ちょっとした目先のことに目を向け楽しむ 精神科医がS状結腸がん再発で余命宣告されて

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2021年5月
更新:2021年5月

  

青木 正さん 元精神科医

あおき ただし 1958年群馬県桐生市生まれ。84年3月日本大学医学部卒。同年12月~86年3月、国立武蔵療養所(現国立精神・神経医療センター)精神科臨床研修医。同年4月~88年3月、同病院精神障害課程レジデント。同年4月~91年3月、同病院精神科医員(旧厚生省厚生技官)。91年4月~93年3月、渡英し、Cambridge Fulbourn Hospital,Visiting Psychiatristとして勤務。93年4月~00年12月国立精神・神経センター武蔵病院精神科医員(厚生技官)。01年1月~3月医療法人ノーブルメディカルセンターに精神科医師として勤務。同年4月東京都東中野に「あおきクリナック」を開設、院長。21年2月がん治療のため閉院

精神科医の青木正さんが突然S状結腸がんステージⅣと宣告されたのは2019年2月のこと。手術は成功し、抗がん薬治療も功を奏し医師からは「これ以上、何をすることがあるのか」と言われ、治療は終わった。

しかし、20年2月再発が見つかる。コロナ禍で入院が遅れ、6月に入院するも腫瘍は切除できなかった。患者さんへの診察も充分できないと20年間開業していたクリニックを閉院。抗がん薬治療中の青木さんに余命宣告を受けたいま、どのように生きていこうとしているのか、その揺れる思いを訊いた――。

診療中に意識が朦朧として糖尿病科を受診

そのときの万年筆はベストとお揃いの布で奥さんが作ってくれたケースに入れて

東京都東中野で精神科・心療内科「あおきクリニック」を開業していた青木正さんが体の異変に気づいたのは、2018年暮れから翌年の1月にかけてのことだった。

「もともと糖尿病を患っていて高血糖だったのですが、自己治療をしていました。診療中に意識が朦朧としてフラフラするようになったので、さすがに『これはまずい』と思い、伝手を頼って慈恵医大葛飾医療センターの糖尿病科を2月に受診しました」

病院では血液検査や腹部CT撮影などを行った結果、糖尿病はかなり悪化してるが、「まあ、大丈夫。良くなりますよ」、と医師から言われた。気を良くした青木さんは帰りに新宿伊勢丹に寄って趣味の万年筆を買ってお祝いしたほどだった。

突然、S状結腸がんステージⅣと告知される

しかし、事態は思わぬほうへと暗転していく。

翌週、病院に検査結果を聞きに行くと、早速、医師から「困った問題が起きました」と告げられた。

「何か」、と訝(いぶか)る青木さんに「がんがあります」、と先日撮影したCT画像を見せられた。

「見ると確かに画像の下側、S状結腸あたりに影があるのがわかりました。ただ、それまで便秘などの症状はまったくなかったので、『まさか』と思いました。さらに良く見てみると精神科医でもわかる影が肝臓の右葉辺りにもありました」

