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渡辺亨チームが医療サポートする:多発性骨髄腫編

取材・文:林義人
発行:2006年12月
更新:2013年6月

  

サポート医師・金 成元
サポート医師・金 成元
国立がん研究センター中央病院
血液内科・幹細胞移植科医師

きむ そんうぉん
1971年生まれ。
1996年東海大学医学部卒業、同大学病院で2年間の臨床研修ののち、同大学血液・リウマチ内科にて1年間臨床に従事。
1999年6月国立がん研究センター中央病院内科レジデント、がん専門修練医を経て現職。
モットーは、「患者さんとそのご家族とともに考えながら進める診療」

経験のない激しい腰痛を覚え、2度の転院の末に多発性骨髄腫に

 関根秀雄さんの経過
2004年
8月20日
激しい腰痛で近くの整形外科を受診
8月21日 市民病院を受診。血液検査の結果、多発性骨髄腫の疑い
8月24日 がんセンターの血液内科を受診。多発性骨髄腫と確定診断

職場でそれまでに経験のないような腰痛を覚えた関根秀雄さん(62歳)は、かかりつけの整形外科クリニックで「がんの疑い」を指摘された。

さらに受診し直した市民病院では「多発性骨髄腫が疑われる」と言われ、がん専門病院への転院を勧められた。

専門医も「難しい病気」と話す多発性骨髄腫は、どんな治療が行われるのだろうか。

激しい腰痛で受診

2004年8月20日、東京・新宿に本社のある機械メーカーの役員を務めている関根秀雄さん(62歳)は、1カ月ほど前から続いていた背中から腰にかけての痛みが急に激しくなっていた。過去に何度か腰痛を覚えることはあったが、これまでとは痛さが全然違う。骨自体がキリキリと音を立てるかのように痛むような感じだ。

「悪いけど今日はお先に失礼するよ。ちょっと医者に診てもらうから。腰が痛くてたまらないんだよ」

部下の課長にこう伝えると、関根さんは席を立った。が、動くと腰からビリッと痛みが伝わるので、ソロリソロリと歩かなければならないほどである。その様子を見て、女子社員たちはひそひそと話していた。

「大丈夫かしら。ずいぶん痛そうだわ」

関根さんは、腰痛で何度か訪れたことのある、東京郊外の自宅近くの内田整形外科クリニックに駆け込んだ。関根さんから自覚症状を聞くと内田院長は、「まずレントゲン検査をしてみましょう」と話す。そして、30分後にその結果を告げていた。

「腰椎の圧迫骨折が見つかりました。腰痛・骨痛の原因はこのためだと思います(*1骨痛を招く病気)。骨折以外の骨病変もありそうですよ。腰の痛み以外に、何かお気づきになっていることはありませんか? 最近、疲れやすいとか……」

「そういえば、やたら疲れやすいような気もします。軽いめまいを感じることもあります」

関根さんは身長168センチに対し、体重は72キロとやや太めだが、これまで大きな病気をしたことはなかった。風邪さえめったに引くことがない。それでも、医師は言った。

「関根さんくらいの年齢ですと、前立腺がんや肺がんの腰の骨への転移という恐れもあります。この際、MRIのある病院に行って骨を詳しく調べるだけでなく、内科的な検査も受けたほうがいいと思いますよ(*2骨痛の検査)。この近くならK市民病院がいいでしょう」

院長は関根さんが納得したと見ると、すぐにK市民病院へ翌日関根さんが検査を受けられるよう電話を入れてくれた。

「明日は朝ごはんを食べずに市民病院へ行ってくださいね」

内田院長はていねいにK市民病院からの指示を伝える。そして、痛み止めの座薬が処方された。

関根さんが自宅に戻ると3歳年下の妻・峰子さんが、「まあ、どうしたの? こんなに早い時間に」と言いながら、玄関に出てきた。関根さんは、さも痛そうに顔をしかめる。

「腰が痛くてたまらなくてね。明日の朝から市民病院で検査を受けることになったんだ」

そう言って関根さんは玄関先にへたりこんでしまう。腰の痛みは強まる一方のような気がしていた。

「博史が明日会社へ行くとき、車で連れて行ってもらったらいいじゃない」

夫婦の間には2人の子どもがあり、28歳の長女めぐみさんは、すでに他家に嫁いで1児の母となっているが、32歳の会社員である長男の博史さんは独身で一緒に暮らしている。

「うん。そうするよ。自分で運転していく気にもなれないからな。今日はもう寝る」

「あら、晩ご飯はどうするの?」

「いや、飯はいらない。食欲がないんだ」

関根さんはそれまでどんなに疲れているときでも、食事だけはしっかり摂っていたはずである。峰子さんは「どうもいつもとは様子が違う」と感じ始めていた。

多発性骨髄腫が疑われた

8月21日の朝を迎えても、もちろん関根さんの腰の痛みは治まっていなかった。整形外科医から言われたとおり朝食を摂らずに家を出ると、長男の博史さんの車に乗せられて市民病院の内科を訪れた。診察室では胸に「倉田」と書いたネームプレートをつけた30代と思われる医師が待っていて、早速問診を始める。

「圧迫骨折があるそうですね。相当痛みますか?」

「ええ、もう今までの腰痛とは比べ物になりません。腰痛ならラクになったり痛くなったりするのですが、ずっと骨が痛い感じがするんです」

「ほかに症状は? 食欲はどうですか?」

「食欲も全然ありません。普段は食べるほうなのですが。それから、ちょっと目まいがするようです」

「のどは渇きますか?」

「ええ、渇きます。昨日あたりから、水ばっかり飲んでいます」

医師は、一瞬「うーん」と考えた。

「では、採血しましょう」

倉田医師は、看護師に準備をするよう指示し、すぐに採血が行われる。そのあと採尿の指示も受けた。

「このあとMRIと骨シンチという検査を受けてもらいます。放射線科のほうへ行ってください。2時間ほどで検査の結果が出ると思いますので、あとでお呼びするまで待ってくださいね」

