大腸がんを機に、自らの使命に目覚めた美容師の、飽くなき模索
美容と心の両面から患者さんを支える活動を広げたい!

取材:がんサポート編集部
(2011年6月)

  
豊 秀之さん 豊 秀之さん
(美容師・実業家)

とよ ひでゆき
1963 年生まれ。神戸を拠点に美容師として活躍中、2008 年9 月に直腸がんが判明。
翌年手術を受ける。がんをきっかけに、美容師を引退。がん患者団体支援機構をはじめ、さまざまながん患者会と関わりながら、美容師によるがん患者支援活動に奔走している

大腸がんになった経験を通して、人を思いやる気持ちの大切さを痛感し、大きく人生の方向転換をした豊 秀之さん。
「医療用ウィッグを、その患者さん本人に似合うようにカットしてあげたい」
美容師という天職を活かして、がん患者支援の道を模索し続ける、豊さんの思いとは──。

がん体験をきっかけに医療美容の普及事業へ

写真:医療用ウィッグとメディカルメイクのサロン『リップス』
2010年秋にオープンした医療用ウィッグとメディカルメイクのサロン『リップス』。「こんな美容室が欲しかった」という患者さんの声が続々と届いている
(神戸市垂水区日向2丁目6-17 TEL : 0120-64-0565)

2010年11月、神戸市垂水区に、医療用ウィッグとメディカルメイクのサロン『リップス』がオープンした。店のオーナーは、豊秀之さん(48歳)。がん体験をきっかけに、医療美容の普及事業に取り組み始めた、美容師出身の実業家だ。

豊さんが大腸がんの手術を受けたのは2年前。退院後、『がん患者団体支援機構』の理事に就任したが、違和感を覚えながらも既成の医療用ウィッグを使わざるをえない、多くの患者の姿を目の当たりにした。

そこで豊さんは、医療用ウィッグを患者の好みに合わせてカットする活動を開始。現在は、美容とメンタルの両面から、患者のサポートに努めている。

「医療用ウィッグはとても高価なもの。手持ちのウィッグを、似合うように整えてあげるサロンが絶対に必要です。とはいえ、脱毛した患者さんが、普通の美容院に行きにくいのも事実。患者さんが安心して来店できる、医療用ウィッグのカットができるサロンを増やすことが、僕の使命だと思っています」

そう、ざっくばらんに語る豊さん。そんな豊さんを、サロンスタッフの酒井宏彰さんは、「超・不思議な人」と評する。

「豊さんは常に変化していてつかみどころがなく、無限な人。もともと優しくて、人間に対する理解も深い方なんですが、がん体験を通じてさらに確信を深めたのでしょう。いつも『ありがとう、ありがとう』と、そればかり言っています」

46歳のとき、健康診断で大腸がんが発覚

神戸を拠点に美容師として活躍し、02年には有限会社リチャード・プランド・システムを設立。兵庫県下で4つのヘアサロンと学校を経営し、成功の階段を駆け上った。

一方で、社会貢献に対する関心も強く、ゴミ拾いなどのボランティア活動にも熱心に取り組んだ。「美容師はマインドが大事」──それが、社員教育も兼ねた豊さんの口癖だった。

そんな豊さんが大腸がんを発症したのは、08年9月。きっかけは健康診断だった。

「自分ももう46歳。保険を解約する前に、1度、病院に行っておこうかな」

軽い気持ちで大腸の内視鏡検査を受けたところ、2日後に病院から連絡が来た。

「すぐに来てもらっていいですか」

いやな予感がした。

病院に駆けつけると、担当医から、直腸に悪性の腫瘍があることを知らされた。その晩、豊さんは妻にこう打ち明けた。

「健康診断で2日前に内視鏡やったんよ。なんか、はよこいと言うから、行ってきてんけどな……がんやってん」

「うそやろ……」

〈がん=死〉というイメージが頭から離れず、2日間は呆然自失の状態が続いた。だが、3日もすると、仕事や周囲の人々のことが気になりだした。

(周りの人になんて言おう、仕事をどうしよう。がんだからこそ、していかなあかんことって何やろ……。落ち込んでる場合やないよな)

手術は2週間後の予定だったが、担当医からは「人工肛門になる確率が高い」と告げられた。直腸がんにはどんな治療法があるのか、どの医師に命を預けるべきなのか──さまざまな治療法を模索した結果、豊さんは「人工肛門をつくらずに済む、温存手術をしてもらえる病院」を探すことにした。2つの病院でセカンドオピニオンを求め、最終的に、大阪の成人病センターで手術することを決意。手術日は翌09年1月5日と決まった。告知から手術までの間に、4カ月が経過していた。