肝臓の右葉半分にも転移もあり、S状結腸がんステージⅣと告げられた。思ってもみなかったことを告げられ、「これはもうホスピスかな」と思ったという。

学生時代に学んだ医学の知識では、この状態になればどんな治療もできないだろうと思ったからだ。

しかし、すぐに毎年3月にクリニックで開催する「マジックショーは開催できるのか」、ということが頭に浮かんだ。こんな事態なのに何を考えているのだろうかと思った。

医師は「外科を紹介するので、すぐに受診してください」、と告げた。

「こんな状態でも手術は可能なのか」と思った青木さんだが、外科医から「このまま放っておくと腸閉塞を起こしますから、大腸の腫瘍を切除しましょう」と言われた。

「肝臓のほうはどうするんですか」と尋ねると、「化学療法で小さくしましょう」と外科医は言った。

青木さんの病状でも5年生存率は20数%あり、さらに慈恵大学病院では28%と成績が良いことを知らされ、「まあ、そちらに入れればいいかな」と思った。

副作用は想像を超えるつらさだったが

病院から帰宅して、奥さんに「S状結腸がんステージⅣと言われた」と話すと、「バカー」という悲痛な叫びがすぐに返ってきた。

それまで奥さんがいくら勧めても、区民検診を一度も受けたことがなかったからだ。

「検診は意味がないと思っていましたから。だからいまさら馬鹿と言われてもね、今さらどうしようもないしね」

一種の開き直りにも取れるが、青木さんとしてはそう思うことで自身を納得させるしかなかったのだ。

4月に入院、腹腔鏡下手術で患部を切除、3週間後に退院した。

6月に入って抗がん薬治療が開始されたのだが、これが結構きつかったという。

抗がん薬治療はFOLFOX療法:ロイコポリン(一般名レボホリナート)+5-FU(同フルオロウラシル)+エルプラット(同オキサリプラチン)で治療開始してから8日間は吐き続け、9日目にようやく氷を口にできるようになった。10日目ぐらいから重湯になり、その後お粥が食べられるようになった。また、手足の痺れが酷くて、いままで経験したことのない痛みが続いた。

「もちろん医師からは薬の副作用のことは聞かされていましたが、想像を超えたつらさで、ベッドの中で『馬鹿野郎! こんなはずじゃない』、と叫んでいました。そんなつらい期間を過ぎると、強い副作用は出ませんでした。手足の痺れは残りましたが」

抗がん薬治療は6月、7月、8月と3カ月続いた。

造影MRIを撮影して転移した箇所を映し出すと、抗がん薬治療の結果、肝臓にある腫瘍はかなり小さくなっていた。

「がんは肝臓の右葉の後ろのほうに17カ所集中していて、ラッキーにも太い血管である門脈を巻き込んでいなくて、リンパ節には1~2カ所しか転移していませんでした」

治療は順調に進み、8月31日に退院した。

再発し、余命宣告を受ける

「退院後の治療はどうするのですか」と訊ねる青木さんに、主治医は「これだけがんがきれいに取れて、転移もない。これ以上何をすることがあるというのですか」、と逆に問い返してきたという。大腸の主治医は「これ以上、やることはない」、肝臓の主治医も「うまく取れた」と。後はとにかく様子を見ていきましょうという。

青木さんは「最近のがん治療は、すごいものだな」、と思ったという。

しかし主治医は「ただ、うまく取れたけど1年後の再発率は70%だからね」と、付け加えることも忘れなかった。それを聞いて「そんなに再発率があるのか」と思う一方、「でも30%に入れればいいや」というぐらいの感覚でいた。

退院後は2週間に1度の血液検査と、毎月1度の腫瘍マーカー検査を続け、3カ月に1度、CT検査を行なっていた。

最初のCT検査は無事クリアしたが、6カ月後の2020年2月にCT検査やMRI検査をしたところ、肝臓辺縁に小さな腫瘍が2つ、門脈近くに2㎝大の腫瘍が見つかり、さらに横隔膜に腹膜播種(ふくまくはしゅ)を疑わせる腫瘍陰影も1つ見つかった。

肝臓辺縁の小さな2つの腫瘍は問題ない。問題は門脈近くの腫瘍を取れるかどうかだが、何とか取れそうだということで3月に入院することに決定したのだが、新型コロナの影響で入院は延期になってしまった。

そんな中6月24日に入院するにはしたのだが、CT撮影すると肺に影が映って、新型コロナの疑いがあるということですぐに隔離された。

PCR検査の結果、新型コロナの疑いは晴れて、29日に開腹手術をした。

しかし、腫瘍が予想よりも大きくなっており、また腹膜の癒着が強く剥がすのに時間がかかる、そんな状態だったので、無理に切除してもまずいということになり、腫瘍切除せずに閉じるいわゆる「インオペ」が行われた。

インオペだったことは、麻酔から覚めたばかりで朦朧とした意識のなか主治医から聞かされた。

「術後はICUに入るはずなのに、普通の病室にいるのが不思議だったので、これは腫瘍が取れず、インオペしたのだなと何となくわかりました」

翌日、主治医から「残念ながら腫瘍は取れなかったので、このまま何もしなければ、年明けまで持つかどうかという状態です」、と余命宣告されたのだ。

主治医からは、分子標的薬のベクティビックス(一般名パニツムマブ)での治療が提案され、それを使えば平均30カ月延命効果があると聞かされた。

「完治はもうない。しかし、もう少しなんとかなるんなら……」と、その治療を選択することにし、8月20日から2週間に1度の点滴静注治療が開始された。

「抗がん薬治療後はとにかく疲れやすくなり、副作用としては痺れと皮膚に湿疹が出ました。何かしようと思っても億劫でなにもしたくなくなります」

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