免疫療法にも挑戦。2つの人工肛門を持つ小腸がんサバイバーの壮絶な闘病記
オストメイトでも、自分をさらけ出して生きていきたい

取材・文:吉田燿子
発行:2011年9月
更新:2013年8月

  
伊藤智子さん 佐藤千津子さん
(アロマテラピーサロン経営)

さとう ちづこ
1971年生まれ。服飾雑貨店の経営者として順風満帆だった2007年、希少がんの1つ、小腸がんと宣告される。3度手術し、2つの人工肛門を持つオストメイト。抗がん剤治療や免疫療法を行いながら、アロマテラピーのサロンを立ち上げる。現在も抗がん剤治療中。2 児の母でもある

告知された病名は、数10 万人に1 人しかかからない「小腸がん」。
手術、化学療法、免疫療法──。可能性のある治療は何でもやった。
人工肛門を2 つ付けた直後、鏡を見るのも嫌で、ひきこもったことも。
気持ちをリセットした今、佐藤千津子さんは生き生きと将来の夢を語る。
その強さの奥に秘められた、壮絶ながん体験とは──。

東日本大震災で被災し、オストメイトの苦労を実感

インドネシアに家族で旅行

インドネシアに家族で旅行したときの1ショット。今春、娘の小学校の入学式を深い感慨とともに迎えた

36歳のとき、数10万人に1人しかかからないといわれる小腸がんを発症。腹膜播種を併発しながらも、3度の大手術に耐えて生還し、実業家として活躍している女性がいる。宮城県在住のオストメイト()、佐藤千津子さん(40歳)だ。

東日本大震災で被災し、電話や郵便も含めてライフラインが完全にストップ。幸い、自宅の被害は少なかったものの、役所も機能不全に陥り、自宅で過ごす障害者は孤立状態となった。「人工肛門用のパウチ()の備蓄はあったのですが、パウチの交換に必要なウエットティッシュが、全然手に入らなくて。断水状態で水も使えないので、本当に困りました」

そんな窮状をブログで訴えたところ、それを見た人から相次いで支援が寄せられた。

「友人や仕事仲間が、ウエットティッシュや医療タオルを送ってきてくれて……本当に助かりましたね」

そう、被災体験を語る佐藤さん。華奢で可憐な印象だが、容易なことでは折れない芯の強さもうかがえる。その強さをもたらしたのは、5年間にわたる壮絶ながん体験だった。

オストメイト=人工肛門(ストーマ)・人工膀胱保有者
パウチ=オストメイトがストーマに取り付けて、便を一時的に貯めるための袋

検査のたびに「異常なし」体重が31キロに

通販会社に何年か勤めた後、27歳の誕生日に結婚。2年後の2000年、盛岡市内に服飾雑貨店をオープンした。

当時は" 厚底・ガングロ" がブームで、「渋谷109」のカリスマ店員が話題になっていたころ。佐藤さんが仕入れる渋谷系ギャル・ファッションは人気を呼び、東北4県で7店舗を経営するに至った。2児の母として仕事と家庭を両立させながら、寝る間も惜しんで国内外を飛び回る日々。公私ともに恵まれ、佐藤さんは燦々と降り注ぐ太陽の光に包まれていた。

体調に異変を感じたのは、05年春のことだ。お酒を飲んでも美味しいと感じなくなり、体重が減って、下痢と便秘を交互に繰り返すようになった。

(年齢を重ねたせいで、疲れがたまっているのかな)

そう思っていた矢先の8月、腹痛に襲われ、トイレに駆け込んだ。便器の中には、濃厚なワインのような色をした血便があった。(これはただごとではないぞ)と直感。翌日、地元のクリニックに飛び込んだ。血液検査に加えて胃と大腸の内視鏡検査も受けたが、異常は見つからない。そして、1年後にも2度目の血便に見舞われた。

07年5月には何を食べても吐くようになり、脱水症状を起こして入院。45キロあった体重が30キロ台まで落ち、血液検査や内視鏡検査を繰り返した。だが、やはり原因は不明のまま。首をかしげた医師からは摂食障害を疑われ、心療内科を紹介された。

そうこうする間にも、佐藤さんはみるみるやせ細り、体重はついに31キロに。救急車で岩手県立中央病院に搬送され、いちから検査をやり直した。しかし、ここでも異常は見つからない。

腹膜播種を併発した「小腸がん」と判明

原因究明のきっかけとなったのは、佐藤さんが診療中にふと漏らしたひと言だった。

「先生、私ね、お風呂に入っていると、みぞおちの左下の皮膚がポコンって浮くんです」

若い消化器内科医がその部分をゆっくりと触診すると、何かが手に触れた。急きょ、小腸用の内視鏡を手配して検査したところ、十二指腸の先の空腸(小腸の一部)に異変が見つかった。なんと、4、5センチに膨れ上がった腫瘍が、腸をピッタリと塞いでいたのだった。

「悪性腫瘍の可能性があります。骨盤内に散らばった白い影は、卵巣もしくは小腸の腫瘍に由来するものと考えられます。ただ、病理検査では良性と出ているので、断定はできませんが」

そう、医師は佐藤さん夫婦に告げた。まだ、良性の可能性もないわけではない──その言葉にすがるような思いだった。「がん=死ぬ」という連想が頭に浮かび、ポロポロと涙が溢れた。

