アスリートフードマイスターの資格を生かした料理家の道に 若くして難治性の子宮頸部腺がん闘病から得たもの

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2020年3月
更新:2020年3月

  

早坂英里さん 料理研究家・Eri’s Kitchen代表

はやさか えり 1984年宮城県仙台市生まれ。高校時代は少林寺拳法部に所属、全国大会に出場。大学卒業後、大手損害保険会社に入社。2017年9月、子宮頸部腺がんと診断され広汎子宮全摘手術を受ける。翌年12月、以前のように体力が戻らず12年間務めた会社を退職。子どもたちの体力づくりをサポートするため以前から興味のあったアスリートフードマイスターの資格を取得。現在、自宅等で料理教室を開いている

仕事に家事に育児にと大奮闘中の早坂英里さんは2017年9月、33歳を迎えたばかりで子宮頸部腺がんと診断された。10時間に及ぶ広汎子宮全摘手術を受け、がんを取り除くことはできたものの体力が思うように回復せず、12年間務めた大手損害保険会社を退職。がんになる前は完全主義者だった早坂さんだが、がんになって気づいたことがあるという。闘病のつらさとその気づきを訊いた――。

大量の不正出血が

クリニックの検査で「がんじゃなくて良かったね」と告げられたのだが

大手損害保険会社で事故の示談交渉を担当していた早坂英里さんは、5歳2歳の男の子の育児に、仕事に家事にと、それはそれは忙しい日々を送っていた。

そんな早坂さんが、体調の変化に気づき始めたのは2017年のGW明けのことだった。

「大量のおりものがあったり、お腹が痛くなったりしていたのですが、女性特有の症状ぐらいにしか考えていませんでした」

でもこれはおかしいと感じ始めたのが7月末。まだ、生理が来るには早いのに大量の不正出血があったからだ。

たまたま仙台にいる母から電話が入ってきた。このことを母に相談すると、すぐに病院に行くよう勧められ、保育園に次男を迎えに行く前に、園の隣にある婦人科クリニックを受診した。

医師からは「大きいポリープが出来ていますが、良性なら放っておいても大丈夫」と言われたのだが、念のために子宮頸がんの検査をすることにした。

「検査結果はお盆明けに」と言われ、クリニックを後にした早坂さんは「放っておいて大丈夫なんだ」と胸を撫で下ろした。

カーテンの向こうが急に騒がしくなった

お盆明けに検査結果を訊くためクリニックを訪ねた早坂さんに、医師は「がんじゃなくて良かったね」と告げた。

ほっとした早坂さんに医師は続けて「ポリープは取っても取らなくてもいいけど、出血などで気になるなら取ったほうがいいよ。ただ、ポリープが大きいのでここでは取れないから」と、近くにある日赤医療センターを紹介された。

クリニックで診断を受けてからは不正出血はなかったものの、大量のおりもの(当時は尿漏れと思っていた)に悩まされていた。

「やはり、ポリープを取ってもらおう」と、8月末に有給を取り日赤医療センターを訪れた。

これまでの経過を担当の女医に説明し、内診が始まった途端、カーテン越しに「うっ!」という声が聞こえ「○○先生を呼んできて」と急に騒がしくなった。

そのとき早坂さんは「ポリープなのになんでこんなに騒がしいのだろう、余程大きいのかな」くらいにしか考えていなかった、という。

女医から「ポリープと体がんの組織診をします」と言われ細胞を採取された。

内診と組織診が終わると「クリニックで良性のポリープと言われたということですが、ポリープの表面が鶏のトサカのようになっていて、悪いポリープの可能性もあります。正確な診断は組織診の結果を待たなければなりませんので、1週間後にお越しください」と告げられた。

「クラスⅤ 悪性腫瘍 腺がん」

検査から2日後の金曜日。仕事が終わって帰宅しようとした早坂さんのスマホに女医から連絡が入ってきた。

検査結果は1週間後と言っていたのに病院から電話があるのは、ただ事ではないと思いながらドキドキして電話に出ると「検査結果が出ました。早くお知らせしようと電話しました」と告げられた。

心配の余り「結果をいま教えて欲しい」と頼んだが、女医は会ってお話したいので「明日、病院に来れますか?」と訊ねてきた。

土曜日は日赤医療センターは休みだが、女医はオペが入っていて出勤しているので、とのことだった。

「女医さんの声のトーンも気になったし、そこまでして早く結果を伝えるというのは余程、悪いのじゃないか、でもクリニックでは良性と言われたし……」と早坂さんの胸は希望と不安とに押し潰されそうになっていった。

9月2日、夫と2人の子どもと揃って日赤医療センターに向かった。

約束の時間に病院に到着したものの、手術が長引いたのか早坂さんになかなか声はかからなかった。子どもたちがぐずり始めたので、夫は病院の外にある庭で遊ばせるため席を外すと、すぐに呼び出しがかかった。

