信頼できる医師に巡りあえたからこそ、今の自分がいます 膀胱がんと心筋梗塞の2つの大病を経験した児童読み物作家・山中 恒さん

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2013年3月
更新:2018年3月

  

山中恒 やまなか ひさし
1931年、北海道小樽市出身。大学在学中より同人誌に作品を発表、『赤毛のポチ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。児童読み物作家として創作活動を続ける一方、戦時史の研究にも取り組む。戦時下の生活を記録した『ボクラ少国民』『暮らしの中の太平洋戦争』など著作も多数

がんで初めて“死”というものを意識し、その後心筋梗塞を経験、まさしく生死の境をさまよった児童読み物作家の山中恒さん。「医師を信頼できれば、患者も楽になる。だからこそ、そういう医師に巡りあうことは本当に大切」と話す。

きっかけは血尿だった


書斎で。愛猫のマメちゃんと一緒に

山中恒さんは1960年に『赤毛のポチ』で本格的にデビュー後、少年少女向けの読み物を数多く世に送り出してきた児童読み物作家である。活動の幅は、それだけにとどまらず、戦時期の生活や教育を題材にした『ボクラ少国民』シリーズ等のノンフィクション作品や反戦をテーマにした著作も多数手がけてきた。

その山中さんが小水の色が赤いのに気付いたのは1986年秋、55歳のときだった。血尿である。

すぐに頭をよぎったのは「過労」という言葉だった。

「戦時中の出版物を読んでいると、夜も寝ないで行軍していると血尿が出たというシーンがいっぱい出てくるので、過労だと思ったんです。そのころは連載として、週1のものが1本と月1のものが2本の合計3本を抱えていて、それにラジオのレギュラーなどもあってかなり忙しかったですから」

近所のかかりつけ医に診てもらったが、その医師も過労だろうという見解だったので、このときはそれで終わった。

それからしばらく血尿が出ることはなかった。しかし1年が過ぎた1987年の秋、今度は排尿の際、ロゼ・ワインのような色の粘り気のあるものが出た。

「小便のキレが悪くなってゼリー状のものがポトッと落ちたんです。粘り気があるのですぐに流れずに便器に山になって溜まったので、怖くなって市民病院に行くことにしたんです」

市民病院では、尿検査、血液検査が行われ、その次の回にはレントゲン、3度目以降はエコー(超音波検査)やCTも行われた。しかし医師から、検査結果に対する見解や疑われる病名を伝えられることはなかった。

「そんな状態が2、3カ月続いたんです。検査ばかりやって、何も結果を教えてくれないので、かみさん(典子夫人)に病状はどうなのか、病院に聞きに行ってもらったんです。そしたら医師から『だんなさんは、膀胱がんです』と言われたらしく……。話を聞くと、最初の尿検査ですでにがん細胞が出ていたというんです。それを聞いて、かみさんが怒っちゃってね。なんで早く知らせてくれないんだって」

医師から膀胱がんであることを告げられた典子夫人は、そのあとすぐに病院の公衆電話から山中さんに病名を伝えた。ただ、山中さんにとっては、病名を聞かされてから奥さんが帰宅するまでのわずかな時間が、途方もなく長いものに感じられた。

「膀胱がんだって聞かされたときは、まさかっていう感じでした。がん=死病というイメージがありましたから。もっと聞こうと思ったんですが、かみさんは市民病院の医師に腹を立てていたので、ガチャッと電話を切っちゃったんです。まだ携帯電話がない時代だから連絡の取りようがなくて……。大変なことになったと思いながら、動物園の白熊みたいに、部屋の中をウロウロ歩きまわっていました」

検査を急遽キャンセル

奥さんが帰宅すると、さっそく山中さんは詳しい話を聞き、その上で翌日受ける予定だった内視鏡検査を急遽キャンセルした。そして奥さんと相談した上で、国立がん研究センター(当時)で診察を受けることを決めた。その理由は、もちろん市民病院への不信感もあったが、他にも理由があったからだ。

「義理の父が咽頭がんになったんですが、そのとき義母は、付き合いのあった大学病院の医師から、がんになったら症例数が多く、検査器機も揃っているがん専門病院で受けるのが1番と聞かされ、父もそこで治療を受けて結果的に良かったんです。そういうことがあったので、もしがんになったら、がんセンターで治療を受けようと夫婦間で話し合っていました」

国立がん研究センターを訪ねると、若い医師はひと通り事情を聞き、市民病院で尿検査、血液検査、レントゲンからエコー、CTまで行っていることを聞くと「それだけ検査をやっているんだったら、もったいない」と言って、市民病院宛てに検査資料を提供してもらえるよう書類を書いてくれた。そのおかげで検査を2度受ける必要がなくなり、その日は採尿と採血だけして、次回に内視鏡を使った検査を受けることになった。

山中さんは医師から膀胱がんには、悪性度が比較的低いキノコ状のものや、膀胱表面にとどまっておらず、その下の筋層にまで根を張る悪性度の高いタイプなどがあることを知らされていた。後者は命に関わるケースが多いという話だったので、前者であることを祈りながら内視鏡検査の日を迎えた。

対処のしやすいタイプ

結果はいいほうに出た。対処のしやすい、キノコ状のタイプだったのだ。

がんはマッシュルーム状で大きさは小指の先ほど。尿道口に非常に近いところにあった。

放っておけば話は別だが、キノコ状のタイプは、すぐに対処すれば命に関わることはないと聞かされていたので、山中さんはホッと胸をなでおろした。しかし、いい話ばかりではなかった。がんのある場所が望ましくないところだったのだ。

「尿道の入口は血管が集中しているところなので、医師は、『場所によってはちょっと切れない場合もある。その場合は、膀胱をすべて取ることになるので、人工膀胱をつけることになる』という話でした」

しかし山中さんも奥さんも、それならそれでいいという気持ちだった。

「ぼくもかみさんも、医師にすべてお任せしますという気持ちでした。かみさんなんかは先生に『膀胱なんかとっちゃっても構いませんから、がんを切ってください』と言ったほどです。そしたら主治医は肩透かしを食ったようで『奥さん冷たいですね』って苦笑していました」

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