自らの体験を機に、魔法の帽子「ウィッシング・キャップ」を発案
命さえあれば、何でも乗り越えていける

取材・文:吉田燿子
(2010年3月)

  
伊佐美佐さん
伊佐美佐さん
(有)ISAMISAデザインスタジオ代表

いさ みさ
1961年生まれ。大学卒業後、一貫して婦人服の企画・デザインに従事。41歳のとき、心臓の上に奇形腫が見つかる。化学療法、手術を行い、今年で術後8年目を迎える。退院後は、自らの体験を機に、抗がん剤の副作用で脱毛した患者さん向けに、着脱可能な付け髪が付いた「ウィッシング・キャップ」を発案。現在、全国の患者さんの声に耳を傾けながら、「ウィッシング・キャップ」の提供に努めている

がんを機に付け髪つき帽子「ウィッシング・キャップ」を発案

写真:ウィッシング・キャップ
抗がん剤の副作用で脱毛した患者さん向けに発案した「ウィッシング・キャップ」。ショート、セミロング、ロングと好みのヘアスタイルを選び、全ての帽子に取り付けることができる

最近、がん患者さん向けに開発された、あるアイデア商品が注目されている。商品の名は「ウィッシング・キャップ」。これは着脱可能な付け髪が付いた帽子で、抗がん剤の副作用で脱毛した患者さんのために作られたものだ。

このウィッシング・キャップを開発したのは、東京・日野市でISAMISAデザインスタジオを営む伊佐美佐さん(48歳)。伊佐さんは自らもがんを患い、化学療法を行った。

このとき副作用による脱毛を体験したことが、この画期的な帽子を考案するきっかけになったという。

ウィッシング・キャップには、「それをかぶると、どんな希望もかなえられる魔法の帽子」という意味があることを知った伊佐さんが、願いを込めて名付けた。帽子に付け髪をつけるという斬新なアイデアを生み出したのは、伊佐さん自身のがん体験と、アパレル業界でのキャリアだった。

育児と仕事の両立でストレスが蓄積

写真:アパレル会社の企画・デザイン室にて
アパレル会社の企画・デザイン室にて。連日夜遅くまで仕事にあけくれる毎日だった

文化女子大学で服飾を学び、有名アパレルメーカーに入社。以来、一貫して婦人服の企画・デザインの仕事に携わってきた。バブル全盛期とあって、アパレル業界は空前の活況を呈していたが、それだけに仕事もハードだった。

「年に数回ある展示会の前はとくにきつかったですね。夜中の2時、3時まで仕事するのは当たり前。服を見ても楽しくなくなって、何のために仕事をしているのか、わからないような状態でした」

33歳のときに結婚。妊娠・出産を機に会社を辞め、育児をしながら、友人の企画会社を手伝い始めた。

とはいえ、育児と仕事の両立は予想以上に大変だった。通勤に片道1時間半かかるので、夕方4時には会社を出て、保育園に迎えに行かなければならない。帰宅後、あわただしく子供の夕飯と入浴をすませ、翌朝も6時起きで、出社前に保育園に子供を送り届けなければならない。

「育児をしていると、どうしても働ける時間に限りがある。『うちの会社には必要ない』と仕事を切られたことも何度かありました」

伊佐さんは当時を振り返ってこう語っている。

心臓の上に奇形腫が見つかる

知らず知らずのうちに無理を重ねていたのか、風邪で寝込むことが増えた。体調に大きな変化を感じたのは、41歳のとき。02年1月23日、39度の高熱が出て、実家に近い八王子の総合病院に入院した。レントゲンによる胸部撮影で影が見つかり、CT(コンピュータ断層撮影)で精密検査を行ったところ、心臓上部に3センチ大の腫瘍が見つかった。

診断結果は「奇形腫(テラトーマ)」。奇形腫とは、新生児の段階で、生殖器のもとになる胚細胞が体内で腫瘍化したものだ。ほとんどは良性だが、まれに悪性化するケースもある。

「良性の腫瘍なので、手術すれば治ります」と医師に言われたが、開胸手術にはためらいもあった。「良性なら様子を見てもいいのでは」と思い、2月6日、セカンドオピニオン()でK大病院を受診。MRI(核磁気共鳴画像法)検査の結果はやはり奇形腫で、血液検査でも異常は認められなかった。「様子を見てもいいでしょう」と医師に言われ、5月に再度MRI検査を受けたところ、腫瘍の直径は3センチから5センチに拡大していた。