「急に呼び出してごめんなさい。今日はおひとり?」

「いえ、主人と子供たちは外で遊んでいます」

「ご主人を呼びますか?」

「子どもたちと遊んでいるので1人で大丈夫です」

そう応えると主治医はペーパーを取り出し、「組織診の検査結果は、クラスⅤ、進行性のがんでした」と告げ、検査結果が書かれているペーパーを早坂さんに渡した。

そこには「クラスⅤ 悪性腫瘍 腺がん」と書かれていた。

「えっ、私ががん? この間のクリニックの検査結果は何だったの。しかも進行性のがん! 腺がんの意味はよくわからなかったのですが、悪性腫瘍はなんとなく悪いものだということは知っていました」

初めて見た夫の涙

主治医が病状を説明してくれているのだが、頭がボッーとして一向に頭に入ってこなくて、紙に書かれた文字を何度も目で追うことしかできなかった。

そんな早坂さんを見て、主治医は「ご主人呼ぶ?」と声を掛けてきた。

その声で我に返った早坂さんはスマホを取り出し連絡を入れ、診察室に来てくれるよう頼んだ。

「夫が来ると、先生は私にしてくれた説明を夫にもしてくれてました。私はといえば、そのペーパーをただ眺めてボッーとしてました。説明を聞いていた夫は、今後どうすればいいのかを、先生に訊ねていました。先生はここでは婦人科系の手術の症例が少ないので、他の病院を調べてもらって、紹介状を書くので月曜日に来てください、と話していました」

その日は長男の小学校の説明会がある日だったので、病院を後にしたその足で会場に車で向かった。

「車内では、涙も出ず、2人とも終始無言でした。説明会場に到着しても、夫はハンドルを持ったままじっとしているので『私が先に会場に行く?』と夫の顔を見ると、先生の前では毅然としていた夫が涙を流していました。その涙を見たとき、『私はがんで、大変なことになっているんだな』と改めて実感させられました」

中学からの同級生で、結婚して7年。早坂さんが夫の涙を初めて見た瞬間だった。

がんと宣告された翌日、資格試験が

将来、食に関する仕事をしたいと考えていた早坂さんは、がんを告げられた翌日に食空間コーディネーターという資格試験が控えていた。

「試験を受けに行く場合じゃないことは、重々承知していたのですが、1年に1度の試験、これを逃したら来年になる。私は来年、生きているのか、いままで仕事しながら出勤前のカフェなどで一生懸命勉強してきたのにそれを無駄にしたくない、と受験することにしました」

夫は「無理して受験することないのに」と言いながらも、試験当日は試験会場まで車で送ってくれた。病院探しをしていた土曜日には受験勉強は一切できなかったが、頑張り屋の彼女は試験会場近くのカフェで2~3時間勉強し、試験に備えたという。

「試験中は、がんのことはすっかり忘れて試験問題に集中できました」

ここらが早坂さんの凄いところだ。普通はがんで頭が一杯になり、とても試験どころではないはずなのに。

子宮頸部腺がんで広汎全摘手術に

病院は、大学病院よりも症例の多い専門病院がいいのではと、夫と意見が一致した。

仙台にいる私の父も同じ病院を勧めてくれた。

月曜日、女医に皆の意見が一致したがん研究有明病院を受診したいと告げ、紹介状を書いてもらった。がん研究有明病院では4日間、毎日MRI、CT、PET-CTなど検査漬けの日々を送った。

主治医からは検査の結果次第で、手術できるかどうか判断すると言われていたのだが、早坂さんにはどうしても10月14日までに退院したい事情があった。

それは2人の子どもたちの運動会が開催される日だったからだ。

「もし手術できたとして10月14日までに退院できますか?」

すると主治医は「じゃぁ今月中に手術の予約を入れないと間に合わないね。なら、一応手術予定日を入れておいてあげる。もし手術ができなくて化学療法をやるならそのときはそのときで考えましょう」と言ってくれた。

1週間後、夫と2人でがん研有明病院に検査結果を聞きに行くと、主治医からこう告げられた。

「子宮頸部腺がんです。腫瘍は大きいですが、ギリギリ摘出することはできます。手術は広汎(こうはん)子宮全摘手術になります。子宮と卵巣、リンパ節も廓清(かくせい)します」

早坂さんは検査に病院に通っている間に、病院に置いてある子宮頸がんの手術を調べていて、「この手術になったら嫌だな」と思っていた術式を告げられたことにショックを受けた。

また、同じ病気での体験談を読んだ中に、卵巣を1つでも残しておいたほうがいい、と書かれてあるものもあったので、「卵巣を1つ残せないか」と訊ねると、即座に「卵巣を残せば転移の可能性が高くなる」と告げられた。

手術の結果、子どもが産めなくなることについては、もともと家族計画として子どもは2人までと決めていて、3人目は考えていなかったので、諦めはついたという。

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