乳がんと最愛の夫の死を乗り越え、患者会の開催や声楽活動に取り組む
どう生きたら幸せになれるのか、一生懸命考えています
(声楽家)
おおくぼ まちこ
1959年富山県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ソフトバンクに入社し、27歳のとき結婚・退職。43歳で乳がんを発症し、右乳房を全摘。04年9月、「穿通枝皮弁」により乳房を再建。現在は横浜市で乳がん患者会「うらふねマンマの会」を主宰するかたわら、声楽家の卵としてコンサート活動を行っている
43歳で乳がんを発症し、右乳房を全摘。術後、乳房再建を経て、患者同士で気軽におしゃべりができる患者会を作った大久保真千子さん。
その後、最愛の夫を小細胞肺がんで失い、深い悲しみに襲われるが、これからは1番好きなことをやろうと決心し、高校時代にやっていた声楽を始める。
以来、コンサートに参加し、亡き夫に寄せる思いを歌い上げている。
乳房だけでなく夫まで奪ったがんに、大久保さんはどのように向き合い、闘ったのか。
乳房再建を経て患者会を主宰
その日、セミナー会場は異様な興奮と熱気に包まれていた。今年5月20日、横浜の乳房再建セミナーで、佐武利彦医師がブラバという体外式吸引装置による乳房再建を動画で紹介。それは、新しい時代の始まりを予感させるに十分だった。
このセミナーを企画したのが、横浜在住の大久保真千子さん(52歳)。乳がん患者会「うらふねマンマの会」を主宰するサバイバーだ。
43歳のときに乳がんで右胸を全摘。乳房再建を経て、患者会活動に取り組んできた。だが、手術から4年後、最愛の伴侶である夫を小細胞肺がんで失うという悲劇に見舞われる。深い悲嘆の淵で、大久保さんを支えてくれたのが「声楽」だった。
「乳がんに罹患して、もうすぐ10年。乳房再建の今後の行方を見届けたいと思う一方で、そろそろ、がん患者としての人生から卒業する時期なのかな、とも感じています」
チャレンジ精神を学んだソフトバンク時代
大学では経済学を学び、卒業後はソフトバンクに就職した。当時のソフトバンクは黎明期で、孫正義氏がIT革命の旗手として注目され始めていたころ。大久保さんは営業政策室に配属され、企画書を量産する日々を送っていた。
「僕はいつも、やりたいことが100ぐらいある。そのうち10個を一生懸命やってみて、1個でも当たればそれでいい。大事なのは、やってみることだ。たとえ失敗したとしても、ノウハウはたまるからね」
そんな孫さんの言葉を、大久保さんは今でもよく覚えている。孫氏の教えは、結婚退職した後も、大久保さんの人生を一貫して支えることとなる。
「まず、頭で考えてからやってみて、ダメなら素早く撤収(笑)。『とりあえずやってみる』という癖は、ソフトバンク時代に身についたような気がします」
43歳で乳がんを患い右乳房を全摘
27歳で銀行マンと結婚し、寿退社。1人娘を育てながら、テニスや自主保育のサークル、PTA活動にも精を出した。そんな順風満帆の日々に影がさしたのは、43歳のとき。2002年秋ごろから、右胸にしこりを感じるようになった。
「がんかもしれない。でも、おできかも……」
揺れる心を抱えて、1カ月後の12月13日、横浜市立大学付属市民総合医療センターを受診。検査の結果、「乳がんのため、右乳房全摘が必要」と告知された。
突然の発病は、幸せな家族の日常を一変させた。夫は「ママが死んじゃう。どうしよう」と言って、毎晩のように泣いた。娘は一見、気丈にしていたが、内心はどうだったかわからない。大久保さん自身は、がんとわかった以上は「全摘もやむなし」の心境だった。だが、さすがにしょんぼりしていたのだろう。手術の前日、主治医が大久保さんにこう言った。
「乳房全摘しても"再建"という方法があるんだよ。再建したら、温泉に入ってもわからないぐらいらしいよ」
(えっ……再建って何?)
