「絶望」を「希望」に変えたTS-1、タキサン系の抗がん薬 スキルス胃がんと腹膜播腫に効く新しい薬
国立がん研究センター東病院
消化器内科医師の
矢野友規さん
早期発見が難しい上に進行が早く、腹膜にがんが散らばる腹膜播腫を起こしやすいのがスキルス胃がんだ。腹膜播腫を起こすと切除不能のケースが多く、たとえ切除できても予後はかなり厳しいものがあった。しかし、近年、新しい抗がん剤の出現などによって、スキルス胃がんや腹膜播腫に有効な治療法が登場。注目されている。
検査で見つかりにくいスキルス胃がん
スキルス胃がんの割合は、胃がん全体の約10パーセントほど。決して少ない数字ではないが、そもそもスキルス胃がんとはどんながんなのか。
胃がんの専門医らで構成される「日本胃癌学会」がまとめた「胃癌取り扱い規約」によると、スキルス胃がんとは肉眼型分類で4型に分類される進行胃がんの通称・別称をいう。
びまん・浸潤型の進行がんであり、胃の壁の中をがん細胞が広がっていくので、スキルス(硬い)という呼び名の通り、やがて胃が縮み上がるような形になり、胃全体が硬くなって内腔も狭くなっていく。胃がんの中でも最も悪性度の高いがんだ。
「普通の胃がんは、粘膜の表面に火山の噴火口のような盛り上がりをつくったり、潰瘍をつくったりしますが、胃壁の中をがん細胞が横に広がっていくのがスキルス胃がんです。盛り上がったり窪んだりというのがないため、見た目では非常にわかりにくく、また、進行も早いのが特徴です。このため、見つかったときにはかなり進行しているケースが多く、すでに腹膜播腫などの転移があって手術ができない、という患者さんが40~60パーセントいます」
と国立がん研究センター東病院消化器内科医師の矢野友規さんは語る。
通常、胃がんの初期診断で威力を発揮するのは内視鏡検査だが、スキルス胃がんは胃の粘膜表面の異常が少ないため、レントゲンや内視鏡では見つけにくい。このため、通常の胃がん検診ではなかなか見つからず、しかも見つかったときにはすでに進行がんというのだから、まことにやっかいな病気といえる。
さらに、胃がんというと中高年の男性に多い病気だが、スキルス胃がんは比較的若年者、それも30代、40代の女性に多いといわれている。その理由として女性ホルモンが進行に関係しているとの指摘もあるが、はっきりしたことは分かっていない。
同じ胃がんでもスキルス胃がんがかなり様相を異にしているのは、がん細胞の性質や種類に違いがあるからといわれる。矢野さんも、胃がんはいろんな種類の細胞からできていることが多く、決して単一ではない、と語っているが、胃がんでいちばん多いのは高分化の腺がんであり、これは胃がんの原因の1つといわれるヘリコバクター・ピロリ菌の感染や、食塩の摂りすぎなどが原因で起こるがんに多くみられ、男性に多いのが特徴。
一方、スキルス胃がんは、低分化の腺がんと印環細胞がんからなるケースが圧倒的に多いという。このタイプのがんだと比較的若年者にも見られ、女性にも多い。
ちなみに腺がんというのは、各臓器には分泌機能に関係する「腺」と呼ばれる部分があり、この部分の上皮細胞ががん化するため、この呼び名がある。また、がん細胞が比較的正常細胞に近いものを「分化度が高い」という意味で高分化、正常細胞とはかなり違った構造を持つものを「分化度が低い」、つまり低分化と呼んでいて、一般に、高分化のがんは悪性度が低いのに対して、低分化のがんは悪性度が高い。
印環細胞がんとは、バラバラに増殖するがん細胞からできているもので、これも悪性度の高いがんになりやすいという。
手術切除が難しい腹膜播種
がんでもう1つ重要なポイントとなるのは転移だが、スキルス胃がんに特徴的な転移が腹膜播腫である。
がん細胞が胃壁を貫いていちばん外側の漿膜を越えて外に出てしまい、腹腔内に散らばって、腹腔を包んでいる薄い膜である腹膜に着床し、そこに根を生やして増殖していくのを腹膜播腫という。
がんの転移というと、血液やリンパ液の流れに乗って飛び火し、ほかの臓器に広がっていくケースが多いが、腹膜播腫はこれとは違う。胃壁から脱落したがん細胞が、腹膜に種を播くように広がっていくというので腹膜播腫と呼んでいる。
一般に腹膜播腫があると、症状として腹水がたまるようになったり、腸閉塞を起こしたりすることがある。さらにがん性腹膜炎を引き起こすと、予後はきわめて不良となる。
矢野さんによると、「ほかのがん、たとえば卵巣がん、膵臓がん、大腸がんなどでも腹膜播腫はありますが、腹膜播腫を起こしているがんでリンパ節転移を伴うこともよくあります。中でもスキルス胃がんも腹膜播腫を起こしやすいタイプのがんといえます」という。
