「歯肉がん、メラノーマは神さまから与えられた宿命です」
モンゴルでゴミ拾いツアーを実践する2度のがんを乗り越えた大道芸人の心意気

取材・文:江口敏
発行:2008年7月
更新:2013年8月

  

源吾朗さん

げん ごろう
昭和25年山形県天童市生まれ。
同47年新宿歩行者天国で「街頭世直し紙芝居」で大道芸デビュー。
一時ケーシー高峰さんに弟子入り後独立し、大道芸能家として独自の話術による「ガマの油売り口上」「バナナの叩き売り口上」「黄金バットの紙芝居」などを演じて活躍中。
海外公演も18カ国に及び、とくにモンゴル公演は合計14回を数える。
近年、歯肉がん、メラノーマを手術。今年「モンゴルゴミ拾いツアー」を実践する。
著書に『大道芸に生きて20年』『声に出して楽しみたい大道芸』など


芸能人は歯がいのち歯は取りたくなかった

歯肉がんです――そう言われて、源さんはわが耳を疑った。昔から「芸能人は歯がいのち」と言われている。若いころ、郷里・山形県天童市から役者を目指して上京し、アングラ系の小劇団を経て大道芸人となった源さんは、「月に1回は必ず歯医者へ行き、歯周病のチェックをし、歯石を取ってもらっていました」というように、日頃からひと一倍、歯には気を遣っていた。

平成16年11月、54歳の誕生日を前に、行きつけの歯科クリニックから、例年どおり、年に1度の検査の案内が届いた。しかし、多忙だった源さんは年内に行けず、歯科クリニックを訪れたのは、平成17年の春になってからであった。

検査してもらうと、歯茎に赤いものができていた。なじみの歯科医は、「抗生物質をつけておきましょう」と言って、クスリを塗ってくれた。1週間後、再び調べてもらうと、赤い異物は治っていなかった。歯科医は首をかしげながら、N大学病院への紹介状を書いてくれた。

N大学病院で組織を採り、細胞を調べてもらったところ、「歯肉がんです」と宣告されたのであった。手術が必要で、歯も取らなくてはならない、と聞かされた源さんは、「すぐに、セカンドオピニオンを求めたいと、先生の了解を得ました」という。

親しい医事評論家に相談すると、「大変だねぇ」と言いながら、T医大に紹介状を書いてくれた。しかし、T医大の医師も、「放射線治療でも歯が壊れます。手術で取ったほうがいいですよ」と診断した。納得がいかなかった源さんは、サードオピニオンを求める形で、名医といわれる同病院の他の医師にも相談したが、「手術したほうがいいですね」という答が返ってきた。

源さんは肚を据え、最初に訪れたN大学病院で手術を受けることにした。平成17年の連休直前であった。手術はすぐにでも受けられたが、「連休は私たちの稼ぎ時です。スケジュールがいっぱい入っており、キャンセルするわけにはいきません」ということで、手術は1カ月遅らせ、5月下旬にしてもらった。

左半分の歯を取り口上芸に不安も

その間に病状はステージ2まで進行した。当初3~4本の歯を取れば済むはずだったが、いざ手術をしてみると、左半分を取らざるを得なかった。のどのリンパ節も12~13個取った。全身麻酔で受けた手術は4時間に及び、病室を出て病室に帰るまで、7時間かかった。

麻酔から覚めたとき、源さんは思わず医師に尋ねた。「しゃべりは大丈夫でしょうか」と。医師は一瞬困ったような表情を見せ、「100パーセント戻るかどうかと言われると、何とも……」と言葉を濁した。源さんは目の前が真っ暗になった。

実際、術後1週間は、鼻から管を入れた状態が続き、しゃべることはできなかった。しかし、その間に源さんは完全に気持ちを切り替えていた。「しゃべれなくなる、どうしようと悩むより、よし、一生懸命リハビリをしよう、と思いました」と源さんは振り返る。

術後10日でガーゼが取れ、多少口が動かせるようになり、言葉が話せるようになった。2週間後、N大病院の屋上に、「アエイウエオアオ」、「アエイウエオアオ」と、発声練習をする源さんの声が響くようになった。屋上の壁には、奥さんが書いてきてくれた発生練習用の紙が貼られていた。

手術から25日後に退院したが、手術をした口腔外科と入れ歯を作った補綴科の両方に通った。「退院1週間後に補綴科に行き、入れ歯をいれてもらいましたが、最初は痛いんですよ。だから、口を動かすにも恐る恐るでした。その後も、痛くなったり、調子がおかしいと感じたときには、すぐに補綴科に行き、調節してもらいましたよ」と源さん。

当初、入れ歯の調子が悪いときは、「ガマの油売り」の口上、「さぁさぁお立ち会い、御用とお急ぎでない方は……」とやっていても、すれて痛くなった。また、慣れないうちは、つばがやけに出てきて、「さぁさぁお立ち会い……」とやっている間に、最前列のお客さんにつばが飛ぶこともあった。

最近はつばが飛ぶこともなくなったが、違和感は今でもある。「しゃべると、あごが引っ張られる感じがします」という。

悪化してきた左足の水虫状のジクジク

入れ歯の違和感は今も残っているものの、口上芸は昔と変わりなくできるようになった。しかし、がん細胞はそれだけでは源さんを無罪放免にしてくれなかった。

平成19年5月末、源さんはモンゴルの首都、ウランバートルにいた。モンゴルの小学校で紙芝居を実演したり、広場で「ガマの油売り口上」などの大道芸を披露して、日本・モンゴルの文化交流に一役買っていたのである。加えて、去年は芸人仲間を同行して、モンゴルでゴミ拾いも実践していた。その経緯は後述する。

ウランバートルのホテルで、源さんは左足に水虫状の小さなジクジクがあるのに気づいた。以前から、ほぼ1年おきに、梅雨時になると現れていたジクジクであった。「今年は早めに出たな」と思った源さんは、軟膏を塗り、絆創膏を貼って様子を見た。しかし、ジクジクは治る気配を見せなかった。

「おかしいなぁ?」と思った源さんは、帰国後、すぐに病院へ行こうかと考えたが、6~8月はスケジュールが詰まっており、行きそびれた。その間にもジクジクは大きくなり、絆創膏から滲み出るまでになった。

子どもたちの夏休みが終わり、仕事が一段落した9月、源さんはN大学病院の皮膚科を訪ねた。女医さんが診察し、「ははーん、これかぁ……、腫瘍ですねぇ。悪性か、良性か……」とつぶやき、N大I病院の専門医に紹介状を書いてくれた。「おおごとになったなぁ」、源さんはため息をついた。

N大I病院でレントゲン、採血、心電図、CTなど、さまざまな検査を行い、1週間後に結果を聞きに行った。若い男性医師の診断は、無情にも「悪性です」だった。「またかよー」、源さんは正直、落胆した。医師は「転移ではなく別の原発がんです」と言った。「手術をし、大腿部から植皮することになるでしょう」とも告げた。

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