がんと共存しながら歌い続け、歌の心そのものを伝えたい 骨転移、肺転移の難治がんでも最後まであきらめず、目標を持って生きていく 声楽家/テノール歌手・本田武久さん

取材・文:吉田燿子
発行:2010年12月
更新:2018年10月

  
本田武久さん

ほんだ たけひさ
1971年生まれ。山形大学卒業後、高校の音楽教師の職に就くが、声楽家になる夢を追い、01年、29歳で東京芸術大学に入学。05年に卒業後、アルバイトや歌の個人指導などをしながら地道に活動し、音楽活動が軌道に乗り始めた07年に胞巣状軟部肉腫を発症。3年間で5回の手術を乗り越え、治療法のほとんどない難治がんと共存しながら、テノール歌手として今日も歌い続けている。

プロのテノール歌手になる夢を追い続け、ようやく第1歩を踏み出した直後に、がんと診断された本田武久さん。「完治が難しい病気なら、積極的な治療よりも日々の生活を充実させることを選びたい」歌うことで生きていることを実感するという、その生きざまをお伝えする。

「病気なのに歌っている人」とは思われたくない

写真:コンサートで歌う本田さん

2010年6月、「あきた がん ささえ愛の日」のコンサートで歌う本田さん。「このイベントをきっかけに、がんについての知識を深めたり、健康や生き方について考えたりする方が1人でも増えるといいなと思います」と話す

「生きているからこそ、歌を歌うことも、聴くこともできる。僕にとって音楽とは、『生きていることを実感する時間』です」

そう語るのは、神奈川県在住の声楽家・本田武久さん(39歳)。

本田さんは1000万人に1.5~3人の発症率といわれる「胞巣状軟部肉腫()」と闘いながら、テノール歌手としてリサイタル活動を続けている。

本田さんが発病したのは3年前。東京芸大卒業後、声楽教師や福祉の仕事をしながら歌を歌い続け、徐々に演奏機会も増え始めた矢先の出来事だった。

本田さんは闘病の記録をブログで公表している。そのなかに、何度も繰り返される、ある印象的なフレーズがあった。「そして きょうも うたを うたう」――この言葉の意味を本田さんに尋ねてみた。

「僕は『病気なのに歌っている人』とは思われたくない。自分という1人の人間の歌を聴いてもらいたいのです。年齢を重ね、多くの人との出会いのなかで経験したことのすべてが、僕の体のなかに染みついている。曲や詩の魅力を引き出し、人生で経験したことを歌に乗せて、お客さんに届けられたらいいな――そんな思いを込めた言葉です」

胞巣状軟部肉腫(ASPS)=軟部組織(体の肺や肝臓などの実質臓器と支持組織である骨や皮膚を除いた筋肉、腱、脂肪、血管、リンパ管、関節、神経)から発生した悪性非上皮性腫瘍。非常に進行が遅いが、肺、骨、脳に転移しやすい

音楽教師の職を投げ打って東京芸大へ

本田さんの音楽との出合いは、子供時代にさかのぼる。中2までピアノを習い、音楽教師を志して山形大学教育学部特設音楽科に進学。声楽を専攻し、95年に卒業すると、地元・秋田の高校で音楽教師の職に就いた。

大好きな音楽を子供たちに教えるという、念願の仕事。だが、本田さんの心にはすでに別の夢が生まれていた。きっかけは、山形大で知り合った憧れの先輩が、声楽家をめざして東京芸術大学に進学したことだった。

「自分も大勢の人の前で、音楽の魅力を伝えられるような存在になりたい」

心の底にきざした声楽家への夢――それに気づかぬふりをすることは、もはやできなかった。

1年後に退職・上京。高校の非常勤教師や知的障害者向けグループホームのアルバイトで生活を支えながら、東京芸大合格をめざしてレッスンを重ねた。5年間の努力の末、3回目の挑戦でついに合格。2001年、29歳のときのことである。

夢にまで見た芸大生としての生活。だが、綺羅星のごとき才能を持つ仲間に囲まれて、気遅れを感じなかったわけではない。

「ひと回りも年下の同級生たちのパワーに圧倒されて、自分の実力のなさを痛感させられました。芸大に入りさえすれば自然に歌がうまくなるとどこかで思っていたけど、結局は自分自身が努力し続けなければうまくならない。当たり前のことなんですが、そんな壁を実感しました。でも、勉強は楽しかったですね」

在学中から国内のコンクールで入賞・入選を重ね、05年の卒業後は、アルバイトや歌の個人指導などをしながら演奏の場を求めた。日本歌曲とフランス歌曲を得意とするテノール歌手として地道に活動し、音楽活動が軌道に乗り始めたのは07年のことだ。「いよいよこれからだ。がんばろう」――本田さんを病が襲ったのは、そんな矢先のことである。

36歳の冬に胞巣状軟部肉腫を発症

07年12月25日、足の痛みを感じて地元の整形外科を受診。レントゲンを撮影したところ、足の骨の部分に白い影が映った。2日後、本田さんは神奈川県立がんセンター・骨軟部腫瘍外科医長の竹山昌伸さんのもとを訪れた。

