がん体験者ならではのできることを追求し見つけ出した「再現美容師」という職業
がんと苦闘している患者さんをきれいにしてあげたい

取材・文:吉田燿子
発行:2010年2月
更新:2013年8月

  
菅谷利恵子さん
菅谷利恵子さん
再現美容師

すがや りえこ
1961年生まれ。美容専門学校卒業後、80年に横浜元町の美容室に就職その後サロンワークなどに従事。43歳のとき、婦人科検診で子宮頸がんが発覚、手術。その後08年9月にNPO法人日本ヘアエピテーゼ協会認定の「再現美容師」の資格を取得。08年11月には神奈川県横浜市に医療用ウィッグ専門の美容室、コワフュール・ド・コンフェッティをオープンさせる

自らのがん体験を機に再現美容師の道へ

写真:お店の前で、山崎さんと一緒に
お店の前で、山崎さんと一緒に

08年11月末、神奈川県横浜市に、医療用ウィッグを専門に扱う美容室、コワフュール・ド・コンフェッティがオープンした。この店を開いたのは、「再現美容師」の菅谷利恵子さん(48歳)。

再現美容師とはNPO法人日本ヘアエピテーゼ協会の認定資格で、「ウィッグを使って希望通りのヘアスタイルを再現する」美容師のこと。医療用ウィッグのカットやスタイリング技法、治療後のヘアケアや患者のメンタルケアなどを、総合的に習得した美容師だけに与えられる資格だ。

ヘアエピテーゼ協会の設立は05年。がんと闘う家族や美容師が中心となり、抗がん剤治療や放射線治療、脱毛症で悩む人々をサポートする目的でスタートした。2カ月に1度行われる「かつらの学校」では、前述の再現美容師の育成も行っている。

菅谷さんが再現美容師になったのは、自らのがん体験がきっかけだった。04年に子宮頸がんを発症し、手術を行った。術後の経過は順調で、5年間の術後検診も無事クリアした。

菅谷さんが友人の美容師・山崎照美さんとともに、ヘアエピテーゼ協会で再現美容師の資格を取得したのは、08年9月のことだ。

「この仕事を始めてまだ1年弱。私もがん体験者とはいえ、つらい抗がん剤治療を体験したわけではありません。私たち美容師にできることは、患者さんをもとの姿にしてあげること――それが最大のケアだと思っているんです」

43歳の婦人科検診で「がんの疑いあり」

写真:美容師になって4年目の忘年会で。左から2人目が菅谷さん
美容師になって4年目の忘年会で。左から2人目が菅谷さん

菅谷さんが美容師を志したのは高校2年のときだ。美容専門学校を卒業し、80年に横浜元町の美容室に就職。エステなども行う、当時としては先端的なサロンだった。

「最初の3年間はほとんど休みがとれなかったけれど、技術を覚えることが楽しくてたまらなかった。バブル直前でお洒落なお客様が多く、それだけにやりがいも大きかったですね」

元町という場所柄、顧客には客商売の人も多く、おのずと美容師に対する要求も高くなる。技術という点でも接客という点でも、顧客に教えられることは多かった。なにより、菅谷さんにとって、美容師の仕事とは「自分を表現する手段」だった。

「『1歩お店に出たら、そこは舞台だと思いなさい』、と上司にはよく言われましたね」

美容師としての自分を演じる緊張感と喜びを感じつつ、12年間にわたってサロンワークに従事。29歳で結婚すると、カラーコーディネーターとして夫の店舗設計の仕事を手伝うかたわら、体の不自由な方のための訪問美容なども行った。

そんな菅谷さんに、転機が訪れたのは43歳のとき。仕事が多忙で心身ともに疲労困憊し、点滴を受けながら仕事をこなす日々が続いていた。

「私たちもいい年なんだから、婦人科検診に行こう!」

友人に誘われて婦人科検診を受けたのは、そんな折のこと。結果を聞きに訪れた菅谷さんに、医師は再検査を勧めた。

(なんの自覚症状もないのに、再検査ってどういうこと?)

想像もしていなかった「再検査」というひと言。それを聞いて、菅谷さんは倒れそうなほどのショックを受けた。再検査の結果は「がんの疑いあり」。 「この検査結果を持って、神奈川県立がんセンターでもう1度調べてもらおう」

医師の言葉を聞いたとたん、体中の力が抜け、頭が真っ白になった。卵巣がんで亡くなった祖母や、肺がんで命を落とした祖父のことが頭をよぎった。

(あたし、死んじゃうの……)

菅谷さんは真っ青な顔でカルテを凝視し、まばたきもせずに固まっていた。

0期の子宮頸がんで円錐切除術を実施

04年11月下旬、細胞診のサンプルを持参してがんセンターを受診。検査結果が出るまでの3週間、菅谷さんはインターネットで病気のことを調べようと、何度もパソコンに向かった。だが、怖くて「がん」の2文字がどうしても打てない。「がん=死」というイメージが頭を離れず、現実を直視することができなかったのだ。

最終的な検査結果は、0期の子宮頸がんだった。

「あなたラッキーだったね。初期のがんだから、円錐切除という簡単な手術で大丈夫ですよ」

笑顔で告げる医師に、菅谷さんはこう尋ねた。

「円錐切除って、どんな手術なんですか」

「え!! 知らないの?」

医師は心底びっくりした様子を見せた。こんな常識的なことも知らないのか――そう非難されているような気がして、菅谷さんは傷ついた。聞きたいことは山ほどあるのに、診療時間はわずか5分。そうしたことのすべてが、「がん」の2文字に打ちひしがれている菅谷さんの心をふさいだ。

12月19日、日帰りで円錐切除術を実施。手術の際には家族や友人が支えとなってくれた。

「死というものを身近に感じたとき、はじめて、自分なんてちっぽけな存在だと感じました。人間は1人じゃ生きていけない、周りにいる人たちに支えられて生きているんだと実感しました。夫も言葉には出さなかったけれど、かなり心配していたようです」

がんと闘う患者さんをきれいにしてあげたい

術後の経過は順調で、翌年にはパートタイムでサロンワークにも復帰。だが、がんを体験した今となっては、何か物足りなさが募るのも事実だった。

術後検診で、がんセンターに定期的に通うようになった頃のことだ。そこで菅谷さんは、自分自身の崩れそうな心と闘う多くの患者さんの姿を見た。ニット帽を目深にかぶり、壁に寄りかかるようにして目を閉じている30代の患者さん。その姿が目に焼きついて離れなかった。

抗がん剤の副作用で脱毛した人や、ウィッグを着用している人も少なくなかった。だが、よく見ると、本人に合わないサイズやスタイルのウィッグを無理に身につけている人が多いことに気づかされた。

(この人たちのために、何か私にできることはないかしら)

プロの美容師としての使命感がムクムクと頭をもたげた。

がんと闘う患者さんたちをきれいにしてあげたい――菅谷さんがそう考えるようになったのには、訪問美容師をしていたときの経験も大きかった。体が不自由で少し痴呆気味の、ある老婦人を訪れたときのことだ。赤い口紅をつけているのを見て、「今日は素敵ですね」と声をかけると、老婦人はうれしそうに微笑んだ。

髪を整えるうちに表情も生き生きして、「ああ、素敵になった、どうしよう」「どこかに行きたくなるわねえ」と、とびきりの笑顔を見せてくれた。女性はいくつになっても、どんなときでも、キレイになると笑顔になれるんだ――そのときの感動は、今でも忘れないという。

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