膵がんステージⅣ「余命7カ月」の宣告。絶望から這い上がり完治した男の物語

「ゴミになってたまるか」(後編)

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
(2018年12月)

  

川嶋勝美さん(協同組合タッケン理事長)

かわしま かつみ 1948年4月13日青森県蓬田村生まれ。早稲田大学中退。銀座でたこやき屋を手始めに青森博報堂、家具のキノシタ、協同組合タッケンに創立時から参画。現在、同理事長。NPO法人ライフサポート青森代表、NPO法人青森地域再生コモンズ代表。2007年膵がんステージⅣを宣告され、2017年12月がん患者としての保護観察終了。著書に『すい臓がんステージⅣから還ってきた男』(タッケンホールディングス刊・アマゾンでも販売中)がある

膵がんステージⅣと診断されながら幸いにも手術可能だったが、術前には74㎏あった体重は術後51㎏まで落ち、歩くのがやっとの状態だった。しかし、川嶋さんは「ゴミになってたまるか」と抗がん薬治療の副作用に耐え、奥さんの助けを借りながら、何としても生き抜くことを決意したのだった。そしてその日はついにやって来た――。

2冊の座右の書との出合い

青森県雲谷高原でリハビリを兼ねたトレッキング

退院後2週間ぐらいしてから、川嶋さんはリハビリを兼ね昼食後、自宅近くの堤川の土手の散歩を散歩することにした。もちろん1人では歩けないから、奥さんの腕に縋ってトボトボと足を引きずりながら歩いた。

仕事は、退院した翌日の3月31日から出社した。朝8時30分に出社して、9時からの朝礼に出る。初めの頃はただ無言で座っているだけで、10分ぐらいで退社する。それを、30分、1時間、2時間、午前中と段々と仕事場にいる時間を増やしていった。

「決まった時間に仕事場に出ることは、気分転換にもなり、目標にもなった」と川嶋さんは言う。ただ、自身の病気については家族以外、周囲には「胃を3/4、手術で取った」とだけ話していて、「膵がんステージⅣ」だということは内緒にしていた。

川嶋さんは膵がんになったことで、自分の病気を知るべくがんに関する専門書を片っ端から読みまくり、ネットで医療情報も積極的に集めた。

「膵がんが大変な病気であるのはわかったのですが、その結果気持ちがどんどん落ち込んできて、もう助からないのだと思うようになりました」

そこで川嶋さんは医学書や病気の解説書を読むのを止め、がん闘病記を読むようになった。

その時、出合ったのが弁護士・小野允雄(まさお)さんの大腸がん闘病記『余命半年からの生還』だった。そこには5年生存率ゼロと宣告されながら、がんを克服して生還するまでが克明に記録されていた。

「私のように絶望的ながんから生還した人がいたことで、頑張ろうという気持ちが湧いてきました」

そして、小野さんの本の中には、川嶋さんにとって強烈な言葉が書かれていた。それは元検事総長の伊藤栄樹(しげき)さんの著書『人は死ねばゴミになる』だった。

早速、本を取り寄せて川嶋さんは貪るように読んだ。

この頃、抗がん薬の副作用の苦しさに耐えて仕事を続けてこられたのは、1つには「人は死ねばゴミになる」という言葉との出合いがあったことも大きい、と川嶋さんは言う。

「この言葉を思い出すと、俄然生きるための闘争心が湧いてきました。抗がん薬の副作用の苦しさに負けたらゴミになってしまいますからね」

川嶋さんは今でも『余命半年からの生還』と『人は死ねばゴミになる』の2冊を座右の書としている。

5年間続けた例はゼロです

抗がん薬治療を始めて5年が経った頃、川嶋さんは主治医の齋藤さんに、「5年経ったことだし、そろそろ抗がん薬治療を止めてみたらどうかと思うのですが……」尋ねてみた。

すると齋藤さんは、「膵がんの患者さんで、抗がん薬治療を5年間続けた例はゼロです。ここで治療を止めていいのかどうか、正直迷っているのです」と返答があった。

そして、弘前大学附属病院の袴田さんからの申し送り書に、「がん細胞がすべて取り切れていない可能性があるので、それを叩くための抗がん薬治療を続けて欲しい」旨、記載されていることを、5年ぶりに川嶋さんに明らかにした。

「もし、5年前にがん細胞が取り切れていないかもしれないと知らされていたらと思うとゾッとします。齋藤先生の配慮には感謝の言葉しかありません」

「再発、転移の可能性あり」

「すべてのことに感謝の気持ちを持つようになった」と話す

2012年3月2日は、抗がん薬治療の最終日だった。

「これでお終いだ」と思った川嶋さんだったが、血液検査のデータを見て衝撃を受けた。白血球、腫瘍マーカーともに数値が大きく跳ね上がっていたからだ。

主治医の見解は、「再発、転移の可能性あり」ということだった。

「不安で、不安で、何かしていないと落ち着かない思いで一杯でした」

その後、PET検査・CT検査の結果では「再発・転移の徴候はなし」とのことで、川嶋さんは一安心したが、「ここまで来て、がんに負けてたまるかとの気持ちも強かったんですが、この間の不安といったら本当につらいものでした」と本音で語る。

心配していた腫瘍マーカーの数値も80から52に下がっていた。

ただ抗がん薬治療は一応、終了となるが、1カ月ごとに血液検査、3カ月ごとにCT検査をすることになった。

「抗がん薬治療が一応終了したことで自信がついて、やっと周囲の人間に自身のがんを公表することが出来きました」

膵がん公表後、友人たちに話を聞くと、半信半疑の者や、川嶋さんの姿を見てあのときは正直もうダメだと思っていた者が大多数だった。

事実、川嶋さんの後に膵がんになった人は、1~2年で全員亡くなっているという冷徹な事実が存在している。

がん治療から糖尿病治療へ

5月7日、CT検査の日に主治医の伊藤智子さんから「がんの転移、再発はありませんが、糖尿病の疑いがあります」と告げられた。膵がん治療で膵臓の一部を切除している川嶋さんは、インスリンが不足して糖尿病の症状が出てきたのだ。腫瘍マーカーが上昇したのはそのせいだったのだ。

川嶋さんは県立中央病院で「1カ月の教育入院」を命じられ、がん治療から糖尿病治療にメインは移ることになった。

糖尿病治療中のある日の朝食と昼食のお弁当

実は川嶋さんは膵がんステージⅣの宣告を受けてから、生活習慣をそれまでのものから180度変えていた。以下それらを羅列する。

①考え方=週刊誌だけでなく多方面の本を読む。全てに感謝の気持ちを持つ
②行動=酒・煙草を止めた
③生活=朝・昼・晩の生活習慣を変え、ルールを作り守った
④食事=肉食中心を菜食、魚食中心に変えた
⑤運動=毎日、散歩やラジオ体操をやる(ココロと脳と身体の運動)
⑥人との付き合い=酒中心の付き合いからコーヒー中心のほどほどの付き合いにした

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