渡辺亨チームが医療サポートする:悪性リンパ腫編
サポート医師・堀田知光
東海大学医学部長
ほった ともみつ
1944年生まれ。
69年、名古屋大学医学部卒業。同大学第一内科入局後、86年同助手、90年同講師。
96年東海大学医学部内科学教授、02年同大学医学部長、04年同大学総合医学研究所長、現在に至る。
99~04年厚労省がん研究助成金「高感受性悪性腫瘍に対する標準的治療の確立のための多施設共同研究」班主任研究者。
99~04年JCOGリンパ腫グループ代表者。
03年厚労省抗がん剤併用療法に関する検討会委員。日本血液学会理事。日本臨床腫瘍学会理事。
悪性リンパ腫4期といっても、正しい治療で予後は改善される
内田清二さんの経過 | |
2002年 9月14日 | 首筋にグリグリができた |
10月20日 | かかりつけの内科クリニックを受診。「風邪ではないか」 |
10月26日 | 内科で「扁桃腺が腫れている。耳鼻科受診を」 |
11月01日 | P病院の血液内科を受診。血液検査、画像検査、生検を受ける |
11月17日 | 「非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫」との診断 |
神奈川県の小田急沿線に住む会社員・内田清二さん(仮名・54)は、2002年9月、正体不明の首筋のグリグリと微熱に悩んだ。耳鼻科クリニックで「悪性リンパ腫ではないか」と指摘され、P病院血液内科で全身の検査の結果、ようやく「非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫」との診断を下された。内田さんにとっては、降って沸いた未知の病気。これとどう向き合っていくのだろうか。
首筋にグリグリを発見
54歳の内田清二さんは、神奈川県の小田急沿線にある3LDKのマンションに50歳の妻・美智子さんと25歳でサラリーマンの長男・卓也さん、大学3年生の長女・裕美さんの4人で住む。身長165センチ、体重60キロとやや小柄な内田さんは、東京・新宿にある建設関連会社に30年間勤続し、現在営業部長を務めている。
2002年8月下旬、清二さんは自分の首の付け根にグリグリがあるのに気づいたが、あまり気にとめることもなかった。
が、それから1カ月するとグリグリが大きくなり、太ももの付け根にもしこりが見つかる。やがて37度台の微熱も出るようになったが、仕事が忙しく、すぐに医者にかかる気にもなれない。残暑が厳しいためか、夜はパジャマがびしょ濡れになるほど寝汗をかいてよく眠れないし、食事をするとなぜか汗が出る。会社近くの薬局で解熱剤を買い求めて、これを飲みながら通勤を続けていた。
しかし、1週間も経過する頃、熱が39度になるときもあり、さすがに耐え切れなくなってかかりつけの内科クリニックに寄った。医師は「風邪でしょう」と診断し、抗生剤を処方してくれた。
それでも首のしこりが引かないまま、翌週また同クリニックを訪れる。医師は改めてしこりにさわりながら「扁桃腺が腫れているな。耳鼻咽喉科で見てもらったほうがよさそうだね」と言う。
そこで、以前子どもを蓄膿症で連れて行ったことのある耳鼻科クリニックを受診する。医師は触診し、「グリグリはリンパ節(*1)が腫れているためですね」と話して首を傾げる。
「リンパ節が腫れる病気(*2)はたくさんありますからね」
耳鼻科医師も、いろいろ思案気な様子だったが、やがて衝撃的な話が始まった。
「これは悪性リンパ腫という病気も疑われます。がんの一種です。すぐ大きな病院へ行って診てもらったほうがいい。血液内科のあるところがいいですね。近くだったらP病院がいいでしょう」
内田さんは、たちまち動揺し、汗がじわっとにじんできた。
「今、P病院の先生に紹介状を書きますから」と、医師はパソコンに向かい始めると、内田さんの頭の中はもう真っ白になってしまった。
難しい病気かもしれない
耳鼻科クリニックで「P病院血液内科御中」と書かれた紹介状をもらったその日に、内田さんは会社へ行って、病院を受診するために休暇を取る手続きをした。日ごろ忙しい内田さんは、1日休んでも業務に支障をきたすことがあるので、あれこれしておかなければならないことがある。そして電話でP病院へ初診の予約をした。
内田さんは、いつもにも増してものごとをテキパキと進めている。何もせずにじっとしていると、不安でたまらなかったからかもしれない。
帰宅すると、すぐ美智子さんに「今日、クリニックでがんかもしれないと言われたよ。明日病院で見てもらうからね」と話す。妻は、「ええーっ」と大きな驚きの声をあげた。
翌日、内田さんは、「私も付いていきたい」という美智子さんを突き放すように家を出て、単身P病院に向かった。前日電話で指示されていた通り、血液内科の外来受付を訪れると、診察室では柔和な表情をした大柄な医師が待っている。
「悪性リンパ腫(*3)の可能性があると言われたそうですね?」
こう聞かれて内田さんは、「ええ、ここなんですけどね」と、首筋のグリグリを医師のほうに示す(*4悪性リンパ腫の症状)。それを指で触ると、すぐに担当医はこう話した。
「うーん、これは難しい病気かもしれませんね。私も年間数例しか診ていないし、よく調べないとわかりませんが、悪性リンパ腫の疑いがあります。すぐに全身の検査を始めましょう」
内田さんの反応は「やはりそうですか」と力がなかった。医師は注射器を用意し、まず血液を採取する(*5悪性リンパ腫診断のための血液検査)。そのあと看護師に画像診断(*6)の手続きを指示している。そして、「病理検査(*7)のために、組織を取り出す切開をしなければなりません。外科のほうに依頼しますが、来週空けられる日はありますか?」と、聞く。
内田さんは、「たいへんなことになってしまったな」と身を縮めたくなっていた。
非ホジキン腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫
手術によって病理組織を取り出す処置が行われたあと、内田さんは骨髄検査など、病気の拡がりを調べる検査も受けた。そして、11月17日、大崎医師から診断結果と治療の説明を受けるために「どうしても一緒に説明を聞きたい」という妻の美智子さんを伴ってP病院を訪れたのである。
「こんにちは。本日はどうもご苦労様です」
厳しい話を聞かせられることは覚悟していたが、大崎医師は、患者を必要以上に心配させまいとする配慮からか、いつもと変わらず穏やかな表情だった。
「内田さんの病名は、非ホジキンリンパ腫(*8)のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(*9悪性リンパ腫の種類)です。病期(ステージ)(*10)は4期で、顎と首からわきの下、お腹、足と5個のしこりがあり、節外病変と言って胃への浸潤が胃カメラで見つかりました。現在は低リスクに分類されますが、このままほうっておくと、危険な状態になるでしょう」
一瞬の沈黙があり、美智子さんがすすり泣きを始めた。大崎医師はそれをなだめるかのように話す。
「もちろん治療法はあります。悪性リンパ腫に関してはいいお薬が登場していますから。内田さんは年齢もお若いし、節外病変も1カ所だけです。全身状態(パフォーマンスステータス)(*11)もそれほど悪くはありません。危険性は低いほうです。4期とはいっても、臓器がんのように即末期がんというイメージを持っていただく必要はないと思います(*12悪性リンパ腫の危険度)。治療をすれば、予後は改善されるでしょう。ただ、抗がん剤治療は副作用が強く、合併症が原因で重篤な状態になることもあるので、この点は注意しなければなりません。これから何より大切なのは、内田さんご本人の『治したい』という強い気持ちだと私は思います」
ようやく内田さんが、「わかりました。どう治していったらいいでしょうか?」と声を出した。
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