「言いたくても言えない」がん患者の思いを代弁したい 「目指せ!一がん息災」。自らの乳がん体験をブログに綴る新聞記者・秦野るり子さん

取材・文:渡辺由子
発行:2012年1月
更新:2018年10月

  
秦野るり子さん

はたの るりこ
1982年読売新聞社入社。経済部を経て、1989年外報部(現・国際部)に異動。読売新聞社初の女性特派員としてワシントン支局、ジャカルタ支局、ローマ支局を経て、2008年調査研究本部。2010年2月に乳がんと診断される。2011年4月より読売新聞社のサイト「yomiDr.(ヨミドクター)」にブログを掲載。

全国紙の国際部という報道の第一線で仕事をしてきた女性記者が、自らの乳がん体験をブログで発信している。「がんになるまで知らなかったことが、こんなに多いのか」という、一女性として一記者としての、驚き、疑問、揺れる心が率直に綴られており、読む人に、明るさ、強さをもたらす。迷いながらも、前向きであろうと行動する意思はどこから生まれているのか。

「がんに負けずに生きていく」思いを発信

世界最多の発行部数を誇る読売新聞。大手の新聞社ではめずらしく医療の専門記者を擁する「医療情報部」があり、きめ細かな医療・介護・健康情報を読者に届けている。インターネット上でも、サイト「yomiDr.(ヨミドクター)」を展開。新聞で紹介した記事の再録のほか、たとえば「病院の実力」という疾病別に手術件数や温存率、同時再建手術数などの調査項目ごとに病院の治療実績を紹介するコーナーや、ウェブ独自のコラムやブログなど、健やかに過ごすために役立つ記事が満載だ。

なかでも人気のブログが、同新聞社で長年国際報道に携わってきた記者・秦野るり子さんの『がんになって分かったこと 女性記者の体験記』。そう、秦野さんは乳がんの体験者だ。

サイトの担当者から、ブログでの発信を勧められ、「医療専門記者ではないけれど、一記者の思いを伝えることが乳がん体験者の役に立つのなら」と、手術後1年を過ぎたころから連載を始め、読者からのコメントに応えるなど、双方向性のあるブログを発信中だ。

ブログでは、医療専門記者ではない秦野さんが、1人の患者として再発・転移の可能性に怯えながら、元気に暮らそうとする日々が率直に綴られている。がんになって初めて生じた素朴な疑問や取材を通して分かったことなどを発信することで、「がんを患っている方やその家族・友人などと共に『がんに負けずに生きていくこと』を考えてみたい」と、ブログ冒頭に記している。

喪失感を見越し同時再建できる病院を選ぶ

ローマ支局の特派員時代はカソリックの総本山バチカンに取材を重ねた

バチカンの内部にて。ローマ支局の特派員時代はカソリックの総本山バチカンに取材を重ねた

バチカン-ミステリアスな神に仕える国
 その歴史と生の現状を
 日本人にわかりやすく、
 1冊の本
 ( 『バチカン──
 ミステリアスな「神に仕える国」』
 中公新書クラレ)
 にまとめた

新聞記者として昼夜のない報道の世界にいた秦野さんは、乳がんになるまでは大きな病気をしたことがなく、がんになると思ったこともなかった。それでも30歳を過ぎたころから年1回の人間ドックを受け、乳がん検診では触診を続けていた。2010年の年明け、住まいのある自治体の広報紙を読んでいたところ、無料の乳がん検診の知らせに目がとまった。

「住民税を納めているわりに、区民として恩恵を受けた感じがしない(笑)。『区民税をちょっと取り返すために、マンモグラフィでも受けようか』というぐらいの軽い気持ちでした」

それ以前にマンモグラフィを受けたのは、20年前のワシントン特派員時代のことだったという。検診は、2月8日。左胸上部に「異常あり」の結果から、2次検査の穿刺吸引細胞診()へ。しかし、1週間後に出た結果は、「がん」だった。