スキルス胃がんが見つかった患者の約半数に腹膜播腫があるといわれているから、かなり高率で出現しているといえよう。
矢野さんによれば、スキルス胃がんであっても、腹膜播腫や他臓器への転移がなければ、再発率は高いものの、根治的な外科手術は可能という。しかし、腹膜播腫があるとほとんどの場合、手術は不可能となる。腹膜播腫があるかないかは、がん治療の成否を左右するキーポイントでもあるのだ。
ところで、平成14年にオープンした静岡県立静岡がんセンターには、全国の病院で唯一という「腹膜播腫科」が設けられ、腹膜播腫を手術で切除する治療が行われ評判を呼んでいる。
どういう治療かというと、肉眼的に見えるがんのある腹膜転移をすべて切除する治療だ。具体的には、横隔膜や胃から垂れ下がった大網、骨盤のダグラス窩などの腹膜を切除する。これまでの治療経験からこうした部分に転移が起こりやすく、播腫巣が腹膜全体の50パーセントまでなら切除可能という。最近の手術の縮小化とは正反対の、究極の拡大手術といってよい。しかも治療はこれだけではない。さらにこの上に、抗がん剤、温熱化学療法まで手術前後に組み合わせて行うので、相当にハードな治療といえる。
もちろんこれは、あくまで実験的な医療であり、十分なエビデンス(科学的な根拠)も示されていない。それどころか、内部情報によると、この治療を受けた患者では、合併症が多発しており、手術死亡例も多くて、大問題になっているという。どうやら一般的な評判と実態とは違うという典型的な例のようだ。警鐘を鳴らしておきたい。
手術前の補助化学療法に
胃がんの治療は基本的には外科手術が中心であり、手術が最も有効な治療手段である。ただし、腹膜播腫や他臓器への転移、手術後の再発という場合には、手術で完全に取りきることは不可能で、そうなると化学療法ということになるのだが、胃がんの場合、抗がん剤でがんが完全に消失するのは極めてまれだ。一方で、スキルス胃がんのように根治手術を行っても、手術後の再発率が高いがんに対して、手術に先立ってがんを縮小させ、再発を予防することを目的として行う化学療法が術前補助化学療法である。
この治療法の効果は、たとえばリンパ節転移があってもほかに転移がない場合、化学療法でリンパ節に転移したがんが著明に縮小し、その後、根治的手術によってがんを完全に切除しきれるケースもあるという。外科療法を行うだけで完全治癒はほとんど望めない場合でも、補助化学療法と組み合わせた結果、治癒が得られることがあるというわけである。
ところが、手術も難しく、有効な抗がん剤もなかったのがスキルス胃がんだ。腹膜播腫を伴うケースが多いし、手術ができると判断して手術しても、完全にがんが取りきれたと考えられる治癒切除率は30~40パーセントと低い。さらに再発率も高く、手術だけで治療した場合の予後はかなり厳しい上、抗がん剤も効かないのでは手の施しようもないことになってしまう。
しかし、そこで矢野さんは次のように語るのだ。
「以前の抗がん剤はスキルス胃がんにほとんど無効だったのですが、最近、新しい抗がん剤が登場し、術前化学療法によるスキルス胃がんに対する治療成績の向上が期待されています」
どんな薬かというと、1994年4月から使用が認められたTS-1(一般名デガフール・ギメラシル・オテラシル)という抗がん剤である。
従来、胃がんに対する抗がん剤としては、5-FU(一般名フルオロウラシル)という薬があった。この薬は今から50年も前に開発された古い薬だが、5-FUの効果を上回るものがこれまでなかったのが現実であった。
そこに登場したのがTS-1だ。5-FUの効果を上げて、副作用を軽減する薬として開発された経口の内服薬である。
「胃がんに対する奏効率が臨床試験で40パーセントという成績を示し、単剤の内服薬でこれほど有効な薬というのは今までなかったので、非常に有望な抗がん剤と考えられています」
と矢野さん。
奏効率は、がんが半分以下に縮小した人の割合であらわされるが、この奏効率が20パーセントあれば、その抗がん剤は「有効」、つまり「効く薬」とされる。それが40パーセントの奏効率というのだから画期的といえるだろう。
さらに注目すべきは、その臨床試験の中で、スキルス胃がんに対しても30パーセントほどの奏効率を示したという。従来、スキルス胃がんに効く抗がん剤はなかったのが、「効く薬」があらわれたわけで、手術が可能なスキルス胃がんの術前補助化学療法への期待が高まっているのである。
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