グリオーマ、悪性リンパ腫、骨髄性白血病と3度のがんを乗り越えられた理由 娘の20歳の誕生日までは死ぬわけにはいかない・前編

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2019年9月
更新:2019年9月

  

高山知朗さん 株式会社オーシャンブリッジ・ファウンダー

たかやま のりあき 1971年長野県伊那市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)戦略グループで各種コンサルティングプロジェクトに従事。その後、Web関連ベンチャーを経て、2001年、海外のソフトウェアやクラウドサービスを発掘して日本語化し、日本企業向けに販売する株式会社オーシャンブリッジを設立、代表取締役社長に就任。2011年7月、悪性脳腫瘍(グリオーマ)摘出手術を受ける。2013年5月に悪性リンパ腫を発症。7カ月の抗がん薬治療を受ける。2017年2月、急性骨髄性白血病を発症、さい帯血移植を受ける。同年2月オーシャンブリッジの株式を売却、同社ファウンダーに。著書に『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』(幻冬舎)がある オーシャンブリッジ高山のブログ

30歳でIT関連会社を起業した高山知朗さんは40歳のとき、スイスのチューリッヒ空港で倒れ、グリオーマ(悪性脳腫瘍)と告知。幸いにも手術で一命を取りとめたもののその闘病から2年後、今度は左足に激痛が走り悪性リンパ腫が発覚。7カ月に及ぶ抗がん薬治療の末、悪性リンパ腫を克服。しかし、病魔はなおも高山さんに襲い掛かる。2017年2月、急性骨髄性白血病を発症。3度のがんを乗り越えてきた高山さんにその壮絶な体験と闘病生活を支えた強い思いを2回に渡って訊く――。

『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』(幻冬舎)

 

チューリッヒ空港で突然、意識が

IT関連企業、オーシャンブリッジの社長だった高山知朗さんに異変が起こったのは、ヨーロッパ出張から帰国するために向かったスイス・チューリッヒ空港でのことだった。成田への乗り継ぎ便の搭乗ゲートが開くのをベンチに座って待っていた。iPhoneをチェックしようとしたときに左の視野が歪み、天地がひっくり返るような感覚になって意識を失って倒れたのだ。2011年6月11日のことである。

「2年ぐらい前から視野の左側が歪む症状に悩まされては、いたんです。眼科で診てもらったのですが、目にはとくに異常はないと言われたんです」

当時、高山さんはかなり度が強いレンズをかけていて、眼科医から「目に負担が掛かっている可能性もあるのでレンズの度を弱めて、それでも良くならないようなら、頭を検査してもらったほうがいい」と言われていた。

早速、眼科医の忠告に従ってメガネの度を弱めると、その症状が良くなったような気がした、のだと言う。

「実際はそれまでの症状は出ていたのでしょうが、前よりは良くなったと思いたかったのでしょうね。結局、頭のほうの検査はしなかったんです」

しばらくして意識が戻ると、ベンチの下に倒れていてメガネも飛んでしまっていた。

傍にいた日本人の乗客が付き添ってくれ、空港内にある救急センターまで車椅子で救急スタッフに運び込まれた。

「救急センターの医師は、『脳に異常があると思われる。だからチューリッヒ市内の病院に搬送して検査をすることになる』と言うのです。それを聞いて『冗談じゃない』と思ったんです」

実は高山さんはスロベニアで仕事をしているときに奥さんから1歳の娘が肺炎で入院したと、のメールを受け取っていた。だからこそ出張予定を1日繰り上げて帰国の途に就くために、チューリッヒ空港にいたからだ。

高山さんは医師に「自分にとって大事な娘が肺炎で入院している。だから予定の便に乗って帰国しなければならない」と強く訴えた。

しかし、医師も「絶対に認める訳にはいかない。このままあなたを飛行機に乗せて、もし何かあったらその便はチューリッヒに引き返すことになるからダメだ」と譲らない。

押し問答の末、高山さんの娘に対する強い思いに負けた医師は「それなら、その便に乗ったらすぐにこの薬を飲んで寝て帰国することと、日本に着いたらすぐに脳神経外科に行って頭の検査をすること」と、帰国便に乗るための2つの条件を出してきた。

