精巣腫瘍ⅢB2、間質性肺炎からの復活

情報インフラ・就労など患者支援活動を進める

取材・文●吉田燿子
発行:2013年11月
更新:2014年2月

  

精巣腫瘍は日本人男性の10万人に1~2人が罹患するといわれている。この希少がんのステージⅢB2と診断され、さらに間質性肺炎を併発しながらも克服。再び趣味のウルトラマラソンを走り切り、今、がん患者さんの支援活動を始めるべく準備を進めている。


大久保淳一 さん (外資系証券会社勤務)

大久保淳一 おおくぼ じゅんいち 
1964年長野県生まれ。1989年名古屋大学工学部卒業、1991年同大学院工学研究科修了。大手石油会社で7年間勤務した後、シカゴ大学ビジネススクールに留学。1999年にMBAを取得し、大手外資系証券会社に入社。これまでに完走したフルマラソンは30回以上。サロマ湖100キロウルトラマラソンは5回完走している

大久保淳一さんが自身の体験を綴っているブログ「病気を力に変える!」

http://ameblo.jp/junichiokubo/


大久保さんの経過

2007年 3月 マラソントレーニング中の怪我による入院中、右睾丸の委縮を感じる
エコー・血液検査の結果、精巣腫瘍と診断。右睾丸の摘出手術を受ける
術後の病理検査で、セミノーマ・胎児性がん・卵巣嚢腫瘍の混同した精巣腫瘍
(ⅢB2期)、腹部・肺・リンパ節(首)への転移もあると言われる
4月 BEP療法開始。高熱・吐き気・耳鳴りに悩まされるも腫瘍マーカーは陰性化
7月 間質性肺炎を併発、治療開始
セカンドオピニオンをとり、再発予防のためのリンパ節郭清術を受ける
9月 職場復帰も、間質性肺炎増悪
11月末 退院、自宅療養
2009年 職場復帰
現在 経過観察終了

世はマラソン・ブーム。その最高峰ともいえるのが、〝ウルトラマラソン〟の異名を持つ「100キロマラソン」だ。だが、その苛酷さは、42.195キロのフルマラソンとは比べものにならない。どんなに健康で経験豊富なランナーでも、この究極のレースで完走するのは容易ではないという。

そんな中、ステージⅢB期という最終ステージの精巣腫瘍に侵されながらも、手術と抗がん薬治療により克服。退院後、「サロマ湖100キロウルトラマラソン」を完走し、奇跡の復活を遂げた人がいる。東京在住の外資系証券マン・大久保淳一さん(49歳)だ。

取引のためにマラソンを始める

世界を舞台にバリバリと仕事をこなしていた罹患前、社内パーティーにて

大手石油会社の営業とし7年間活躍し、シカゴ大学ビジネススクールに留学。1999年に経営学修士号(MBA)を取得し、大手外資系証券会社に転職した。入社後はヘッジファンドの運営を支援する業務を担当。金融は未経験ということもあって、1日でも早くキャッチアップしようと、早朝から深夜まで無我夢中で働いた。

ある機関投資家のもとに営業に出かけたときのことだ。

「何でもやりますので、よろしくお願いします!」

元気よく挨拶すると、担当者は意外なことを言った。

「君がフルマラソンをやるなら、取引してやってもいいよ」

マラソンは大嫌いだが、それで取引が成立するなら話は別だ。大久保さんは快諾し、半年間のトレーニングを経て、2000年にホノルルマラソンを完走。これを機に、大久保さんは走ることの魅力にとりつかれていく。

「日々、ハイプレッシャーの中で仕事をしているせいか、走っていると嫌なことを忘れられるんです。走れば走るほどタイムもよくなり、成長が実感できる上に新しい友人もできる。それが楽しくて、どんどんのめりこんでいったんです」

次第に、普通のマラソンでは物足りなくなり、39歳を迎えた2003年6月、サロマ湖100キロウルトラマラソンに初挑戦。北海道の大自然の中でゴールした瞬間、大久保さんは経験したことのない至福感に包まれた。以来、4回連続でサロマ湖100キロウルトラマラソンを完走。大久保さんは、公私ともに、充実のときを迎えていた。

足の怪我で入院中に精巣腫瘍を発見

大久保さんの精巣にがんが見つかったのは、右足の大怪我で入院中のことである。

2007年2月、厳寒の軽井沢でトレーニング中、崖下に転落して東京慈恵会医科大学附属病院の救急外来に担ぎ込まれた。右足の外くるぶしを骨折し、足首の靭帯を断裂する大怪我で、5時間におよぶボルト接合手術を実施。1カ月間リハビリを続けたが、退院間際になって、発熱に悩まされるようになった。