放射線科へ検査に向かうために車椅子が用意された。関根さんはそれまで1度も乗ったことがない。「自分はそんなに重病なのか?」と、どぎまぎしてしまった。つい何日か前まで、ビジネスの第一線に立っていた自分がうそのように感じられた。

倉田医師の言った通り、それからほぼ2時間経ったとき、関根さんは再び内科の診察室へ呼ばれた。倉田医師は深刻な面持ちで待っている。そして、関根さんが腰を下ろすと、ほぼ同時に口を開いた。

「血液検査で、総タンパクが高いことがわかりました。それから、血液中のカルシウム値が高い高カルシウム血症にもなっています(*3高カルシウム血症)」

これだけで聞いても関根さんには何のことか意味がわからない。「もしかすると糖尿病なのか?」などと思ったりした。

「それに、MRIと骨シンチで見ると病変らしいものがあります。やはり骨が破壊されていますね。痛みはそこからきているのでしょう」

「どんな病気でしょうか?」

多発性骨髄腫*4)が強く疑われます。血液のがんの一種です。血液中の総タンパクが多いのは、骨髄腫の細胞がMタンパクというものを作り出しているからです。骨髄から生じた異常な形質細胞という細胞が、骨を破壊するために骨が痛いわけです(*5多発性骨髄腫の症状)」

しかし、関根さんは倉田医師の「がん」という言葉だけ聞くと、もうそのあとのことはあまり頭に入らなくなっていた。じわっと首筋に汗が出てくるのがわかる。

「だいぶ進んでいるのでしょうか?」

倉田医師は少し考えると答えた。

「そうですね。だいぶ厳しいがんといえるでしょうね。以前ならMP療法*6)といわれる2種類の薬剤を用いた治療が行われましたが、治るということはありませんでした」

「私は、そこまで厳しい状況なのですか?」

「ただ、最近になってこの病気の治療はガラッと変わってきました。この病気は70歳以上の方のほうが多いのですが、その点、関根さんは62歳でまだお若いし、全身の状態もいいようなので、強い抗がん剤治療を受けることができると思います。ただ、うちのような血液内科がない一般病院ではその治療はできません。ぜひ、がんの専門病院を受診して詳しい検査と最新の治療を受けてください」

関根さんは、まだ途方に暮れた状態である。腰痛がそんなに厳しい病気のシグナルだとは想像もできなかった。だから、まだ恐怖心さえ沸いてこない。ただ、冷や汗のような汗が全身から噴き出してくるばかりである。

調べれば調べるほど“助からない病気”

タクシーを使って市民病院から戻ってきた関根さんは疲れきった様子だった。が、家にいた峰子さんに一気に話す。

「多発性骨髄腫ではないかと言われたよ。がんの一種で、がんの専門病院で治療を受けなければだめだそうだ。紹介状をもらってきたよ」

峰子さんは「えーっ」と驚きの声を上げ、たちまちポロポロと涙を流し始める。

「どうしたのよ。お父さん。どんながんなの? 私、どうしたらいいのよ」

「いや、まだがんと決まったわけじゃない……」

関根さんは、峰子さんをなだめなければならなかった。が、自分の現在の体調を考えると、峰子さんにはとても「大丈夫だよ」とは言い切れない。

「もしがんだとしたら、相当厳しいがんらしい。ともかく……どんな病気か調べてみなければな」

こういうと関根さんは「インターネットで調べてみるから」と、パソコンの前に向かう。倉田医師から聞いた「多発性骨髄腫」という言葉で検索してみると、まもなくぞっとするようなことがわかってきたのだ。どこのサイトを見ても「治らない病気」、「予後は非常に厳しい」、「死に至るがん」といった文字が並んでいる。

パソコンの横に立って、関根さんと一緒に画面をみていた峰子さんが、たまりかねたようにワッと泣き出す。

「まだ、多発性骨髄腫と決まったわけではないけれど、市民病院の先生は、延命できるとかできない病気だと言っていた。いったいどうして俺はそんな病気になったのかな?」

関根さんはこんなことを言って気分を紛らすしかない状態だったのである。が、多発性骨髄腫の原因*7)についてもあまり納得のいく説明をしたものは見当たらなかった。峰子さんも、いても立ってもいられなかったのか、長女めぐみさんの嫁ぎ先に電話して、「お父さんががんになったのよ」と言いながらワアワア泣き出す始末だったのである。

8月24日、関根さんは杖をつきながらHがんセンターの血液内科を訪れた。峰子さんが付き添い、倉田医師の紹介状とMRIと骨シンチ画像を携えている。50歳前後と思われる医師が診察室で待っていた。

「担当させていただきます三木和雄と申します」

2人に向かってこう挨拶した。2人は深々と頭を下げる。

「どうかよろしくお願いします」

医師は一通りの問診を行ったあと、関根さんから採血し、トイレで採尿してくるように指示する。そのあと骨髄穿刺*8)という非常に痛い検査が行われた。

2時間後に診察室に戻ると、三木医師から検査の結果が告げられた。

「血清中にも尿中にもMタンパクが陽性でした。骨髄穿刺液中に骨髄腫細胞が40パーセントも認められます。多発性骨髄腫と確定診断できます(*9多発性骨髄腫の確定診断)」

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