胃、食道、咽頭にがんを発症しただけでなく脳梗塞、心房粗動、心房細動、肺炎、腎臓病が加わっても生き返った男の物語 『自分もしぶといが、がんもしつこい。それが実感です』

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年10月
更新:2020年2月

  

むらくし えいいち
1948年静岡県生まれ。明治大学政経学部卒業後、中日新聞社入社。東京本社(東京新聞)編集局社会部、司法記者クラブキャップ、社会部デスクなどを歴任。北陸本社編集局次長などを経て東京本社編集局編集委員で定年退職。引き続き特別嘱託として編集委員を務め2013年暮れに完全退職。『台湾で、見つけた日本人が忘れた「日本」』『新聞記者は何をみたのか 検察・国税担当』(ともに講談社)、『がんと明け暮れ』(弓立社)など多数。近著に『不死身のひと』(講談社)がある

今年7月に刊行された『不死身のひと』の著者である村串栄一さんは、2004年以降、食道がんを5回、中咽頭がんを3回、舌がんを2回、胃がんと下咽頭がんを各1回経験した多重がんサバイバーである。

彼は次々に出現するがんや脳梗塞などの病いとどのように向き合ってきたのだろうか?

瓢箪からコマで見つかった胃がん

がん患者の中には、様々ながんを経験しながら、その都度、早期発見早期治療で乗り切り、社会の第一線で活躍している人が少なくない。長い新聞記者生活の後、ノンフィクション作家に転じて68歳の今も健筆をふるっている村串栄一さんも、その1人だ。

彼が最初に経験したのは胃がんだった。

2004年3月、中日新聞北陸本社(金沢)に単身赴任していた村串さんは、同僚らと夜お酒を飲んで帰宅したあと、明け方近くに息苦しさを覚えるようになり呼吸困難に陥った。

救急車で担ぎ込まれた総合病院で直ちに当直医の診察を受けたが、告げられた病名は過換気症候群。主に精神的なストレスが引き金になって発症し、呼吸困難、手足の痺(しび)れ、頭痛、動悸亢進などを引き起こす疾患である。

この時は安定剤を投与されたあと横になっていたら、すぐに良くなったが、その後も激しい呼吸の乱れがあったため、村串さんは救急車で担ぎ込まれた総合病院を再度訪ねて診察を受けた。

応対した医師は、過換気症候群は精神的なストレスが原因で起きるものと決めてかかっていたため、精神科の領域で扱うのが適当と判断し、心療内科で診てもらうよう勧めた。

そうは言われても、村串さんは何かに強い精神的ストレスを感じている実感がなかったので、その勧めに従わず、会社提携医を訪ねて内科のT医師に診てもらった。

T医師は村串さんからこれまでの経緯や出た症状を聞き出し、さらに日頃の生活習慣についても尋ねたあと、心臓のカテーテル検査と胃の内視鏡検査を受けることを勧めた。

それまでの経験からT医師は過換気症候群が精神的なストレスが原因でなるケースだけでなく、狭心症、胃の炎症、逆流性食道炎などが遠因になって生じるケースもあることを知っていたのだ。

村串さんは心臓のカテーテル検査では異常が見つからなかったが、内視鏡検査で胃に小さながんの病巣があることが分かった。

「がんは早期で、浅いところに限局しているから内視鏡手術で大丈夫でしょうということでした。そう言われても、がんを告知されるのは初めての経験ですから、ショックは結構ありました」

根治(こんち)させるには手術を受けるしかない。そのことを理解した村串さんは、金沢の病院ではなく東京築地の国立がんセンター中央病院(当時)で内視鏡手術を受けることにした。

「自宅は川崎にあり、金沢は単身赴任でしたから不便が多いと思ったんです」

がんセンター中央病院で、再度詳しい検査を受けたところ、胃のほかに、食道の3カ所に微小ながんがあることが判明した。そのため内視鏡手術では、この3つの小さな食道がんも併せて取ることになった。