その場で大きな病院への紹介状を書いてもらうことになるが、万一に備え、前日に先のサイト「yomiDr.(ヨミドクター)」の「病院の実力」で病院をチェックしていた。そこで手術数・同時再建手術数ともに多く、会社から通いやすい立地の病院を選んだ。

「第1に、同時再建手術数の多い病院なら、QOL(生活の質)の面で女性の立場を理解してもらえるのではないかと考えたんです。また、もし手術となるならば、乳房を切除した状態のままでは、きっと喪失感に囚われるだろう。それは絶対に嫌だったし、人工的な乳房であろうとも、乳房を再建することでまずは自分を騙して、精神的なショックを抑えられるものなら抑えたい。この胸を自分で見て、『自分の胸だ』と思えることが、私にとって乳がん治療で最低限守りたいことでした。だから、同時再建手術数の多い病院であることが、病院選びの基準になったのです」

穿刺吸引細胞診=乳房内のしこりに細い注射針を刺し、細胞を吸引して行う精密検査

乳房全摘と同時に再建を即断

3月20日に受診。たまたま空きがあり、手術日は半月後に決定した。

その後は、診断の確定や治療方針を決めるために、CTやMRI、マンモトーム生検()など、次々と検査が組み込まれ、あれよあれよという間に、手術日が近づいてきた。

術前の見通しでは、秦野さんの左胸上部のがんは、大きさ約2センチ程度。リンパ節転移はあるかないかの判断がつきにくく、病期はリンパ節転移がなければ1期、あれば2期だとのこと。部分切除が考えられるケースだが、がん細胞の顔つき、つまりがん細胞の悪性度が高い、ということだった。

実際、術後の病理検査でグレード3と悪性度が最も高いという結果が出ている。術前の化学療法は行わず、左乳房全摘出術が選択され、術中にリンパ節転移の有無を確認するためのセンチネルリンパ節生検を行うこととなった。

「乳房再建を視野に入れて病院を選択していましたから、『全摘』と告げられても、あまり悩むことなく受け入れることができました。素人考えですが、全摘なら左胸は局所再発の心配をしなくて済みますから。それに、CTなどの検査を担当した女医さんから、部分切除では乳房がへこんでしまうことがあり、全摘して同時再建したほうがきれいな形になる、と言われたことが心に残っていたからだと思うんです。乳房再建についても、全摘の手術と同時に行う『1期的再建術』を希望し、人工乳房を使うインプラント法を選択しました」

こうして、気楽な気持ちで受診した20年ぶりのマンモグラフィ検査からちょうど2カ月後の4月8日、秦野さんの手術が行われた。

マンモトーム生検=マンモグラフィを行いながら、得られた画像から病変位置を特定し、針を誘導して細胞を採取する検査

トリプルネガティブと告げられて

ローマ支局の特派員時代から親交が深かったローマ在住の友人が、お見舞いに送ってくれた帽子

秦野さんから「大変なことになった!」という知らせを聞いて、ローマ支局の特派員時代から親交が深かったローマ在住の友人が、お見舞いに送ってくれた帽子。同僚や知人などからもらった手紙や励ましの贈りものは、いまも手元に置いてある

手術の結果、リンパ節転移がなく、大きさも2センチ以内に納まり、病期は1期。術後の治療は抗がん剤とホルモン療法を行う治療計画が決まった。しかし、手術で切除したがん細胞の病理診断で、女性ホルモン受容体の有無などを調べてホルモン療法が適応かを調べたところ、「トリプルネガティブに近い」ことがわかったのだ。

「『あら、ステージ1だったの、キャー、うれしい』なんて喜んじゃって、トリプルネガティブのことは何も知らなかったんです。退院してからインターネットで調べたら、『これって、まずいんじゃない……』と、けっこう落ち込みましたねぇ」

