前立腺がんになりながらも、趣味に仕事に多忙な出版業界のシンボル
がんと一緒に生きていく身内と思うことにしました
石田 亘 いしだ わたる
1932年東京生まれ。1955年早稲田大学第一文学部文学科(国文学専修)卒業後、学士入学で同・文学部史学科(国史専修)に入学。1959年に卒業後、株式会社校倉書房を設立し代表取締役社長に就任、現在に至る。著書に『つむじまがりの山登り』(校倉書房・2008年)
創業50年を超える歴史専門の老舗出版社を率いる石田 亘さん。
71歳のとき前立腺がんとなり、前立腺全摘術後の8年目には骨転移が発覚。
つらい闘いを繰り広げながらも、淡々とした表情で語る石田さんは、がんとどのように向き合っているのだろうか。
出版社を立ち上げ趣味も満喫する日々
石田さんが早稲田大学第一文学部文学科を卒業したのは、1955年。高度経済成長の到来を目前に控え、戦後の就職難が続いていた。同期の友人に「出版社を起こさないか」と誘われたのは、史学科に入り直して日本史を学んでいたときのことだ。1959年、史学科卒業と同時に、歴史書専門の出版社、校倉書房を設立。石田さんは社長に就任し、編集担当の友人と二人三脚で事業に取り組んだ。
当時は、人文科学書が出版の花形といわれた時代。コピー機の普及前で、本を買わなくては勉強にならないとあって、学術書を買う学生の数は、今とは比較にならないほど多かった。さらに、歴史科学協議会の機関紙『歴史評論』の刊行を引き受けたことで、校倉書房は歴史専門出版社としての地位を確立。同社の『歴史科学叢書』シリーズは、若手歴史学者の登竜門として知られるようになった。
とはいえ、石田さんは仕事だけに邁進していたわけではない。業界の集まりである「歴史書懇話会」では代表を務めたこともあり、落語会やジャズ・ライブなどを開催してきた。そのかたわら、山岳会の仲間と、冬山の岩壁を次々に制覇。1950代でバンジョーの演奏も始め、2011年4月にはジャズの本場ニューオーリンズのジャズ・フェスティバルにも参加もした。多彩な趣味人には、多くの人が集うのだった。
71歳のとき人間ドックで前立腺がんが発覚
仕事も遊びも満喫する、充実した毎日。山男だけに生傷は絶えなかったが、幸いにして病気とは縁がなかった。そんな石田さんが病に侵されたのは、古希を迎えて間もないころである。2004年6月、NTT東日本病院での人間ドックで、PSA(前立腺特異抗原)値が5.5ng/mlを記録。正常値とされる4.0以下をわずかに超えていた。念のため生検を受けると、前立腺の6カ所から陽性反応があった。
「手術で前立腺を摘出すれば、おそらく完治するでしょう」
主治医の言葉に、石田さんは困惑した。70歳を過ぎたら、前立腺がんはなるべく切らないほうがいい――そう、世間でいわれていることは知っていた。前立腺がんは一般に進行が遅く、ホルモン療法をしながら寿命を全うする人も多いためだ。だが、「全部取ってしまえば、すべてが終わりになる」という主治医の言葉に、石田さんは手術を決意。手術の日取りは9月と決まった。
「正直、ジタバタしましたね。何しろ、病気で入院したことなんか1回もないんですから。腹を切るなんて怖い、なんとかならないか、と思いました」
ところが不思議なことに、手術前日、全身を覆っていた不安が、ウソのように消えた。
「手術っていったって、どうせ全身麻酔だから何もわからないんだろう、と。開き直っちゃったんですよ。逆に覚悟ができちゃったっていうのかね」
リンパ節転移が見つかり術後のホルモン治療へ
9月、前立腺の全摘手術が行われた。骨盤が小さいため手術時間は予定をオーバーし、術後は背中の痛みに悩まされた。
「僕はあんまり肉がないから、背中が痛くて寝てられないんです。1日中寝ていることに、ひと晩で懲りちゃった。だから、日が沈むころになると憂鬱になるんです。まるで、ビリー・ホリディの『セントルイス・ブルース』みたいな心境でした」
不運なことに、術後の病理検査で、前立腺の外皮とリンパ節からがん細胞が発見された。転移をともなう、進行がんであることが判明したのだ。
だが、その事実を告げられても、あまりピンとはこなかった。
あまりにも気分が悪くて、頭が朦朧としていたのだ。
10月、カソデックス*によるホルモン療法がスタート。副作用で、“持病”の便秘が悪化し、胸やけがして、のどがいがらっぽくなった。途中で薬をエストラサイト*に変えると、副作用はさらにひどくなった。
とはいうものの、噂に聞く抗がん薬の副作用の苦しみにはほど遠い。「どうってことないや」というのが実感だった。
「薬の副作用が若干ある以外は、痛くもかゆくもないのです。『がんを飼っている』という具合で、最初の5年間は、あまり不安を感じることもありませんでしたね」
*カソデックス=一般名ビカルタミド *エストラサイト=一般名エストラムスチン
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