7月2日、最初の手術が行われた。「小腸の閉塞を取り、食べられるようにするのが目的」と説明されたが、開腹してみると、腫瘍は腹膜全体に広がっていた。がんの原発巣と結腸、両卵巣を切除。取り切れなかったがん細胞をたたくため、術後にはまずTS-1()を服用、その後、タキソテール()とシスプラチン(一般名)による腹腔内化学療法を行った。

TS-1=一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム
タキソテール=一般名ドセタキセル

一縷の望みをかけて手術へ

もはや、抗がん剤で進行を遅らせ、延命治療を行う以外に手はない──佐藤さんは絶望の淵に沈んだ。希望を失いかけた心に、一筋の光が射したのは、それから間もなくのことだ。

テレビの医療番組を見ていると、腹膜播種や腹膜偽粘液腫のエキスパートとして、ある医師が紹介されていた。そのA医師の治療法は、電気メスで腫瘍や偽粘液を臓器からはがすようにして丹念に取り除くというもの。この方法なら臓器の温存が可能だという。画面には、A医師の治療を受けて回復した女性の元気な姿が映っていた。

佐藤さんは、藁をもつかむ思いでA医師の病院に駆け付けると、こう言われたという。

「僕が手術して、なんとか生きさせてあげるよ」

発病以来、初めて聞かされた力強い肯定の言葉。佐藤さんは心底励まされる思いだった。

「もう、長くは生きられないと宣告されたようなものだったのに、先生の言葉がうれしくて、帰りの新幹線で主人と一緒にずっと泣いていました。体の底から生きる力が湧いてきて、もう何でもやろうと思いました。どんな治療もやり遂げる、どんな苦労もいとわない、と」

1月中旬、岩手中央病院から、A医師の治療が受けられる病院に転院。手術の前日、佐藤さん夫婦は久しぶりに、男と女としていろいろなことをお互い語り合った。

「まだ36歳の自分が、臓器の大部分を取り、人工肛門を付けなければならない。主人は健康な男性なのに、私の病気のせいで彼の人生を巻き込んでしまった──そのことが本当にショックで、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

そんな佐藤さんを、夫はこう言って励ました。

「今こそ、2人が頑張らなきゃいけないときだよ。大丈夫、何も心配することはない」

翌日、手術室に入る直前まで、夫と手を握り合い、笑顔で「行ってくるね」と別れを告げた。

2度にわたる大手術そしてオストメイトに

パウチ交換のための一式

人工肛門を2個付けている佐藤さんが必要とするパウチ交換のための一式

手術では、肉眼で見えるかぎりの腹膜播種を切除した。直腸と、子宮や膀胱の一部も摘出し、へその右側に人工肛門を付けた。

しかし、術後の苦痛は想像を絶するものだった。腸が癒着して腸閉塞を起こし、悶絶するほどの痛みに襲われた。急きょ2回目の手術が行われ、へその左側に人工肛門を追加。人工肛門を2つも抱えてしまったことは、佐藤さんの心を重く沈ませた。

4月末に退院したものの、岩手の病院でTS-1による化学療法は続行していた。だが、術後わずか半年で、腫瘍マーカーの値が急上昇してしまう。

(手術であれほどつらい思いをしたのに、腫瘍マーカーが上がるなんて……)

絶望感に打ちひしがれた。そんなとき、佐藤さんの脳裏に、ふと閃くものがあった。「免疫療法という選択肢もある」ことを、思い出したのだ。

免疫療法と化学療法の併用で腫瘍マーカーの値が低下

佐藤さんは小誌の記事がきっかけで免疫療法を知り、以前から本を取り寄せては読み漁っていた。自由診療で治療費がかさむのが難点だったが、(まずは話だけでも聞いてみよう)と、東京のクリニックを受診。08年12月から2カ月間、樹状細胞()がんワクチン療法とNKT細胞()療法による治療を行った。

まず、自分の血液から取り出した「単球」をもとに、膨大な数の樹状細胞をつくり、体内に戻す。こうしてできたワクチンを2週間に1本ずつ、合計8回打った。これと並行して、NKT細胞療法と呼ばれる別の免疫療法を3回実施した。

免疫療法を行う一方で、岩手ではTS-1による治療も続けた。途中で体調がすぐれず休薬したこともあったが、120ほどあった腫瘍マーカーの値が、最後のワクチンを投与するときには、なんと40台まで下がっていた。

「正直、体調にはそれほど変わりはなかったのですが、効果がはっきり数字として現れたので、やはり心の支えになりました」

2つの免疫療法の治療費用は合計で300万円近くに上った。

現在はTS-1による治療を継続中。体調はいたって良好、と佐藤さんは言う。

「私は水分を吸収する大腸をほぼ失ったので、貧血や脱水症状を起こしやすく、尿も1日にコップ1杯分出ればいいほうだった。ところが、最近は尿量が1日400ccまで増え、水様便にも少し粘りが出てきた。それは、腸が水分を吸収し始めている証拠だと思うんです。たった2年半で、人間の身体ってずいぶん変わるんだな、と思いましたね」

樹状細胞=皮膚や血液中などに存在する免疫細胞。がん細胞やウイルスなど、本来、体に存在しないものを食べて取り込んだ後、リンパ組織に入った樹状細胞は、免疫をつかさどるT細胞などにその異物を攻撃するように指令を出す
NKT細胞=白血球のなかでも、がん免疫の主力であるリンパ球の1種。NK(ナチュラルキラー)細胞とT細胞の性質を併せ持つ


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