「トリプルネガティブ」とは、乳がんの発症と増殖に関与する3つの因子、女性ホルモンの「エストロゲン受容体」と「プロゲステロン受容体」、がん遺伝子「HER2」、これらとまったく関係なく発症しているタイプの乳がん、つまり3つの因子が陰性(ネガティブ)の場合を指す。トリプルネガティブは、ホルモン療法もがん細胞を直接攻撃する分子標的薬も効果がなく予後が悪いとされているのだ。

秦野さんの場合は、エストロゲン受容体が「+/-」、プロゲステロン受容体は「-」、HER2も「-」で、「トリプルネガティブに近い」という診断だった。

「インターネットの情報はどれが正しいか分からないけれど、たとえば『トリプルネガティブ』『生存率』と打ち込めば、はっきりと答えが出てきてしまう。知りたくはないけれど、知りたい──。インターネットにかじりつく患者さんの気持ちが、痛いほど分かりました」

トリプルネガティブに近いけれど、数値上はホルモン療法が適応になる。これが国際的な標準治療だった。

副作用がつらすぎてホルモン療法を中断

同期入社のカメラマンが撮ってくれたウィッグ姿の写真

同期入社のカメラマンが撮ってくれたウィッグ姿の写真。退院5日後から出社した秦野さんは、抗がん剤治療も仕事と並行して受けた。髪がいつ抜けるかと通勤にはスカーフを常に携行し、ウィッグは「せっかくだから」とおしゃれなカラーのものを選んだ

11日間入院し、退院から5日間で職場復帰。秦野さんは、日帰りでの抗がん剤治療を術後約1カ月でスタートさせた。

ファルモルビシン()とエンドキサン()を組み合わせた「EC療法」を、3週間空けて投与する1クールを4回繰り返した。最終回の4回目は8月10日。

「抗がん剤治療は、吐き気などの副作用を止める薬はいっぱいあって、思ったより楽だったのは幸いです。ただ、副作用を止める薬の副作用のほうがすごく強くて(笑)、顔が腫れ上がることもありましたよ」

9月に入るとホルモン療法がスタート。女性ホルモンのエストロゲンを作る酵素をブロックする、フェマーラ()という薬の服用だ。この薬の副作用が、秦野さんには抗がん剤治療よりもきつかったという。服用を始めてからすぐ現れた関節の痛みとめまい。

「更年期障害が何倍にも増強して押し寄せてくるようでした。わざわざ人工的に更年期障害を作り出すって、これはどうなんだろうと疑問が湧きました。そのうえ、抗がん剤で現れた味覚障害は、終えたら味覚が戻ってきたのに、フェマーラを飲み始めたら、また味覚障害に。抗がん剤のときほどひどくはないが、「おいしさ」の微妙な差が分からなくなって……。『お気に入りのお店のおいしい料理を食べているのに、そのおいしさが全く感じられない』。私は食いしん坊だから、それが悔しくて。味覚障害はフェマーラの副作用には挙げられていないそうで、専門家によると他に原因があるようです。でも、そもそもトリプルネガティブに近いからホルモン療法の効果はないかもしれないと不信感を抱いているところに、こんないやな副作用。この状況を5年も10年もがまんしなければならないのは、あまりにもつらすぎる。もう止めよう、と主治医にホルモン療法の中断を申し出たんです」

主治医は、「あなたの治療は抗がん剤がメイン。これは私見だが、もしも再発・転移したとしても、その理由としてホルモン療法の中断は大きな意味を持たないのではないか」と容認。ホルモン療法を始めてから5カ月後のことであった。

「フェマーラを止めたら、あの副作用から解放されて普通の状態に戻り、いたって元気に過ごしています。この状態が続いてくれることを願っていますが、再発・転移への恐怖が消えたわけではありません。いつその恐怖に耐えかねて、ホルモン療法を再開したくなるかもしれない。だから『中止』とは言えない。迷っている気持ちを素直に表わして、『中断』って言うことにしているのです」

ファルモルビシン=一般名エピルビシン
エンドキサン=一般名シクロホスファミド
フェマーラ=アロマターゼ阻害剤の1つ


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