手術後、縫合不全で人工肛門に

直腸がんの摘出手術は、成功したかに見えた。ところが手術2日後に熱が出て、縫合不全を起こしていると告げられた。8日に再手術を行い、人工肛門をつくった。

「ショックでしたね、人工肛門になることが、すごく怖かったんで……。実際には、予想していたほど怖いものではなかったけど、今も便が通過するたびにお腹が痛くなる。手術しないほうが楽やったな、と思うことはありますね」

病理検査の結果、幸い転移は認められなかった。抗がん剤治療は行わず、術後のリハビリに専念することとなった。

とはいえ、手術日から1週間は思うように体が動かず、トイレに行くのも20分がかり。点滴の邪魔にならないよう、ほとんどの看護師が、スリッパをベッドの下に入れてしまう。トイレに行くたび、それを外に引き出すのもひと苦労だった。

ところが1人だけ、そんな患者のつらさを理解してくれる30代後半の看護師がいた。

「夜中にトイレに行こうとすると、スリッパがパチッとそろえてある。すごい人やなあと思いました。『スリッパをそろえるだけで、こんなに人に感動を与えられる。ささいなことでも思いやりって、すごいねんなあ』と。

その看護師さんが、あるとき、こんな言葉をかけてくれたんです。『がんばらなくていいんですよ、乗り越えたらいいんですよ』──そう言われて、本当に楽になりました。『がんばらなくていいんや』と思ったら、涙が止まらなくて」

人を思いやる気持ちの大切さが、あらためて身にしみた。患者だからこそ感じられることがある、自分も患者さんに対して何かできないか──。その思いが、後の『こんいろリボンの会』へとつながる、豊さんの活動の原点となっていく。

美容師としての経験を役立てられないか

豊さんは病気を機にハサミを置き、経営に専念することに決めた。社員の結婚式に合わせて、退院予定を4日繰り上げ、2月6日に退院。翌日の結婚式では、主賓としてスピーチも行った。人生のなかで人と出会うということが、どんなにすごいことか──入院生活のなかで感じた万感の思いをスピーチに込めた。その話を保険会社の担当者にしたところ、今度は「当社の講演会で話してほしい」と依頼が舞い込んだ。

「話が上手じゃなくても、ええんや。自分がメッセンジャーになって、伝えたいことを、とにかく伝えていこう」

現役引退と機を同じくして、豊さんの前に新しい人生が開けつつあった。

大阪の中之島公会堂で、直腸がんから生還したジャーナリスト・鳥越俊太郎さんの講演を聞いたのは、そんな折のことである。鳥越さんの不屈のスピリットに感銘を受けた豊さんは、氏が理事長(当時)を務めるNPO法人『がん患者団体支援機構』の門を叩き、4月には理事に就任。全国各地の患者との交流を深めるうち、「美容師としての経験を何かに役立てられないか」という思いが募っていった。

医療用ウィッグを似合うようにカットしたい

写真:カットウィッグを丸刈りにし、患者さんに贈っている
美容師が練習で使った後のカットウィッグを丸刈りにし、患者さんに贈っている

そして5月、『こんいろリボンの会』を発足させた。豊さんは美容師という立場から、がん患者支援の活動に乗り出すこととなった。

「『こんいろリボン』という名前は、大腸がんへの啓発活動を意味する『ダークブルー・リボン』からとったもの。『ダークブルー』という言葉のイメージが暗いので、『こんいろ』と呼ぶことにしたんです」

こんいろリボンの会では、使用済みのカットウィッグ()を「ウィッグ台」として再生し、必要とする患者に贈る活動を行っている。せっかく高価な医療用ウィッグを購入しても、きちんと保管しないと型崩れしてしまう。そこで、「使用済みのカットウィッグを丸刈りにすれば、ウィッグを乗せる台として活用できるのではないか」と思いついたのが、この活動を始めたきっかけだと豊さんは語る。

さらに、医療用ウィッグを患者1人ひとりに合わせてカットする活動もスタート。美容師としての技量を活かして患者を支援する試みが本格的に始まった。

現在は、抗がん剤の脱毛対策としてウィッグを購入する場合、看護師さんにウィッグメーカーを紹介してもらうケースがほとんどだ。しかし、この医療用ウィッグが似合っていない人があまりにも多い、と豊さんは嘆く。

「『抗がん剤で髪が抜けたら、行きつけの美容室に行けますか』──そう聞くと、ほとんどの患者さんが『ノー』と答えるんですね。今の美容室には、ウィッグの脱着ができる仕切りもなく、患者さんを受け入れる態勢がないからです。でも、美容師はウィッグを似合うように変える技術を持っている。『髪の毛がなくなっても、うちへは来てもらえます』と、なんで言えへんの、と言いたいですね」

カットウィッグ=美容師がカットの練習に使うウィッグのこと




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