その人らしく輝いて生きるためのお手伝いがしたい がん患者らしくではなく私らしく
塩崎良子さん 株式会社TOKIMEKU JAPAN 代表取締役社長
華やかなアパレルの世界に生きていた塩崎良子さんは34歳のとき、トリプルネガティブの乳がんと診断され、術前化学療法を始めて1ケ月で副作用に苦しめられ店舗を閉鎖し、治療に専念。その後、右胸を全摘。―なにもかも失ってしまったと思った塩崎さんは一時、絶望の淵に立たされたが、転院先の病院での主治医のひと言に自身の役割を見出だし、新たなビジネスの世界に旅立つことになる――。
トリプルネガティブの乳がんと診断される
2013年の12月末、イタリアにパーティドレスなどの買い付けに行っていたときのことだった。
ソフトクリームを食べていた塩崎良子さんはアイスを胸元にこぼしてしまった。ハンカチで拭こうとして胸元に触れたとき、右胸にゴルフボール大の硬いしこりがあるのに気付いた。
「実は以前から右脇に違和感があって、脇が閉じにくい感じがしていたのですが、太ったのかな、程度にしか思っていませんでした。呑気なんですね」
それまで乳がんの検診は一度も受診したことがなく、35歳過ぎたら、行ってみようかぐらいにしか思っていなかった塩崎さんだが、さすがに心配になり帰国するや直ぐに近所の乳腺クリニックで生検を受ける。
年明け早々、悪性、と告知され、がん研有明病院で改めて精密検査を受けた。
「結果、脇にも転移があってホルモン薬が効かない『トリプルネガティブ』の乳がんだと診断されました。乳腺クリニックで検査を受けてから、乳がんの本を、読んでいたので『トリプルネガティブ』の乳がんがどんなタイプなのかは知識として知っていました」
主治医から「腫瘍が大きいのですぐに手術ができない」と言われ、腫瘍を小さくするための術前化学療法が始まった。
最初は、5-FU(一般名フルオロウラシル)+ファルモルビシン(一般名エピルビシン)+エンドキサン(一般名シクロフォスファミド)のFEC療法を行い、次にパクリタキセル(一般名同じ)の単剤投与を受けた。
塩崎さんは当時、衣装のレンタルビジネスの会社を経営していたので抗がん薬治療中も店舗にも立つなどしていたが、抗がん薬の副作用で髪の毛が抜けたり、顔が黒ずんだりする自身の姿を見て、いまの自分の姿はこの仕事にはそぐわないと、抗がん薬治療開始1カ月で会社を閉め、治療に専念することを決意する。
「私が扱っているドレスはパッピーな気分のときに着てもらうものなのに、いまの自分の状態との乖離が感じられて、これ以上、続けられないなと思いました。乳がんを宣告されたときよりもこの決断をしたときのほうが数倍つらかったですね」
人生を変える転院先での主治医との出会い
「最初のFEC療法では腫瘍は少し縮小したんですが、次のパクリタキセルでは逆に大きくなり、大きい腫瘍以外にも怪しい腫瘍が複数あって、『1つずつ検査をしていくのは大変だから全摘したほうがいいです。すぐに手術しましょう』と言われ、右胸全摘手術を受けました」
まだ33歳と若い塩崎さんに乳房を全摘するということへの迷いはなかったのだろうか。
「右乳房を全摘すると聞かされても実感が湧いてこなくて、それよりも自分の体内にあるがんのほうが怖かったので右胸がなくなることよりも、がんをさっさと取り除いてほしいという気持ちが勝っていました」
ホルモン薬が効かないトリプルネガティブの乳がん患者である塩崎さんは手術後、放射線治療を行う。当時は全摘したあとに放射線治療は日本では標準治療ではなかったのだが、アメリカでは推奨されおり怪しい腫瘍が複数あったことで、やれる治療はなんでもやりたいと思っていた塩崎さんは放射線治療を推奨していた聖路加病院に転院することにする。
「抗がん薬の効き目があまり良くなかったこと、私も若年性乳がんで、親族に若年性がんを発症する者が多かったので、もしかして遺伝子変異があるのではないかと思い遺伝子変異を調べる治験を行っている病院を探して聖路加病院に紹介状を書いてもらったんです」
結果、治験には参加できなかったものの、その病院で出会った主治医から新しい事業を始めるきっかけになる言葉をもらう幸運に恵まれることになる。
よし、もう一度起業しよう
人生の出会いとは不思議なものである。
その主治医は塩崎さんをがん患者としてではなく1人の女性として扱ってくれた。
そんな打ち解けた雰囲気の中で、これまでの仕事のことや乳がんになって店を閉じ、在庫のパーティドレスが自宅に足の踏み場もないくらいあることなどの話しをした。
「しばらくして、先生からそれらのドレスを使って『がん患者さんを対象にしたファッションショーをやりませんか』、と提案されたんです」
提案されたものの、所持していたドレスはわりと派手目なドレスばかり。がん患者さんが着たいと思うか、また着こなせるだろうか、迷った、という。
しかし、年上のがんサバイバーの友人から「一生に1度でいいからおしゃれをしてみたい」と聞かされて、その迷いは吹っ飛んだ。
そして乳がん学会の最終日にがん研有明病院で、「患者らしくではなく私らしく」というテーマでがん患者のためのファッションショーを開くことになった。
ショーを開くに当たって、出場者1人ひとりと面談して、ドレスを決めて、スタイリングもした。
「ショーのクォリテイが低いと可哀そうな人たちが、がんばってなんかやってると思われると物哀しい雰囲気になる。そう思って、ヘアーメイクもプロのかたにお願い、音楽も本物のファッションショーに近い構成だったので、皆さん、高揚感を感じてもらったのだと思います」
塩崎さんの大奮闘があり、ファッションショーは見事、成功裡に幕を閉じた。
「どの患者さんも堂々としていて、見事にドレスを着こなしてらっしゃいました。1人ひとりにそれぞれの物語があって、ファッションはその人の物語と共に着るものなのだ、と改めて学ばされました」
そして塩崎さんは、帰りの電車の中で「よし、もう一度起業しよう」と決意した。
「おしゃれすることは、がん患者さんであっても生きる力になるんだ、と実感したからです」
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