自分を救ってくれた歌を通じて、私も誰かのために祈りたい 死力を尽くして自分らしく生きることを選んだ、ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美)さん
1968年生まれ。北海道出身。幼い頃からピアノや歌を習い、27歳のときに渡米。そこで、ゴスペルと運命的な出合いを果たす。日本に帰国後、シンガーとしての活動を広げ、03年にはCDデビュー。05年、乳がんが発覚。08年に再発。少しでも多くの人に、自分の歌と生き方を知ってほしいと、現在も全国で音楽活動を続けている。
「どれだけ長く生きるか」よりも「どれだけ深く生きるか」―。ゴスペルシンガーとして活躍するkikiさんが1昨年、乳がんを再発したときに下した決断は抗がん剤治療を受けないこと。自分の歌や生き方を伝えることで、苦悩のなかにいる人が立ちあがるきっかけになれば―今は全国で音楽活動を続けている。
歌とは命の泉のようなもの
圧倒的な歌唱力と溢れるような情感、そして歌詞に込めた深い思い――KiKi(ゲーリー清美)さん(41歳)が歌うゴスペルを聴いて、その魅力の虜になってしまう人は少なくない。
ゴスペルとはGod spell (神のことば)、Goodspell(善きことば)の略で「福音」を意味する。
KiKiさんは27歳で渡米して以来、北海道を拠点にゴスペルシンガーとして音楽活動を続けてきた。
そんなKiKiさんが乳がんを発症したのは37歳のとき。1昨年に再発したが、術後の抗がん剤治療を拒否し、ゴスペルシンガーとして歌い続けることを選択した。
KiKiさんにとってゴスペルとは単なる歌のジャンルではない。それは常にKiKiさんに寄り添い、苦悩に満ちた人生を照らす松明でもあった。
「私にとっては、命の泉のようなもの。歌っていると、不思議と自分自身が癒されていく。ゴスペルとはそういう存在なんです」
KiKiさんはなぜゴスペルと出合い、人生を捧げることになったのか。その道筋をたどるとき、神慮としかいいようのないものの働きを感じるのである。
一家離散の憂き目にあい16歳でホステスの世界に
建設事業を営む父と音楽教師の母の間に生まれ、幼いころからピアノや琴、三味線などを学んだ。児童会長や合唱部のリーダーなどもこなす活発な少女だったが、帯広の中学時代に父の会社が倒産。一家離散の憂き目にあい、父母のいない家での生活はすさむ一方だった。暴走族に入ってシンナー吸引やけんかに明け暮れる日々。学費が払えず、年齢を偽ってホステスとして働き始めたのは16歳のときだった。
21歳で札幌市郊外に自分のパブをオープン。ピアノを置いて弾き語りを始めた。そうこうするうち、KiKiさんは黒人音楽、なかでもゴスペルに強く惹かれるようになっていく。
「アレサ・フランクリンやホイットニー・ヒューストンのようなR&Bシンガーは学歴もなく、譜面さえ読めない人も少なくない。彼らの歌の素晴らしさはどこから来るのか――そう考えたとき、有名な黒人シンガーの多くが過去に教会でゴスペルを歌っていたことを知ったのです」
アメリカで経験したゴスペルとの運命的な出合い
興味を惹かれたKiKiさんは、黒人音楽の歴史を調べ始めた。米国の奴隷制度のなかで黒人たちが経験してきた、筆舌に尽くしがたい差別と迫害。ゴスペルとは、苦悩と絶望に満ちた生を強いられた人々の祈りにほかならなかった。
「知れば知るほど、自分の人生と重なり合うものがある気がしました。若くして夜の商売に入り、お酒を提供して人を楽しませ、普通の女の子として友達と語り合うこともなく、自分を偽って生きてきた……。そんな自分とゴスペルが、不思議と重なっていったんです」
ちょうど独立7年目を迎えた頃。店の経営は順調だったが、長年の無理がたたって体が悲鳴をあげ始めていた。発汗や心臓の不調に悩まされ、日中は家に引きこもりがちになった。病院での診断は「自律神経失調症」。そんなとき、自分の心を癒してくれたのがゴスペルだった。
「本物のゴスペルを聴きたい」
思いが募り、27歳のときロサンゼルスに渡航。ロス暴動直後の市内は焼け跡のような惨状だった。黒人居住区サウス・セントラルの教会に入ると、まもなく聖歌隊の歌が始まった。大柄な黒人女性がソロを歌い始めたとき、KiKiさんのなかで何かが決壊した。気がつくと、人目もはばからず号泣していた。それが、魂の叫びともいえるゴスペルとの運命的な出合いだった。
ゴスペルに導かれて信仰の道へ
「私も彼女のように歌いたい」
ゴスペルシンガーとして生きる決意を固めたKiKiさんは、店を畳み、札幌のすすきので歌手として働き始めた。ロサンゼルスでボーカルトレーニングも受けたが、かっこうだけ真似してもゴスペルは歌えない。そこに心の叫びがなければ、ゴスペルではないのだった。
「ゴスペルを突きつめると、キリスト教の深層に触れていかざるをえない。あの黒人女性の歌があれほどパワフルだったのは、信仰の裏打ちがあったからです。でも、私には神がない、信じるものがない。自分の力を過信し、自分しか頼るものはないと信じて生きてきた。でも、本当に人間は努力だけで生きているのだろうか。もしかしたら目に見えない力が本当に存在するのではないか――ゴスペルとの出合いが、そんな自分自身への問いかけに変わってきたんです」
最初の渡米から1年が経過した頃、KiKiさんは札幌市内の教会に通い始めた。だが、ゴスペルとは無縁の日本の教会に通い続ける意味を見いだせず、「今日が最後」と思って出かけたある日のこと。隣に座った女性が突然、話しかけてきた。
「神様はKiKiさんの人生を、全部見ておられたと思いますよ。あなたが今まで独りで生きてきたと感じているとしたら、それは違うと私は思います。
あなたのために祈っていいですか?」
見ず知らずの人が手を取り、自分のために涙を流して祈ってくれる――それは衝撃的な体験だった。私もこんなふうに、人のために祈ることのできる人間になりたい。このことがあってから、教会に通うたびに心の鎧が少しずつ剥がれ落ち、素の自分に戻っていくのを感じた。神の実在が信じられるようになり、自分が味わった痛みや苦しみを歌っていいのだ、と思えるようになった。
母が乳がんを発症したのは、そんな折のことである。
「人間には努力だけでは解決できないこともある――そのことを、母の発病ではっきりと思い知らされました。大切なことは、希望を捨てず、信じる心を失わないこと。そのことをゴスペルが私に教えてくれたのです」
KiKiさんが札幌でクリスチャンの洗礼を受けたのは、それからまもなくのことだ。同じ年の99年、KiKiさんは教会の牧師の息子の米国人ウィリー・ゲイリーさんと結婚。2人の男の子にも恵まれた。口コミで歌の仕事も増え、魂を揺さぶるKiKiさんの歌声に魅せられる人は日増しに増えていった。
03年6月、ナッシュビルで録音した初のミニアルバム『GOD BLESS YOU』をリリースし、KiKiさんは念願のCDデビューを果たした。米国ゴスペル界の大物プロデューサーを迎え、自ら作詞作曲した4曲を収録。KiKiさんの存在は地元のメディアやレコードショップでも注目され始め、前途にはようやく光が射してきたかにみえた。
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