妻の病を機に始めた闘病記探しが、自身の闘病を支えてくれた不思議 「闘病記」の魅力に取りつかれたネット古書店店主の大腸がん奮闘記 オンライン古書店「古書 パラメディカ」店主・星野史雄さん

取材・文:吉田燿子
発行:2011年2月
更新:2019年7月

  
星野史雄さん

ほしの ふみお
1952年生まれ。早稲田大学大学院修了後、研究職を経て大学受験予備校に勤務していたが、97年に妻、光子さんの逝去を機に退職。翌年、闘病記専門のオンライン古書店「古書 パラメディカ」を開店。2010年に自身の大腸がんが見つかり、現在も抗がん剤治療をしながら古書店経営を続ける。

妻の乳がんが再発したとき闘病記を探して街を走り回った。その経験から「いつでも、どんな病気についても、患者の生の声=闘病記が手に入る場所があってしかるべき」という思いが生まれ、闘病記専門のオンライン古書店を開店した星野史雄さん。自身も大腸がんを患いながら、今日も新しい闘病記を求めて街をさまよう。

「闘病記はきっと助けになる」苦い経験から生まれた思い

妻のがん再発をきっかけに、98年、闘病記や一般向けの医療関連書を専門に扱うオンライン古書店を開業。以来10数年間にわたり、古書販売を通じて、闘病中の患者や家族を支えてきた人がいる。「古書 パラメディカ」店主、星野史雄さん(58歳)だ。

星野さんはホームページを拠点とするインターネット通販により古書を販売している。扱う古書の価格は、「定価の半額前後」が基本。一般に古書の世界では、希少本ともなれば、需給の法則に従って値も上がるのが相場だが、あくまで半額販売を貫くのがパラメディカ流だ。

近年の自費出版ブームもあって、闘病記は2日に1冊のペースで出版され、大いに活況を呈している。2010年4月現在、「古書 パラメディカ」のホームページに掲載されている闘病記の数は、361種の病名別に2501タイトル。このうちがんだけに絞っても、乳がん・胃がんなど122種の部位別に1174タイトルを挙げている。

「闘病記とはいわば、病気と向き合うときに必要な知識を、要領よく時系列でまとめたもの。僕も女房を乳がんで亡くしましたが、闘病記を読んでいると、『事前にこういう知識があれば、女房にこんなアドバイスができたのではないか』と思えてくる。病気を告知されて茫然としているときに、夜を徹して闘病記を3冊ぐらい読めば、問題を冷静にとらえる助けとなるのではないか。そう思って、闘病記を集め続けているわけです」

妻が40歳で乳がん発症、そして再発

現在、古書の目録作りに携わっている星野さんだが、そのルーツは学生時代にある。大学院で中国の古典の書誌学的研究に従事し、文献の目録作りを担当。その後、恩師の急逝に伴い、大学受験予備校に講師として就職した。進学指導の責任者や私立医学部受験コース室長などを歴任。仕事に追われながらも、妻の光子さんと愛犬との平穏な日々を送っていた。

そんな日常が一変したのは、40歳になった妻の乳がん発症がきっかけだった。

93年8月、妻の光子さんは左胸のしこりに気づき、近所のクリニックを受診。妻と一緒に検査結果を聞きに行った星野さんは、カルテにあった「cancer(がん)」という文字を見て衝撃を受けた。

「乳がんや子宮がんの体験者は多いし、術後の生存率も高いようだから心配ないよ」

星野さんはそう言って妻を励ましながら、翌日、ひそかに神田の大手書店に足を運んだ。医学書フロアで乳がんに関する本を探したが、専門書では歯が立たず、家庭医学コーナーでも乳がん関係は数冊しかない。インターネット普及以前とあって、一般の人が入手できる医療情報には限りがあるのが実情だった。

光子さんは全摘手術を受け、術後はホルモン療法を実施。「きつい治療はいや」という妻の希望で、抗がん剤治療は行わなかった。だが、不運にも2年後の95年12月、光子さんの乳がんは再発してしまう。

職場の冷たい視線に耐え「余命1年」の妻を介護

写真:大学受験予備校に勤務していたころの星野さん

大学受験予備校に勤務していたころの星野さん

写真:妻、光子さんと愛犬「サリー」。光子さんはサリーの散歩中に、よその犬をかまうのが何よりの楽しみだった

妻、光子さんと愛犬「サリー」。光子さんはサリーの散歩中に、よその犬をかまうのが何よりの楽しみだった。

写真:光子さんが亡くなった後、15歳のサリーの存在が星野さんの心の慰めとなった

光子さんが亡くなった後、15歳のサリーの存在が星野さんの心の慰めとなった

痰に血が混じっていることに気づき、病院で検査したところ、がんの再発と肺・骨への転移が判明。左肺上葉切除後の病理検査の結果、星野さんは主治医から「光子さんの余命は1年」と告知を受けた。