「おそらく、がんでしょう」

そう告げられたが、本田さんはキツネにつままれたような心境だった。足が痛い以外は元気いっぱいだったので、一向に実感がわかなかったのだ。

MRIの結果が告知されたのは、翌08年1月10日。ふくらはぎに最大4センチの悪性腫瘍の存在が認められた。生検の結果、判明した病名は、「胞巣状軟部肉腫」。原発巣付近の腓骨にも転移があり、肺にも遠隔転移した無数の腫瘍が見つかった。

胞巣状軟部肉腫とは、1000万人に1.5~3人の発症率といわれる難病である。病気の進行が遅い半面、有効な抗がん剤がなく、今のところ標準的な治療法は確立されていない。

竹山さんとの話し合いで、まずは手術療法により原発巣の痛みを取り除くという治療方針が定められた。一方、肺の転移は広範囲にわたっているため、手術をすると演奏活動に支障が出る可能性がある。そこで、経過を観察しながら必要な手立てを講じていくことになった。

完治が難しい病気なら、残りの人生を治療だけに費やすことは避けたい。積極的な治療はせず、日々の生活を充実させることを選びたい――そんな思いを理解してくれる主治医にめぐり会えたのは幸運だった、と本田さんは語る。

本田さんは告知の際の竹山さんの言葉を今も鮮明に覚えている。「人生のまとめに入ったほうがいい」――とりようによっては厳しい言葉だが、本田さんはそこに力強いエールを感じ取った。「胞巣状軟部肉腫は進行の遅い病気。共存しながらやれることはまだまだある」。同世代の主治医の言葉に、本田さんは励まされるような思いがしたという。

最初の告知直後の本田さんのブログには、こんな言葉が綴られている。

〈この試練に勝ってこそ、初めて『音楽を愛している』と言えるような気がします。癌に負けてしまったら、二度と歌うことはできませんから〉 希望に満ちた人生の途上で見舞われた、青天の霹靂ともいえる不幸。にもかかわらず、本田さんのブログには前向きな言葉が溢れている。なぜ、これほど淡々と病気を受け入れることができたのか。それには、20代で経験した数々の困苦によるところが大きい、と本田さんは言う。

「過去の大失恋や貧乏、芸大受験失敗、人にだまされたこと――今思えば他愛ないようなことでも、若いころの僕にはとてもつらかった。病気よりも、その苦しみのほうがよほど大きかったような気がします。告知を冷静に受け止められたのは、そのせいかもしれません」

〈私の新しい歌人生は始まったばかりです!〉

写真:取材当日の本田さんの食事

がんを発症してから、免疫力を高めるメニューの食事を心がけるようになった。取材当日のメニューは、玄米、根菜ときのこのみそ汁、キャベツとエリンギの炒め物、豆腐、黒豆、ほうれん草のごまあえ、梅干し

2月26日、辺縁切除といって、可能な限り腫瘍周辺の組織を温存しつつ、腫瘍を摘出する手術を実施。転移した腓骨の病巣も取り除き、人工骨を埋め込んで金属プレートで固定した。

手術は無事終了したものの、退院早々、思わぬ後遺症に襲われた。手術から1カ月後、突然、傷口が開いてしまったのだ。原因は金属プレートに付着した黄色ブドウ球菌による感染症。急きょ再入院して2度目の手術を行ったが、その後も本田さんは感染症に苦しめられることになる。

このころ、本田さんはブログにこう書いている。

〈それでも神様は私に『声』だけは残してくれている!(中略)私の新しい歌人生は始まったばかりです!〉

このときの心境を、本田さんはこう語ってくれた。

「それまでは、どちらかといえば、『技巧的なテクニックをお客さんに披露したい』という思いのほうが強かった。でも、病気をきっかけに、『自分はこれまで、本当によいと思った音楽を追求してきたのだろうか』と思い始めたんです」

芸術家として音楽に向き合う姿勢。それが、闘病生活を機に大きく変わりつつあった。「これからは、自分が心から惚れ込んだ曲を聞いてもらいたい」と語る本田さん。がんとの出合いは、本田さんにとって、音楽家人生の第2幕を告げる開幕ベルとなったのだった。

翌09年3月、感染症を防ぐため、足に埋め込んだ金属プレートを除去する手術を実施。検査のたびに肺の腫瘍は増大していたが、症状が安定していたこともあって、歌の個人レッスンやリサイタル活動を再開。免疫力を高めるため、食事にも気を配るようになった。ブログに写真が掲載されている、本田さん手作りの玄米菜食中心の和食は、どれも本当においしそうだ。

入院中や手術前後は気が張っていても、いったん日常生活に戻ると、ささいなことが気持ちを重く沈ませる。病院で知り合った患者さんの話を聞いたり、患者さんのブログを読んだりするにつけ、病状が進行したときの自分を想像して、不安に苛まれることも多かった。

「でも、そうやって落ち込むことが、『今の自分にできることはないか』『より豊かに生きるためにはどうすればいいか』と深く考えるきっかけになる。その意味では、落ち込むことは、自分にとって必要な時間だったのかもしれません」

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