2017年4月。がん研究センター中央病院のラウンジから見た築地市場

内視鏡手術は4月下旬に行われ、何事もなく終了した。

村串さんはどのがんも小さいので、内視鏡でとってしまえば、それで終わりだと思っていた。しかし、そうはならなかった。

「胃にできたがんが、当初の予想より深く浸潤していて粘膜下層に少し入り込んでいたので、リンパ節に転移している可能性が出てきたんです」

ただ転移している可能性は20%程度で、しばらく経過観察をして転移があることがはっきりしてから手術でとるという選択もあった。手術を選択した場合、胃の3分の2切除とリンパ節廓清が行われるため、体が受けるダメージもけして小さくない。

村串さんは、すぐに手術を受けるか、経過観察を選択するか迷ったすえ手術を選択した。

「経過観察だと自分の体の中に、がんがあるかもしれない状態が続くので、それよりは、多少ダメージがあっても取ってしまったほうがさっぱりすると思ったんです」

手術は04年7月下旬に行われ、予定通り胃の3分の2切除とリンパ節廓清(かくせい)が行われた。切除された21個のリンパ節は病理検査に回され転移の有無を調べる作業が行われたが、1つも見つからなかった。

使用されたのはシスプラチンと5-FU

2009年1月。台北のお寺でがん快癒祈願

このがん初体験のあと、村串さんはがんに取りつかれたようになり、翌2005年7月に2度目の食道がん、08年2月に3度目の食道がん、同年4月に中咽頭がん、同年9月には4度目の食道がん、さらに09年4月には5度目の食道がんが見つかった。

このうち、05年から08年にかけて見つかったがんは、どれも早期の表在がんであったため5、6日入院して内視鏡で取ってしまえば、それで終わりになった。

しかし、09年4月に見つかった5度目の食道がんは、そうはいかなかった。

「このがんも大きさは4㎜しかなかったので、お医者さんから、内視鏡手術で切除すれば大丈夫だと言われていたんですが、詳しく調べると顔つきの悪いタイプだったんです。6月に内視鏡手術を受けたとき切除した組織を調べたら、がん細胞が粘膜下層に浸潤しかけている状態で、リンパ管からがん細胞が1つ見つかったんです」

それにより30~40%の確率で微小転移している可能性が生じたため、予防的に抗がん薬と放射線の併用療法を受けることになった。

手術が選択されなかったのは胃がんの手術と比べて食道がんの手術は格段にリスクが高いからだ。村串さんの場合は、胃の3分の2を切除しているため胃で代用食道を作ることができず、腸を切り取ってつなげる大掛かりな手術になる。そのためリスクが格段に高かった。

ただ抗がん薬、放射線とも高い確率で副作用が出る。とくに食道がんの治療に使われる抗がん薬は強い副作用が出ることで知られるシスプラチンと5-FUである。不安はなかったのだろうか?

「その頃は抗がん薬に関する知識がほとんどなかったので、開始前に有害事象(副作用)に関する詳しい説明があったんですが、軽く考えていました(笑)」

抗がん薬と放射線の併用療法は7月上旬にスタートした。

抗がん薬はシスプラチンと5-FUが使用され、数日入院して1回目の投与を受けあと、5週間後に再度数日入院して2回目の投与を受けるというスケジュールだった。

それと並行して行われる放射線療法は期間が5週間で、土曜日曜と祝日を除く毎日、国立がんセンター中央病院に通院して照射を受けるというスケジュールだった。

副作用はどうだったのだろう?

「7月上旬と8月上旬に、数日入院して抗がん薬の投与を受けたんですが、1度目の投与のときはこれといった副作用が出なかったんです。しかし2度目の投与のあと、1週間くらいしてから、食欲がまったくなくなり、激しい疲労感に襲われるようになりました。ひどい便秘にも悩まされましたが、なんといっても1番つらかったのは、水を1日2ℓ飲まなくてはいけないのに、飲み込めなくなったことです」

医師が1日2ℓ水を飲むように勧めたのは、シスプラチンの強い腎毒性を弱めるためだ。村串さんはそのことを理解していたので、頑張って毎日2ℓ飲んでいたが、放射線の副作用で食道に炎症が起き、食物の通り道が極端に狭くなったため水を飲み込むのに四苦八苦するようになったのだ。

シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ 5-FU=一般名フルオロウラシル

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