下着のプロは転んでもただでは起きなかった 乳がん患者を含む、女性のための美と健康のケアが目的の下着作りを目指す

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2019年11月
更新:2019年11月

  

西沢桂子さん 株式会社BRALABO 代表取締役

にしざわ けいこ 1963年生まれ。23歳からフリーのスタイリスト、ファッション誌の編集ライターを経て、42歳で通販会社にスカウトされ下着カタログ編集長。その後、下着の小売り会社でオリジナル商品の開発を手掛けていた2011年に乳がんを罹患、左胸全摘手術をしたことを契機に、退職。2013年9月、「下着と個々の身体の魅力を伝えるため」の下着企画開発会社BRALABOを設立。2015年3月青山にサロン開設。2016年1月、バストメイク型シリコンパットを開発、「手術はしない新しい再建」の販売、サービスを開始する一方、ファッション誌などで下着スタイリスト、通販商品の企画監修、エステサロンブランドの商品企画など下着の専門家として活動している。バンタンデザイン研究所ランジェリー科講師

今年(2019年)7月、人工乳房再建をした乳がん患者に人工乳房挿入後に特殊な血液がんを発症するリスクが高いと製品の回収をアラガン社に要請したとの衝撃的ニュースが米国食品医薬品局(FDA)からもたらされた。(その後、代替品となる新たな人工乳房など2製品が保険適用された)

自身が乳がん患者となり、乳房再建、人工乳房、既製品パッドとは全く発想の違う「着用する乳房再建・バストデザインツインセット」を開発した西沢桂子さん。乳がんになったことは嫌なことだけど、下着とファッションの知識が新たな場面で生かされキャリア冥利に尽きる、と語る西沢さんにその思いを訊いた。

ブラジャー研究の知識を請われて下着会社にヘッドハンティング

専門学校でランジェリーデザイン科の講師を務めて、若いこれからの方たちを応援

20代から30代前半まではファッション誌のフリーの編集兼スタイリストとして、30代前半からはファッション誌など編集ディレクターをしていた西沢桂子さんは40代前半、独学で研究していた下着知識の深さを買われて大手通販会社の下着部門の課長としてスカウトされた。

その会社での主たる仕事は、モデルやタレントとのコラボ商品の作成や下着通販カタログの製作だった。

「マーチャンダイザー(仕入れ販売係)たちが年間にブラジャーを100番以上も挙げてくるんです。一見、全部同じものに見えてしまうものを、ビジュアルとコピーで全部違う商品としてお客さまに買っていただけるようアピールしなくてはなりません。そこでかなり細かく下着のこと、とくにブラジャーの設計の専門知識を勉強することができました」

下着の工場やメーカーに行くことも多く、ブラジャーのものつくりの知識も身に着けていった。

しかし、もっと開発やものつくりをしたいとそこを2年で退職、今度は下着の小売りを多店舗展開している会社から「オリジナル商品の開発をしてみないか」と委託契約の誘いを受けた。

ブラジャーの専門知識を生かした仕事をしたいと考えていた西沢さんだが、その会社との委託契約を受けるべきか、迷っていた。それは、本社が名古屋にあり、東京に住んでいた西沢さんは住まいを移すことに躊躇していた。

そんな西沢さんの迷いを知った社長は「頑張ってくれれば1年後には本社を名古屋から東京に移しましょう」と約束してくれたのだった。

その言葉で住まいを名古屋に移すことを決心し、会社との委託契約を結んだ。

会社の勘違いで手配された健康診断を受けて発見

水を得た魚のように忙しく立ち働いていた西沢さんの1年は、またたく間に過ぎていった。

約束通りいよいよ東京に本社を移すことになり、忙しくその準備をしていた最中、会社の総務から健康診断に行くよう勧められた。

「当時、私は病気に関する意識が低くて、胃の健診ぐらいしか思いつかなく、乳腺科や婦人科の健診などは、はなから考えていませんでした。ところが総務が乳腺や子宮の検査のオプションを入れていたんですね。当時、とても忙しくてそんな検査なんか受けている時間はないので、総務に抗議の電話を入れました」

すると、「うちの会社はほとんど女性で、みんなそれを受診するので、西沢さんも当然受診するものだと思って入れておきました」という返答だった。そういうことならと、乳腺科の健診を受診した。

すると結果は、精密検査が必要なD判定だった。

何しろ東京に本社を移すことなど、頭の中は仕事のことでいっぱいだった西沢さんはD判定を受けても「この仕事を終えなければ何もできない」と、さほど深刻には考えていなかった。

何とか時間を作って名古屋の乳腺専門病院で精密検査を受けると、ステージⅠの乳がんと診断された。

仕事をすれば、私生活を犠牲にしても仕事に専念する性格の西沢さんは、今度は乳がんの治療に専念するため、会社を休職、それまで担当していた仕事はすべて手放した。

2011年、西沢さん48歳のときである。

休職し治療に専念する中、装いが支えとなり起業

起業して「下着とファッションの知識が新たな場面で生かされ、生き抜いていく力をお客さんからいただいて感謝している」と語る西沢さん

休職した西沢さんは、実家のある新潟に帰郷した。

なるべく身体に負担の少ない内視鏡手術を選択するため、医師を捜してしばらくの間、東京と新潟を行き来する生活を送くることになった。

当初は乳房温存手術の予定だったが、術後の病理診断の結果、断端(だんたん)陽性と判明して再度、左乳房全摘手術を行った。

「左胸を全摘したことで左右のバランスラインを失ってしまい、言葉で表せない苦しみを感じ、いままで持っていた華やかな生活環境も(そのときは)なんだか自分には似合わないことに思えてきました」

しかし、心はモノクロの世界を彷徨いながらも、ブラジャーを工夫し思い通りに装うことで自分を奮い立たせているうちに、自分が強くなってきていることを感じた。

西沢さんは休職していた下着の会社に戻ることを止めて、起業することを考え始めた。

「いずれは、美容か下着か、ファッションで起業したいと思っていたので、女性が装うことで癒されたり安心したり自信を取り戻せるそんなブラジャーを開発する会社をやろう! と決めました」

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