がん医療の最前線で働く医師が、がんになって得たものとは
再発したら、そのときはそのとき。今は1日1日、ベストを尽くすだけ

取材・文:吉田燿子
発行:2010年1月
更新:2013年8月

  

植田健さん
植田健さん
泌尿器科医

うえだ たけし
1962年生まれ。89年千葉大学医学部卒業。98年医学博士号を取得。カナダのブリティッシュコロンビアキャンサーエージェンシーへ研究留学、千葉大学講師などを経て、現在千葉県がんセンター泌尿器科部長。06年3月44歳で急性リンパ性白血病を発症。骨髄移植などを経て、12月に退院。07年4月から復職し、今は毎日忙しく患者さんの診察にあたっている

がん医療の最前線で働く医師が皮肉にもがんに――

千葉県を代表するがん医療の拠点として、先進的な治療や緩和ケア、研究に取り組む千葉県がんセンター。ここに、自らもがんのサバイバーとして患者さんの治療に取り組む、1人の医師がいる。

同センターで泌尿器科部長を務める、植田健さん(47歳)だ。

植田さんは89年に千葉大学医学部を卒業し、98年に医学博士号を取得。カナダのブリティッシュコロンビアキャンサーエージェンシーへの研究留学、千葉大学講師などを経て、05年泌尿器科医長として千葉県がんセンターに着任した。

「発病前は10年単位で人生設計を考えていた」という植田さん。

「最初の10年は初期研修、大学院進学、留学を経験し、次の10年は専門医療機関に勤務」と、ほぼ“計画通り”に積み上げてきたそのキャリアは、まさに順風満帆というほかなかった。

専門医療機関の医師として、がん医療の最前線で闘う日々。そんな植田さんが、皮肉にも血液のがんである白血病を発症したのは、がんセンターに着任して1年もたたないころのことだった。

写真:手術中の植田さん

手術中の植田さん。千葉県がんセンターの泌尿器科全体の手術件数は年々増えているという

写真:手術中の植田さん

突然の発病・告知で「ああ、死ぬんだな」

「医者の不養生」という言葉に似合わず、植田さんは人一倍、健康には留意するほうだった。40代を迎えた頃から、がん検診もまめに受診し、万全の注意を払っていたという。

そんな植田さんに病の予兆が表れたのは、がんセンターに赴任して9カ月が経過した頃のこと。06年1月ごろから、肩こりや頭痛に悩まされるようになり、3月18日、深夜に足が痛み出して眠れなくなった。早朝6時過ぎに、勤務先のがんセンターを受診。

「おそらく風邪だろう。勤務先の病棟で2、3日入院させてもらおう」と、そのぐらいの軽い気持ちだったという。

たまたま当直をしていた腫瘍血液内科の医師が血液検査を行ったところ、白血球の異常な増殖が認められた。一般に正常値4000~1万個とされる白血球の値が、8万6000個まで上昇していたのだ。

「いずれわかることだから言いますけど……急性リンパ性白血病です」

当直の医師の言葉を聞いたとき、脳裏をよぎったのは歌手の故・本田美奈子さんの顔だった。

「ああ、死ぬんだな、と思いました。だって白血病といわれたら、普通、死ぬと思うでしょう」

がんの専門医も、一般の患者さんと同じように感じるんですね――と筆者が水を向けると、植田さんはこう続けた。

「医療が進歩しているといっても、急性リンパ性白血病患者の5年生存率は4割にすぎない。後で調べてわかったのですが、たとえ骨髄移植をして生き残ることができたとしても、免疫反応によってGVHD()という合併症が出るケースも少なくないですから」

医療の専門家である以上、病状が楽観できないという事実から目をそむけることはできない。無知の闇に逃げ込むことは許されず、現実の厳しさをただ直視するほかない。

治療のため、来院の3時間後には千葉大学病院に搬送された。

GVHD=移植片対宿主病。造血幹細胞の同種移植や臓器移植などの治療に伴う合併症。ドナーの移植した骨髄に含まれる白血球が、患者さん自身の体を攻撃する免疫反応が起こり、皮膚や肝臓、消化管などにさまざまな症状が出る

本田美奈子さんの追悼番組を見てベッドの上で号泣

写真:化学療法中の植田さん

化学療法中の植田さん。抗がん剤の副作用で、顔がパンパンに腫れ上がった

転院後すぐに骨髄穿刺を行い、抗がん剤の投与を開始された。身内にドナーがいなかったため、化学療法を行いながら、骨髄バンクからの骨髄移植のドナーが現れるのを待った。

寛解導入療法により、1回目はプレドニン(一般名プレドニゾロン)を投与。その後もキロサイド(一般名シタラビン)を中心とした併用療法やデカドロン(一般名デキサメタゾン)、アドリアシン(一般名ドキソルビシン)、エンドキサン(一般名シクロホスファミド)の併用療法など、6カ月間の化学療法が行われた。

治療中はさまざまな副作用に苦しめられた。吐き気や嘔吐、脱毛、全身の浮腫、発熱、手足のしびれ――。免疫力の低下で、無菌状態を作るアイソレーター(空気清浄機)に入ることもしばしばだった。

「白血球の値が下がるとやる気がなくなり、思考も停止してしまう。こうなると、ただひたすら嵐が通り過ぎるのを待つ……という感じでした」

あるとき、風呂の鏡に映った自分の姿を見て、植田さんは愕然とした。抗がん剤の副作用で、顔がパンパンに腫れ上がっていたのだ。ほどよく筋肉がついていたはずの手足はやせ細り、腹だけが餓鬼のように膨れている。「これは誰だ」――植田さんは落ち込んだ。

主治医や千葉大学病院のスタッフを信頼して、治療を続けるしかない。理性ではそうわかっていても、気持ちが落ち込むことも多かった。入院した瞬間から、自分はベルトコンベアに乗せられて1つの方向に向かっている。行き先はあらかじめ決まっていて、どうあがいても方向を変えることはできない――そんな無力感にさいなまれた。

折しもテレビでは、前年に白血病で急逝した歌手・本田美奈子さんの追悼番組がひんぱんに放映されていた。

「テレビ画面には、本田美奈子さんが臍帯血移植を受けたときの部屋の様子やアイソレーターなどが映し出されている。坊主頭にバンダナとマスクを付けた本田さんの姿をテレビで見た瞬間、泣けて泣けて……。テレビの中の光景が自分の闘病と重なって、本当にきつかったですね」

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