末期の転移性大腸がんから生還を果たした弁護士の苦悶とは
がんと真剣に向かい合う、そのプロセスこそが尊い

取材・文:吉田燿子
発行:2011年4月
更新:2019年7月

  
小野允雄さん 小野允雄さん
(弁護士)

おの まさお
1939 年生まれ。中央大学法学部卒業後、東京や地元青森で弁護士として活躍中。2002年にステージ4の大腸がんが判明し、「5年生存率ゼロパーセント」と言われる。腹膜播種や再発、術後の後遺症や化学療法の副作用と闘いながらも無事生還し、今年丸9 年を迎える

ステージ4 の大腸がんで、5 年生存率ゼロパーセント。
腹膜播種や繰り返す再発、術後の後遺症や化学療法の副作用との闘い──。
そのような暗澹たる闘病生活を送る小野允雄さんの心を支えたのは家族の温かさと、弁護士としての仕事への情熱だった。
そして、絶望的な病状から無事生還できた理由は何だったのか。

闘病日記をもとに闘病記を出版

写真:小野さんの闘病記

2010年5月に刊行された小野さんの闘病記『余命半年からの生還』(幻冬舎ルネッサンス)

ステージ4の大腸がんで、「5年生存率ゼロパーセント」と言われながらも奇跡的に生還──その経験を克明に綴った闘病記が、昨年5月刊行された。タイトルは『余命半年からの生還』。青森県在住の弁護士、小野允雄さん(71歳)の労作である。

本書には、重い進行がんに侵されながらも、4度の大手術と抗がん剤治療を経て、ついに病を克服した一部始終が綴られている。その元になったのが、小野さんががん発覚直後から付け始めたという闘病日記だ。

「日記を付け始めたのは、自分の気持ちを落ち着かせるため。主治医の話をメモしておくという、実用的な目的もありました」と小野さん。同人誌『北狄』に連載した原稿に加筆修正を行い、ついに出版にこぎつけた。

小野さんは、闘病日記を書くことの効用を、こう語る。

「折々に感じた不安やつらい気持ちを日記に吐き出すことで、心の安定を得ることができました。闘病中、『死ぬかもしれない』ということが徐々にわかってきたものですから……記録化することによって、一瞬一瞬の区切りをつけたかったのです」

62歳のとき、大腸がんが発覚

小野さんは弁護士として40年近いキャリアを持つ。中央大学法学部を卒業後、東京と青森で弁護士として活躍。民事・刑事裁判や金融法務・企業法務、交通事故、メディア関連など幅広く仕事をこなし、青森県弁護士会会長や人権擁護委員会委員長などの要職も務めた。

精力的に仕事をこなすかたわら、同人誌での執筆活動やスキーにも熱中。家族連れで米国やスイスに出かけては、海外の山でスキーを楽しんだ。

そんな小野さんにも、60歳を目前にして病の影がしのびよる。

初めて排便の際に出血したのは1997年のこと。その後もしばしば血便に見まわれたが、「痔だろう」と軽く考えていた。5年後の2002年1月下旬、たまたま民事裁判の予定が変更になったこともあって、近所の肛門科を受診。内視鏡検査を受けながらモニター画面を眺めていると、腸壁にある大きなキノコのような物体が映し出された。

「悪性の腫瘍です」

医師の言葉に、小野さんは打ちのめされた。

「立っていられないほどの衝撃で、しばらくは放心状態でした。がんであることを告げたときの、妻の表情さえ覚えていない。自分ががんに罹患したという受け入れ難い事実に、圧倒されていたのかもしれません」

妻の勧めで画像を持参し、築地の国立がん研究センター(現・国立がん研究センター)を訪れたのは、その4日後のことだ。

(ひょっとしたら、良性の腫瘍ではないか)

そんな淡い期待は、後に主治医となる赤須医師の「大腸がんです」という一言で打ち砕かれた。

「大腸がんは手術でがんを取り、転移がなければ、80ないし90パーセントの確率で治るから、心配はありません。ただ、リンパ節や腹膜転移は開腹してみなければわかりませんが」

赤須医師の言葉に妻は安堵した様子だった。だが生来、悲観的に物事を考えがちな小野さんにとって、「開腹してみなければわからない」という一言はこたえた。

腹膜転移が発覚17個の腹膜播種を切除

術前の画像検査では、幸い肝臓と肺への転移は見つからなかったが、腹部のダグラス窩()に、4×8センチの腹膜転移らしきものが見つかった。

2月28日に手術を実施。赤須医師から、「がんは直腸とダグラス窩の2カ所にあったが、きれいに切除した」との説明を受けた。さらに、手術の際に腹腔内をイソジンで消毒したが、これは「経験上、がんに有効」だというのが赤須医師の持論だった。

しかし実際には、小野さんの病状は想像をはるかに超えて進行していた。

「これは後でわかったのですが、このとき、がんはすでに大網や盲腸にも転移していて、4カ所に17個も腫瘍(腹膜播種)があったんです。でも、ダグラス窩以外にも転移があったことを私に言わないようにと、妻が先生に頼み込んだらしいんですね」