「それからの1年間が1番大変でしたね。『奥さんは余命1年』と言われて、僕自身が『もう、だめかな』と思ってしまった。女房は再発したことを知らなかったので、本人以上に家族のほうがつらかったかも……」

手術後、光子さんは再びきつい治療を拒否。治療は鎮痛薬の投与のみとなった。

「女房は病気について話すことをいやがった。だから、彼女が肺や骨への転移について、どの程度理解していたのかはいまだにわからないんです。夫婦の話題は、老境を迎えた愛犬のことばかり。成熟した患者と家族の会話というのは、当時の我が家にはなかったんですね」

星野さんは余命告知を1人で抱え込みながら、通院治療に行く妻に付き添い、2週間おきに病院に通った。亡くなる前の入院生活は120日間に及んだが、医療費をねん出するためにも仕事を休むわけにはいかない。年も後半に入ると、予備校は大学入試センター試験を控えて、1年で最も多忙な時期を迎える。職場での冷たい視線に耐えながら、定時で退社し病院に通う日々が続いた。一方、自宅では老いた愛犬が主人の帰りを待っている。仕事と、妻と犬の介護の負担が一挙に両肩にのしかかり、「かなり追いつめられましたね」と星野さんは述懐する。

妻の光子さんを看取ったのは、再発から1年余を経た97年1月のことである。星野さんは妻の死に打ちのめされ、そのストレスから予備校を退職。1年間は何もしないと決め、9月には愛犬も見送った。

(妻にとって、自分は果たしてよき介護者だったのだろうか)

星野さんは自問し、後悔に苦しめられた。星野さんをパラメディカ設立へと突き動かしたものは、この悔いにほかならない。

闘病記の収集熱が高じてオンライン古書店を開業

写真:約2500冊もの蔵書が並ぶ、「古書 パラメディカ」の書庫

約2500冊もの蔵書が並ぶ、「古書 パラメディカ」の書庫。
がんの闘病記(122種の部位別に1174タイトル)……乳がん166・胃がん121・肺がん107・大腸(直腸・結腸)がん106・白血病(成人)68・脳腫瘍(成人)37・肝臓がん50・子宮がん34・悪性リンパ腫(成人)28・小児がん134など

星野さんが闘病記を探し始めたのは、光子さんのがん再発後のことである。手始めに、都心の大手書店の在庫検索システムで「乳がん」という病名でキーワード検索してみたが、なかなかヒットするものがない。

父から勧められて、故・千葉敦子さんの闘病記も数冊手にとってみたが、硬骨の女性国際ジャーナリストが書いた闘病記は、のんびり屋の妻に向くものとはとても思えなかった。

「もっと、ごく普通の主婦が書いた闘病記がないものか」

そんな思いから始まった星野さんの闘病記探しは、妻の死後も続いた。

「いつでも、どんな病気についても、患者の生の声=闘病記が手に入る場所があってしかるべきだ」――星野さんはそう思いながら、“ 昔取った杵柄” で闘病記の文献目録を作ろうと、神田や板橋の古書店を片っ端から回った。だが、無名の人間が書いた闘病記を古書店で見つけるのは容易ではない。そんななか、ターニングポイントとなったのは、新古書店チェーン「ブックオフ」との出合いであった。

「ブックオフの105円コーナーには、普通の本屋なら捨ててしまうような、自費出版本や売れない本が残っている。ここに、闘病記がけっこうあることがわかったんです」

その後は、首都圏のブックオフをしらみつぶしに回り、行く先々で闘病記を買い求めた。このコレクションを活かし、闘病記を必要とする人々の役に立てられないか――そんな思いから、退職金と妻の生命保険金を元手に、98年10月、オンライン古書店「古書パラメディカ」を設立。他の闘病記サイトや医療情報サイトとのリンクも充実させた、患者のための情報拠点を開設したのである。

とはいえ、「これで食べていける」という目算があったわけではない。予備校への復職も考えないわけではなかったが、星野さんは“ 宝探し” のような闘病記収集の楽しさにすっかり魅了されていた。また、パラメディカがマスコミで採り上げられたことで注文も増え、今さら古書業をやめられなくなってもいた。

だが、「闘病記専門の古書店では食えない」現状に変わりはない。生活費は貸しビルの賃貸料や大学の非常勤講師の給料でまかない、手持ちの資金を本代につぎ込むため、吉野家の牛丼など安価なファーストフードで食事を済ませることも多かった。

そんな食生活が祟ったのだろうか、今度は星野さん自身ががんに倒れてしまう。

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