それでも手術をする決心はつかず、8月にMRIの再検査を実施。腫瘍はなんと8センチ大になっていた。良性であるはずの腫瘍が、異様なまでのスピードで拡大を続けている――伊佐さんのなかで、手術という選択肢が初めて現実味を帯びてきた。

セカンドオピニオン=「第2の意見」として症状や治療法について、担当医以外の医師の意見を聞いて参考にすること

「悪性腫瘍」と判明し直前で手術を中止

紹介状をもらい、9月下旬に神奈川県のS病院を受診。持参した画像を医師に見せると、診察室の雰囲気が一変した。

「診察室の奥から、『なんで、こんなのを放っておくんだ』という声が聞こえてきました。先生たちがMRIの画像を見ながら騒然としているんです」

2週間後の手術を予約し、K大の主治医の了解を得て10月3日に入院。血液検査を実施し、手術は8日と決まった。だがいよいよ明日は手術という日の朝、伊佐さんは突然医師に呼ばれる。血液検査の結果、悪性腫瘍と判明したので、翌日の手術は中止すると告げられたのだ。

すぐにK大病院に戻って再検査を受け、入院。

「とにかくビックリしました。にわかには信じられない、という気持ちでしたね」

なぜ、最初の受診から10カ月も経過しているのに、今さら手術できないと言われるのか。腫瘍がどんどん拡大しているときに、なぜ血液検査をしてくれなかったのか。後悔が次から次へと押し寄せてきた。

「異常には気がついていたのに、良性と信じ切っていた。自分自身腫瘍を育てていたんだと感じて、えも言われぬ気分でした。よく『失敗は成功のもと』というけれど、取り返しのつかないような失敗をしてしまった。もう、どうしていいかわかりませんでした」

術後2年間の再発率は50パーセント

写真:退院した翌年のクリスマス
退院した翌年のクリスマス。家族3人で東京・立川の昭和記念公園へ

主治医には抗がん剤治療を勧められたが、これまでの経緯もあって、安心して治療を任せる気にはなれなかった。だが、腫瘍が悪性とわかった以上、ことは一刻を争う。まずは抗がん剤の初回治療を受け、次クールまでの休止期間にサードオピニオンを受けるのがベストではないか――小児科医をしている従妹の助言もあって、10月中旬に入院し、ブレオ(一般名ブレオマイシン)、シスプラチン(商品名ブリプラチン、ランダ)、エトポシド(商品名ベプシド、ラステット)の3剤混合による抗がん剤治療が始まった。

初回治療後、国立がん研究センターの乳腺内科でサードオピニオンを聞き、転院を決意。10月31日に入院、すぐに抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術をする方針が決まった。その後、初回と同じ化学療法を4クール行ったところ治療が功を奏し、腫瘍マーカーの値はほぼ正常値と変わらないレベルまで低下した。 翌年1月29日に手術を実施。摘出した腫瘍は抗がん剤の効果で燃えカス状になっており、悪性かどうかの判別もつかないほどだったという。

幸い転移もなく、2月5日に退院。その後は月1回、外来で術後の経過観察が行われることになった。治療はひとまず成功したものの、伊佐さんの心は晴れなかった。「術後2年間の再発率は50パーセント」という医師の言葉が、重くのしかかっていたのだ。

残された期限付きの時をどう過ごすのか――伊佐さんはその問いと真摯に向き合わざるをえなかった。その思いは、後にウィッシング・キャップの開発へとつながっていく。

闘病を通じて伊佐さんが1番つらかったのは、治療が終わってからの2年間だったという。

「治療中はこちらも必死だし、医師や看護師さん、患者さんとのコミュニケーションもある。むしろ治療を終えて帰宅した後のほうが、孤立感に悩まされました。『2年間で絶対に再発する』と思い込んでいたこともあり、孤独と不安で眠れない日がつづきました」

そうこうするうち、懸案の2年間を無事クリア。体調が多少すぐれなくても再発の不安が薄れてきたのは、術後5年が経過した2007年頃だという。

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