診断結果は、ステージ4、デュークスDの進行がん。肉眼で確認できる腫瘍はすべて切除されたが、目に見えないがん細胞が腹膜に散らばっている可能性は高い。手術後、赤須医師が妻と2人の娘に告げた内容は、衝撃的なものだった。

「おそらく、3カ月以内に再発する可能性が高い。もし再発すれば、2、3カ月しかもたないでしょう。5年生存率は0パーセントです」

──積算すれば、余命半年。あまりにも過酷な現実に、家族は打ちのめされた。だが、小野さんには事実を伏せ、あくまでも明るく振る舞おうと決めた。

ダグラス窩= 直腸と子宮が接する部位に生じる窪みの部分。男性の場合、正確には膀胱直腸窩というが、男性の場合でも「ダグラス窩」と使用している文献もあり、手術記録にもそのように記載されているため、ここではそのまま記載する

病気が再び結び付けた家族との絆

写真:次女の知恵子さんとともに

2002年9月、2度目の手術後、次女の知恵子さんとともに

退院後は青森の自宅に戻ったが、後遺症の頻便にはずいぶん悩まされた。ひどいときは、1日40回もトイレに駆け込んだ。仕事は顧問先の仕事を主体にし、新件はなるべく断っていたが、顧問先や知人の紹介など、どうしても断れないものは引き受けざるを得ない。もし証人尋問中に便意を催したら、一体どうすればいいのか──そんな不安を抱えながらの生活が始まった。

それまでの生活を暗転させた、突然のがん発病。だが、闇夜のなかにも、光明と呼べるものがなかったわけではない。大らかで楽観的な妻の節子さんは、小野さんの闘病生活を支える精神的支柱であり続けた。また、発病を機に、娘たちとの関係も大きく変わったという。

「娘たちが手紙やメールをくれるようになり、『こんなに心配してくれるのか』と思いました。入院中、運動のために病棟を歩き回るときも、娘たちが付き添ってくれたんです」

小野さんは、次女の知恵子さんからもらった1通の手紙が忘れられないという。

〈知恵子がこうして生きていられるのもパパのおかげだし、パパが一生懸命に働いているからです。(中略)知恵子はパパを誇りに思っています。これから、がんとの長い闘いが始まりますね。手ごわい相手かもしれないけど絶対に勝ちましょう〉その手紙にあったある一言は、小野さんをひどく感激させた。「『世界一のパパへ』と書かれていたんです」

そう語る小野さんの眼には、うっすらと涙がにじんでいた。

肝臓と脾臓に転移。2度目の手術へ

写真:弁護士事務所にて

弁護士事務所にて。吐き気や口内炎、倦怠感、頻便などの副作用に苦しみながらも、仕事と治療の両立 に務めた

4月1日、内科医のもとで、5-FU()+ロイコボリン()による化学療法がスタート。毎週日曜の夕方、青森から飛行機で東京に飛び、翌日、抗がん剤の点滴を受けてから帰宅。吐き気や口内炎、倦怠感などの副作用に苦しみながらも、小野さんは仕事と治療の両立に務めた。

とはいうものの、弁護士という仕事は片手間でできるものではない。依頼人の運命を左右する仕事だけに、気力・体力の消耗も人一倍激しいのが現実だ。

「裁判の期日が迫ってくると、どんなに苦しくても、今さら『間に合いませんでした』とは言えない。それが1番つらかったですね。そこで、前もって少しずつ仕事を進め、負担を軽くするよう工夫していました」

一方では、仕事を続けたことが、闘病生活を乗り切る上で大きな力となったのも事実だった。仕事に没頭している間だけは、病気のことを忘れられる。それが心の支えになったことは否定できない、と小野さんは語る。

青森では自分のペースで仕事をこなし、治療で上京するたびに、娘たちと食事をともにする日々。そんな小春日和のような日々も長くは続かなかった。5月下旬、さらなる衝撃が小野さんを襲う。CT検査で、肝臓に1センチの影が見つかったのだ。

さらに7月末の検査で、肝臓のがんが大きくなり、脾臓にも転移していることが判明した。また腸閉塞を起こしており、それは腹膜にがんが広がっていることを意味する、と内科医は告げた。とりあえず、腸閉塞の手術を受けることになったが、場合によっては人工肛門をつける可能性もあるという。小野さんは暗澹とした思いに沈んだ。

8月28日、2度目の手術を実施。術前の診断では「腹膜播種再発」とされたが、いざ開腹してみると、予想された腹膜播種は1つも見つからなかった。結局、このときの手術は試験開腹のみで終わった。

「お腹はつるつるで、きれいでした。奇跡です」

主治医の赤須医師はうれしくてたまらないという様子で、そう、家族に報告した。

5-FU= 一般名フルオロウラシル
ロイコボリン= 一般名レボホリナートまたはホリナート

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