乳がんが再発、したいことリストを作り、「今」を思う存分生きる
病人としてではなく、自分らしく生きたい

取材・文:吉田燿子
発行:2010年6月
更新:2013年8月

  
仲西実穂さん
仲西実穂さん
主婦

なかにし みほ
1965年生まれ。幼いころから物作りが好きで、「看板製作」の仕事に関わる。2005年、40歳のときに左乳房にがんが発覚。2年後に肺に転移。現在、抗がん剤治療中。再発がわかった後、「今したいことリスト」を作り、自転車長距離イベントなどに挑戦し続けている

乳がん手術から2年。肺に転移

乳がん手術からちょうど2年目、2007年8月に医師から肺転移を告げられた。42歳だった。

予後の比較的よい乳がんだからこそ、再発を知って受ける衝撃は計り知れない。誰でも打ちのめされる瞬間だが、仲西実穂さんは少し違ったという。

「転移すれば完治が難しいことはわかっていたのでショックでしたが、心配して心配してきた結果、『こうなったらしょうがないか』みたいに突き抜けた感じでした。取り乱すことはなく、不思議な感覚でした」

だが、それまでは不安定な精神状態との闘いだった。苦悩し、もがいた2年を、

「まるでジェットコースターのようなアップダウン」

と、波を描くような手振りをまじえて笑顔でいう。

自らを客観視する目線をもっているからだろう。

楽しい話の合間に深刻な話をさりげなく語る。仲西さんは再発、転移をいかに克服したのだろうか。

人生の折り返し点の40歳でがんが発覚

最初に乳がんの告知を受けたのは2005年7月13日だった。

その年と前年に視触診だけの乳がん検診は受けていたが、異常は見つかっていなかった。

しかし、自分で胸を触るとシコリのようなものが指に当たる。知人の医師に相談すると、すぐに乳腺外科を紹介され、受診して乳がんだとわかった。

「40歳は漠然と人生の折り返し点だと思っていたんです。でも、折り返したらいきなりゴールテープが見えたようで、『ああ、終わってしまうのかなあ』と。無念さでいっぱいになりました」

病院の駐車場で夫はハンドルに突っ伏したまま動けなくなり、仲西さんも少しだけ泣いた。

が、あとにも先にも仲西さんが自分のがんのことで泣いたのは、このときだけだ。

病人としてではなく自分らしく生きる

CT(コンピュータ断層撮影)などの検査の結果、左乳房に1.9センチ、ステージ(病期)1の初期の乳がんとわかり、告知から1カ月後の8月に無事手術を終えた。

術後の病理検査ではリンパ節転移はなく、「ホルモン感受性」が陽性で中リスクとされた。

術後、すぐに全身治療のためのホルモン療法に入ることが決まった。

ゾラデックス(一般名酢酸ゴセレリン)とノルバデックス(一般名タモキシフェン)による治療が始まる直前、予期せぬことを医師から聞かされる。

子どもを持てないということだった。ホルモン療法の期間は、子宝には恵まれない。

「そのショックが大きく、気持ちをなんとか落ちつかせるまで1年かかりました」

2重の衝撃に打ちひしがれていた仲西さんに、あるテレビ番組が気持ちを切り替えるきっかけを与えてくれる。

31歳で肺がんになり、「余命2年」の告知を受けながらも、自らのライフスタイルを貫いて逝ったライターの奥山貴宏さんを追った『オレを覚えておいてほしい』(教育テレビ)だった。

奥山さんの生きざまは、仲西さんの心へすっと入り込んだ。

「ああ、病人として生きるわけじゃなく、自分が自分らしく生きればいいんだ、と教えられたんです」

奥山さんが日記風につづった著書『31歳ガン漂流』(ポプラ社)もすぐに買い、むさぼるように読んだ。

奥山さんは余命告知の日の日記に、冗談まじりに書いている。

〈とりあえず、年金を払うのをやめよう〉

入院した病院で音楽を聴き、プラモデルづくりに熱中し、同室の患者や医師をユーモアまじえて描き出す。外泊許可が出ればバイクに乗り、グルメに走り、表現者として、ともすれば悲劇になる闘病記をトンガって書いている。

〈怒り、絶望、恐怖、悲しみ、そういう要素は全部オレ1人だけで楽しむためにとっておく。もったいなくて、誰とも分かちあいたくない。読者には悪いけど、全部オレ1人だけの領域〉

と、著書にはある。

仲西さんは、奥山さんの生き方に共鳴した。

「悔しいこととかつらいことは実際、あります。奥山さんは、格好いいなあと思いました」

仲西さんの「自分らしさ」を探す旅が始まった。

「今したいことリスト」を作成

写真:2008年に行われた「石垣島アースライド」に参加

2008年に行われた「石垣島アースライド」に参加。仲西さんは最長の100キロを見事に完走した

もちろん、すぐに奥山さんと同じような生き方ができるわけではない。

さらに1年は、再発への不安に怯えつつ、アップダウンを繰り返す不安定な精神状態との闘いになる。

術後に続けてきたホルモン治療があと2回で当初の目標の2年を迎える2007年8月、検診で肺転移が見つかった。

再発すれば完治はのぞめないことは知っていたが、悩み抜いたためだろう。想像していたほどのショックはなかった。

限られた時間をいかに有意義に過ごすかということに、発想を切り替えた。山ほどあるやりたいことを自分なりに整理し、「今したいことリスト」を作った。

その2つのカテゴリーが「物作り」と「自転車に乗ること」だった。

幼いころから物作りは大好きで、結婚後も家事を担いつつ「看板製作」の仕事も没頭してきた。だが、サイクリング部だった学生時代から趣味にしてきた自転車は、体が十分に動くうちにしかできない。 「薬の副作用が少ないうちじゃないと難しいだろうなと思っていたとき、偶然広告を目にしたんです」

自転車雑誌に掲載されていた「石垣島アースライド2008」は、サイクリングで美しい自然や島の文化に触れ、環境についても考えるエコサイクルイベント。

すぐに自転車仲間に声をかけて約束をとりつけ、ツアーに申し込んだ。

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