夫(食道がん)妻(乳がん)でがんを体験した夫がいましみじみ思うこと

がんになってみて、妻の存在の大きさをあらためて実感しました

取材・文●吉田燿子
発行:2014年9月
更新:2019年7月

  

星埜由和 さん (元大手電機メーカー社員)

ほしの よしかず 1948年東京都生まれ。72年東京都立大学法学部卒業後、NECに入社し、大手通信会社の担当営業を務める。通信機器関係の工業会への出向を経て、シンクタンクの役員に就任し、2008年同社を定年退職。同年、神奈川県の中高年ホームファーマー講習に参加。09年相模原市内で農業実習を開始。2010年3月長野県筑北村の古い農家を購入し、無農薬農業を開始

日本人の2人に1人ががんにかかる時代が到来し、夫婦で闘病するケースも増えている。神奈川県在住の星埜さん夫婦は、定年後、長野に古い農家と耕地を買い、無農薬農業を始めた。

だが、2009年に夫・由和さんが食道がんを発症。幸い、食道全摘手術により一命はとりとめたが、その4年後、今度は妻・弘子さんの乳がんが発覚した。相次ぐ試練に、星埜さん夫婦はどう向き合ったのか。


定年退職の翌年 食道がんを発症

星埜由和さんが無農薬農業を始めたのは、妻の弘子さんからの誘いがきっかけだった。定年退職した08年の4月から1年間、神奈川県の中高年ホームファーマー講習に参加。座間市内の耕地で収穫も体験した。

食道に違和感を覚えたのは、地方で本格的に農業を始めようと考えていた矢先のことだ。翌09年1月、突然の嘔吐に襲われ、近所のクリニックで内視鏡とCTによる検査を受けた。

「少し変化がありますね。少し時間をおいて、もう1回検査しましょう」

逆流性食道炎と診断され、治療を続けていたが、10月に再検査を行ったところ、数カ所に異変が見つかった。

翌月、紹介状を持参して東海大学医学部附属病院を受診。診断の結果は「食道がん」だった。
だが、もともと楽観的なところのある星埜さんは、あまり深刻には考えなかったという。「最初は『内視鏡でとれる』といわれたので、ごく早期のがんなんだなあ、と思ったんです」

年賀状づくりも早めにすませ、万全の準備で手術に臨んだ。

食道の全摘手術を行い 順調に回復

食道の内視鏡手術が行われたのは、クリスマスイブの12月24日。手術台に横たわった星埜さんは、突然、飛び込んできた主治医の声に耳を疑った。

「だめだ。これはとれない」内視鏡手術は急遽、中止。思わぬ成り行きに、星埜さんは茫然とした。
主治医によれば、病状は予想以上に進行しており、5個以上の病巣が認められるという。内視鏡で取り除くことは不可能なため、年明けの1月28日、食道全摘による外科的根治術を行うことになった。

「次の手術まで1カ月も空いてしまうので、不安はありましたね。気持ちが落ち込んで、身辺整理や財産処分を始めたりもしました」

翌10年1月28日、「胸骨前胃管形成術」による食道全摘手術が行われた。これは、食道を全摘して胃の噴門と周囲のリンパ節を取り除き、残った胃を細くして喉と胃を直結して食道の代わりにするというものだ。再建手術には6時間半を要したが、術後の経過はいたって順調だった。

「胸骨前胃管形成術というのは、食道を全摘して胃を胸の前に持ってくる手術なので、胃が肋骨の前に出ているんです。それだと格好もよくないので、最初は『(胃を)中に入れてくださよ』って先生に言ったんです。でも、結果的にはそれがよかったみたいですね。胃を肋骨の中に入れると、胃が十分に膨らまなくなって、消化能力が落ち、体力がダウンするという問題があるそうですから」

幸い、後遺症に悩まされることはなかったが、低血糖状態で頭がボーッとし、術後2年ほどはブドウ糖の飴を舐めていた。

「昔に比べると甘いものが好きになりましたね。とくに息苦しさはないのですが、食後はなんとなく気持ちが悪い。1口ごとに30回ずつかみ、食事に時間をかけるようにしています。ゆっくり食べると満腹中枢が刺激されるので、食事の量が減り、ウエストが細くなりました。それから、膀胱を圧迫していた胃が上に上がったので、排尿の回数も減りましたね」

長野の古い農家を購入し 無農薬農業を始める

農作業姿も板に付いてきた星埜さん。長野県筑北村の畑を耕運機で耕す

病気になって、妻の存在の大きさも改めて実感した。

「うちのは『がんばって』とか、そういうことはあまり言わないんです。長年の呼吸というか、あえて深刻な話はしないところがある。深刻なことを言い出したら、お互いどんどん落ち込んじゃうじゃないですか。孫の話題をしているほうが、よっぽど気持ちが紛れますからね」

妻のさりげない行動に、細やかな愛情を感じることも多かった。入院中、パジャマを毎日洗濯してくれたことも、その1つだ。せめてパジャマぐらいは、洗いたてのさっぱりしたものを着てもらいたい――そんな妻の心遣いに、星埜さんは改めて夫婦の絆のありがたさを実感していた。

2月20日に退院すると、星埜さん夫婦は、念願の田舎暮らしに向けて準備を進めることにした。インターネットで家探しを始め、長野県筑北村の山奥にある古い農家を購入。400坪の畑で農作業を始めたのは、退院後まもなくのことだ。

雑草に負けない作物を、と考え、野菜やソバ、アワ・ヒエなどの雑穀米などを栽培。耕運機など農機具の使い方にも慣れ、村の暮らしにも溶け込んでいった。

全身を使う農作業は、格好のリハビリになる。自然と共生しながら、命を育む暮らしの中で、星埜さんは徐々に健康を取り戻していった。

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