(オペ中に入れた尿チューブから、バイ菌でも入ったかな)

そう思い、下腹部を触ってみると、睾丸の大きさが左右で全く違う。右の睾丸が、まるで梅干の種のように萎縮して硬くなっていた。

(何か大変なことが、俺の体の中で起こっている)

翌日、インターンに話すと、泌尿器科に直行。エコーや血液検査、レントゲン検査などをひと通り終えると、担当医はこう言った。

「がんの疑いがあります。精巣腫瘍です。1週間後に睾丸の摘出手術を行います」

突然の告知に、大久保さんはすっかり仰天。動揺のあまり、矢継ぎ早に質問を繰り返した。

「先生、『がんの疑いがある』ってどういうことですか?」

「私はマラソンランナーです。睾丸が1つなくなったら、バランスが崩れて走りにくくなりますよね。睾丸の代わりに入れる、義眼ならぬ〝義玉〟みたいなものってあるんでしょうか」

必死に抵抗を試みる大久保さんに、担当医はこう告げた。

「大久保さん、事は一刻を争うんです。精巣腫瘍は進行の速いがんです」

ランス・アームストロングを支えに

治療中は、自らを奮い立たせ全力で闘った

だが、告知をされても、大久保さんは事実をなかなか受け入れることができなかった。〝健康オタク〟でスポーツマンの自分が、がんになるはずはない。たとえなったとしても、必ず治るはずだと信じて疑わなかった。

「当時、私が一番恐れていたのは、休職期間が長期化することと、マラソンができなくなることでした。42歳をピークとして人生が下り坂に向かい、『社会的弱者』として生きることになるのが、何より怖かった。1日も早く、会社とマラソンに復帰したい―― その思いでいっぱいでした」

そんな大久保さんの支えとなったのが、担当医から教えられた、米国の自転車選手ランス・アームストロングの存在だった。彼は25歳で精巣腫瘍を発症し、一時は再起不能といわれたが、病を克服して自転車競技に復帰。その後、ツール・ド・フランス7連覇という偉業を成し遂げた人物である。

自分も彼のように、がんを治して、さらなる成長のステップを上っていきたい―― 大久保さんは、深く心に期するものがあった。以後、ランス・アームストロングは、輝けるロールモデルとして、大久保さんの闘病生活を照らすこととなる。

腹部・肺・首に転移診断は「ステージⅢB」

整形外科の退院から1週間後、3月16日に右精巣の摘出手術が行われた。病理検査の結果、セミノーマと胎児性がん、卵黄嚢腫瘍の3種が混合した、治りにくいがんと判明した。さらに、腹部と肺、首のリンパ節からは転移も見つかった。

「大久保さんのがんは、最終ステージのステージⅢBです」

担当医の言葉に、大久保さんは愕然とした。その衝撃は、最初の告知のときとは比べものにならないほど強かった。だが、絶望に沈む大久保さんの心を奮い立たせたのは、ランス・アームストロングだった。自分も病気などに負けてはいられない。全力で病気と闘ってやる―― 大久保さんは全身に闘志をたぎらせた。

精巣腫瘍ステージⅢBの5年生存率は49%。その厳しい現実に直面しても、大久保さんは相変わらず、死生観とは無縁だった。がんが完治することを信じて疑わず、抗がん薬治療で3~6カ月の入院を強いられることを思い悩んだ。

なにしろ、勤務先は「生き馬の目を抜く」といわれる外資系証券会社。日系企業の3~4倍は働いて、短期的に成果を挙げることが求められる。

「会社を解雇になるかもしれない。復職しても、自分の居場所がなくなって、閑職に追いやられるのではないか」

そんな不安に加えて、大久保さんを苦しめたのは、「転移というイベントによって、自分の人生が確実に下り坂に入ってしまった」という寂しさだった。

「それまでは、常に階段を登り続けたい、と思っていましたから。仕事でもマラソンでも子育てでも、人間として成長し続けることに、人生の価値を見出していたのです。にもかかわらず、がんの転移によって人生が下り坂に転じたのかと思うと、やりきれなかった。生きながら死んでいるような気持ちになってしまったんです」

セミノーマ=精巣腫瘍は、生殖細胞由来の胚細胞腫瘍と、性腺基質由来・その他からなる非胚細胞腫瘍からなる。胚細胞腫瘍には造精細胞形成の要素が分化して腫瘍化したセミノーマ(精上皮腫)と、胎児形成や胎盤形成の要素が分化して腫瘍化した胎児性がん、卵黄嚢腫瘍、奇形腫、絨毛がんなどの非セミノーマの2つに分けられる。セミノーマと非セミノーマの混合腫瘍は非セミノーマとして治療される

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