飛行機に搭乗すると、医師からもらった睡眠剤を飲み、機内食も摂らずズーッと眠って帰国の途に就いた。

グリオーマ、グレード3か4と診断

成田に到着するや、その足で娘の入院している病院に直行。元気そうな娘の顔を見て安心した高山さんは翌日、自宅近くの脳神経外科病院をネットで探し、脳のMRI検査を受けた。

その検査画像を見た医師は「頭に腫瘍がありますね」と告げた。

「頭に何か問題があるだろう」と覚悟していたものの、改めて医師から頭に腫瘍があると告げられ、心穏やかな気持ちではいられなかった。

画像右は手術前の脳のMRI画像。右後頭葉に直径3~4cmの腫瘍が白く写っている。画像左は手術後の画像。腫瘍を摘出した跡には黒い穴が空いている。

早速、友人の放射線医に、腫瘍のことを相談すると、その検査画像を見せてほしいと、娘が入院していた病院までわざわざ取りにきてくれた。

そして「もし仮に脳腫瘍だったとしたら、東京女子医大病院で手術したほうがいい」とも言ってくれた。彼の兄も東京女子医大病院の放射線医で、脳腫瘍の治療成績は東京女子医大病院が圧倒的に優れていることを学会の発表などで知っていたからだった。

「彼のお兄さん経由でその画像を東京女子医大病院の脳神経外科の先生に見てもらったところ、おそらくグリオーマ(神経膠腫:しんけいこうしゅ)だろうということだったんです」

友人の兄経由で東京女子医大病院に診察の予約を入れてもらい、脳神経外科の村垣善浩教授の診察を受けることになった。

「村垣先生は、『これはグリオーマ、神経膠腫という脳腫瘍ですね。グレード(悪性度)はおそらく3か4でしょう。グレードが3なのか4なのかは、手術でがん組織を採取して病理検査をしてみないと確定はできません』と言われました」

そしてグリオーマについての説明資料に記載されていた5年生存率の数字の低さに、高山さんは驚いた。そこには5年生存率の全国平均はグレード3の場合25%、グレード4の場合は6%と記載されていたからだ。

ただ、東京女子医大病院での治療成績は、グレード3の場合の5年生存率は78%と2011年当時、全国平均を大きく上回っていた。しかし、グレード4の場合では5年生存率は全国平均を上回るものの13%に留まっていた。

「この治療成績の良さは手術室の中でMRI撮影ができる『術中MRI』を村垣先生のチームが主導し、メーカーと一緒になって開発したことが大きいと思います」

MRIは核磁気共鳴画像法と呼ばれ、被験者に高周波の磁場を与えて体内を撮影するため被験者は体から金属類はすべて外さなければならない。

「手術器具は当然のことながら金属類が多くあるので、手術室にMRIを置くためには手術用具も金属製のものから非金属性のものに変えなければいけません。ですから手術器具メーカーも一緒になって開発したそうです」

術中MRIが開発される前は、術前にMRIを撮影して頭のこの辺りにこのくらいの腫瘍があると当たりをつけて腫瘍を摘出していた。

「開頭した場合、脳は圧力の関係で少し潰れるのです。そうすると術前に撮影した画像と同じ場所に腫瘍があるかはわからないんですね。それと正常組織と腫瘍は開頭してみても見分けはつかないのですね。腫瘍を取り切れなければ多くの場合、再発します。

逆に取り過ぎれば運動障害や言語障害が残ります。ですから、それまでの手術では当たりを付けておいて腫瘍を摘出していたんですね。術中MRIが使えれば開頭したままの状態でMRIが撮影でき、腫瘍の取り残しがなくなるわけです」

脳腫瘍で入院中、主治医を質問ぜめにしていた高山さん

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