術後1年経って何事もなかったら、私も胸を作ろうかなあ。
病室のベッドで天井を見上げながら、そんなことを思った。
再建した胸の輝きを目の当りにして決断
翌03年1月2日、手術で右乳房を全摘。腫瘍が直径約2.5㎝と大きめで、リンパ節転移も疑われたが、病理検査の結果は「転移なし」。しかも、比較的予後がよいとされる、特殊な「アポクリンがん」であることがわかった。
術後はホルモン治療を行うことになり、3月中はタモキシフェン(*)を投与。その後、薬をゾ ラデックス(*)に切り替えて2年間投与し、その後5年間はタモキシフェンによる治療を行った。
大久保さんが乳房再建に向けて動き出したのは、術後まもなくのことだ。
「胸がないと、何かと不便なんですよ。テニスのときも、ロッカールームでコソコソ着替えないといけない、とかね」
インターネットで情報を収集し、乳房再建を行っている医師たちから、聞けるかぎりのセカンドオピニオンを集めようと思い立った。
「再建したいので、紹介状をたくさん書いてください」
術後1年経った04年1月、主治医に相談すると、「横浜市立大学病院の福浦本院から佐武先生が来るまで待っては」と勧められた。
佐武利彦医師は、人工物や筋肉を使わず、患者自身の脂肪を使って乳房を再建する「穿通枝皮弁」で知られる形成外科医だ。今ではすっかり有名人となった佐武医師も、当時はまだ39歳。最新の乳房再建技術を日本に広めたいという意欲に燃える、気鋭の若手だった。
大久保さんは4月に佐武医師と面会し、乳房を再建した患者さんに会わせてもらうことができた。再建した胸を目の当たりにして、大久保さんは思わず息をのんだ。手術をしたほうの乳房が、まるで光り輝いているように見えたからだ。
「私もこれが欲しい!」
一目惚れとはこういうことを言うのだろう。たくさんの医師に意見を聞こうという思いは一瞬にして吹っ飛び、大久保さんは佐武医師の技術にすべてをゆだねることに決めた。
*タモキシフェン=商品名ノルバデックス等
*ゾラデックス=一般名ゴセレリン
「予約・会費・名簿」一切不要の患者会を発足
乳房再建術を受けたのは、04年9月末。全摘手術から1年9カ月後のことだ。
佐武医師の再建方法は、マイクロサージャリー(手術用顕微鏡)により、腹部から血管ごと脂肪組織をとり、胸の血管につないで移植する方法である。これには繊細な手技が要求されるが、手術後も腹筋を残せる上、神経や血管への負担も少ない。手術は10時間半に及んだが、翌々日には歩けるようになり、1カ月後には趣味のテニスも再開することができた。
その後、乳頭手術や、左右の大きさをそろえる修正手術を数回実施。バストの下垂も解消され、大久保さんは以前にも増して、美しいバストを取り戻すことができた。だが、乳房再建が与えてくれたものは、それだけではない。それは、新しい出会いの始まりでもあった。
再建にあたり、大久保さんは佐武医師から、同世代の乳がん患者を紹介されている。初対面にもかかわらず、2人はたちまち意気投合。
「同じ病気の患者さんとのおしゃべりって、こんなに楽しいんだ。もっと患者さん同士で話す機会があるといいのに」
そんな思いが募った。
とはいうものの、既存の患者会に参加する気にはなれなかった。患者会の多くは名簿を作り、会報制作や医師を招いての勉強会など、さまざまな活動に熱心に取り組んでいる。患者会の人々の献身的な活動ぶりには頭が下がるが、その生真面目さがかえって負担に感じられた。そうではなくて、ただ集まっておしゃべりをするだけの気楽な会ができないものか。
「患者会をやるのは大変よ。生半可な覚悟ではできません」
そう忠告してくれる看護師もいたが、大久保さんはあきらめる気はなかった。だが、肩書きもない主婦がいきなり「患者会をやりたい」と申し出ても、主治医に受け入れてもらえる自信はない。そこで大久保さんは一計を案じ、ブログを開設して毎日、乳がん体験を発信することにした。そうすれば、「この人は物事を途中で投げ出さない人」と認めてもらえるのではないか、と考えたのだ。
こうして、ブログに乳房再建の体験を書いたところ、全国からものすごい反響があった。それに背中を押されるように、05年4月、「予約なし、会費なし、名簿なし」という気楽さが売りの「うらふねマンマの会」を発足。横浜市立大学病院市民総合医療センターに隣接する「浦舟地域ケアプラザ」のボランティアルームを無料で借り、月1~2回、患者会を定期的に開くことになった。
7月には、ブログに殺到した問い合わせに応える形で、佐武先生の勉強会を実施。ブログを頼りに広島・大阪など全国から患者が集まり、医師や看護師も含めて30人が参加した。会場は参加者の熱気に包まれ、予想を超える盛況ぶりを見せた。何よりうれしかったのは、当日の参加者のなかから、その後、情報発信の担い手となる人たちが多数現れたことだった。
「患者会を始めたおかげで、いろいろな年代の人と知り会うことができました。乳がんという共通項しかないのに、どうして旧友のように打ち解けられるんだろう──と、不思議なほどでした。月に1度の飲み会も楽しかったですね」
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