腎細胞がんが全身39カ所に転移。
24年間にわたるがんとの壮絶な闘いの極意

自分はがん患者と思っていない 友人からもらった〝チャンプ〟の称号

取材・文●吉田燿子
発行:2014年5月
更新:2016年11月

  

小室一男 さん (貼り絵作家)

こむろ かずお 1963年成城大学経済学部卒業後、株式会社トーメンに入社し、2001年定年退職。その後、貼り絵作家として活躍。03年著書『神様どうか休息の時間を下さい』(文芸社)を出版
神様どうか休息の時間を下さい [ 小室一男 ]

49歳のときに腎細胞がんで手術。24年前にはそのがんは告知されなかった。しかし、5年後甲状腺に転移。そのとき初めてがんの転移であることを告げられた。それから、肺、膵臓、脾臓、脳など全身39カ所に転移。24年間がんと壮絶な闘いを繰り広げながら、今日まで生き抜いてきた。


『神様どうか休息の時間を下さい』

(株)Jハーブ主催の第1回いのち輝かそう大賞「がんとともにあるわたし」部門に応募し、審査員特別賞を受賞した。左から息子さん、奥さん、俳優の奥田瑛二氏

49歳のときに発症した腎細胞がんが、甲状腺、肺、膵臓、脾臓、脳など全身39カ所に転移。24年間にわたって、がんと壮絶な闘いを繰り広げながら、今日まで生き抜いてきた人がいる。神奈川県在住の小室一男さん(73歳)だ。

腎細胞がんは、化学療法や放射線療法に対する感受性が低いがんの1つだ。このため、転移が見つかるたびに手術が繰り返され、小室さんは右の腎臓と左右の甲状腺、舌、右肺中葉部とリンパ節、右背筋筋肉、膵臓、脾臓、胆嚢、胆管、十二指腸、小腸、右精巣を失った。

「全身の手術痕をつなげると、170㎝近くになる。今では、無傷の臓器は数えるほどしかありません。人間というのは不思議ですね。臓器がほとんどないのに、こうして生きていられるんですから」(小室さん)

03年、小室さんは闘病記を出版した。『神様どうか休息の時間を下さい』(文芸社)という本の題名には、小室さんの万感の思いが込められている。いつ果てるとも知れないがんとの激闘を、小室さんはいかに乗り越えてきたのか。

49歳のとき、成人病検診で腎細胞がんが発覚

小室さんが腎細胞がんを発症したのは1990年。49歳のとき、会社の成人病検診を受けたのがきっかけ。右腎臓に8㎝の腫瘍が見つかり、K大病院の泌尿器科で右腎臓を摘出。「腫瘍は悪いものではなかったが、再発の可能性がある」と説明され、術後数カ月間、インターフェロンの注射が行われた。

このときは、自分ががんであるとは夢にも思わなかった小室さん。それから5年後、今度は右の甲状腺に腫瘍が見つかり、摘出手術を受けた。

「局部麻酔の手術だったので、『何だ、これは』『すぐ写真に撮って』という先生たちの会話が聞こえてきました。ただならぬ雰囲気に、自分の本当の病名はがんではないか、と疑い始めたのです」

病理検査の結果は、「腎細胞がんの転移による甲状腺がん」。病院からの帰路、電車の中で皆が楽しそうに会話しているのを、小室さんは虚ろな目で眺めていた。これが、がんとの長い死闘の幕明けであることなど、小室さんは知る由もなかった。

度重なる転移によって次々に臓器を失う

その翌年から、舌、左の甲状腺、右肺、傍脊柱と、がんは頻繁に転移を繰り返すようになった。そして2001年、60歳になった小室さんは、人生最大のピンチを迎える。膵臓の頭部に、なんと13㎝のがんが見つかったのだ。

「もはや手遅れです。手術は困難です」。余命は半年――文字通りの死の宣告に、小室さんは大きな衝撃を受けた。

「今回ばかりは……、死を覚悟するように」。主治医の言葉に、目の前が真っ暗になった。

延命のため、2カ月にわたるインターフェロン治療が始まった。不思議なことがあったのは、副作用の高熱や嘔吐に苦しんでいた時期のことだ。「主治医の回診前、カーテンで仕切られたベッドに寝ていると、すぐそばに人の気配を感じたんです。その人影はゆっくりと移動し、右腹部の腫れ物に手をかざしました。そのとき、自分の体がピクッと動いたんです。ああ、僕の願いを聞いて神様が助けに来てくれたのかもしれない。これは生きられるかもしれないな、と思いました」

生身の〝神様〟が出現したのは、それから間もなくのことだった。1人の外科医が、救世主のように現れたのだ。

「血液造影検査の結果、門脈に腫瘍が食い込んでいないことがわかりました。手術は可能ですが、危険であることには変わりありません。どうしますか」「先生にすべてを託します」

すがる思いで手術を受け、膵臓頭部と十二指腸、小腸などを切除。7時間半にわたる大手術の末に、小室さんは生還した。12本の管につながれ、全身の激痛に耐えながらも、小室さんの心は喜びでいっぱいだった。「4カ月の入院から解放されたときには、心身ともに生まれ変わったような心境でした。これからは命あるかぎり、自分の人生を精一杯生きようと思いました」

だが06年、残された膵臓に再びがんが転移。膵臓の全摘と引き換えに、小室さんは糖尿病という十字架を背負うこととなった。1日4回のインスリン注射で命をつなぐ日々が始まった。

こうして、度重なるがんの転移は、小室さんの身体機能を確実に奪っていった。08年には右臀部にがんが転移し、11年に摘出。幸い、人工肛門は避けられたが、肛門の周りの筋肉をごっそり切除したため、排便に支障をきたすようになった。

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