから筋肉性の疲労が原因だから、人間ドックを受けるよう勧められたんです。僕もかれこれ2年ぐらい受けていなかったので一緒に受けたところ、僕だけバリウムの検査で引っかかったんです」
医師は胃のレントゲン写真を小林さんに見せて、初期の胃がんである可能性が高いことを伝え、なるべく早く大学病院で詳しい検査を受けるよう勧めた。それに従って小林さんは、大学病院で検査を受けたところ、胃がんであることが確定したのだった。
がんは500円玉位の大きさのもので、小林さんは4月に入院して開腹手術で胃の半分と周辺のリンパ節を切除することになった。
心配の種は仕事
「『がん』だと言われたときは、症状も全くなかったので驚きはしましたけれど、それほどショックは受けませんでした。ただ番組を何本も抱えていたので、それをどうしようかと思いました」
事務所を通じて各番組に事情を話し、善後策を相談した結果、録音で流している番組に関しては、急遽収録を行って、入院前に自分がいない間に放送する分を録り溜めしておくことになった。「ベストヒットUSA」には最新のヒットチャートをカウントダウンするコーナーがあるが、これも順位とアーティスト名、曲名をすべて録音しておけば、その週の順位に合わせて組み合わせることができる。そこで小林さんは、チャート入りが見込まれる曲を予測して録音、放送に支障が生じないようにした。
また、開腹手術を受けると、2~3カ月はお腹に力を入れて大きな声を出すことができなくなるので、叫ぶようにして言うコーナータイトルや決めゼリフの部分も、パーツ録りをして、復帰後に備えた。
問題は生放送で行っている番組だった。生放送は2つあり、土曜日に行っているほうは4時間なので、すぐにピンチヒッターの手配がついたが、金曜日に行っているほうは9時間の長丁場だったため、1人にピンチヒッターをお願いするのは難しい。そこで、小林さんと親交のあるミュージシャン仲間数人に声をかけ、ラッツ&スターの鈴木雅之さん、サザンオールスターズの関口和之さん、チャゲ&飛鳥のチャゲさん(柴田秀之氏)らが、分担して代役を務めることになった。
胃の半分を切除
こうして不在の間の体制を整えたあと、小林さんは大学病院に入院し、翌日手術を受けた。手術では胃の半分と周辺のリンパ節に加え、脾臓と胆のうも合わせて切除された。
術中にリンパ節の病理検査が行われたが、幸い、転移はしていなかった。
「予定より伸びて、手術は9時間もかかったんです。ただこれは、切除したリンパ節を病理検査に回して、がん細胞がないかを入念に調べたためだと聞いています」
術後の痛みはどうだったのだろう?
「ジワーッという感じの鈍い痛みはあったけれど、傷口が激しく痛むようなことはなかったです。手術の翌日には歩行を開始し、病院の長い廊下を2週しました。初めはちょっと歩けばよかったみたいだけど、看護師さんにおだてられて、つい張り切ってしまったんです(笑)」
主治医との相性もよかったようだ。
「主治医の先生は、昔、僕のレコードを買ったこともある音楽好きの人でした。手術のときは自分がDJになった気分で、あらかじめ2~3曲選曲して、手術室で流していたそうです。僕は全身麻酔で眠っていたので知る由もありませんが、1曲目はバグルスの『ラジオスターの悲劇』だったようで、けっこう盛り上がったと言っていました(笑)」
術後は体重が9㎏減ったものの、経過は順調で、合併症や後遺症の兆候はまったく見られなかった。そのため小林さんは術後10日ほどで退院の運びとなった。
開腹手術の場合、酸素吸入の管などが喉を通るため、歌手や俳優の中にはしばらく声がかすれた状態が続き、すぐに仕事に復帰できない人もいる。しかし小林さんは、それに悩まされることもなかったので、退院後は家で数日静養しただけで、DJの仕事に復帰できた。
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