ヨガ指導家&セラピストが乳がんになって――
がん再発の恐怖・不安がヨガによって救われた
くりき としこ
昭和22年 長野県生まれ。
昭和女子短期大学卒業後、広告代理店勤務。
昭和47年結婚。3年後に第1子誕生。
子どもが1歳半のときに結核で1年間入院。
昭和56年森川那智子さんと出会い、ヨガ及びヨガセラピーの師事を受ける。
平成11年3月1日に左乳房全摘手術を受ける。
現在、「こころとからだクリニカセンター」のスタッフとしてヨガのセッションやインストラクター養成講座にかかわっている
結核患者だったからがんにならない?
ヨガ教室の生徒さんたちを指導する栗木さん
JR高田馬場駅からほど近いビルの1室に、「こころとからだクリニカセンター」がある。平日の午後、明るく小ぎれいな待合室には多くの人がクリニック部門の診察を待っている。
小さな部屋に案内され、しばらくすると、「お待たせしました」と弾んだ声とともに、明るい笑顔の中年女性が、半袖の白いシャツに黒いトレーニングパンツ姿で現れた。カウンセリング・ヨガセラピーを担当する栗木登志子さん、乳がんで左乳房の全摘手術を受けた人とは思えない、溌剌とした女性である。
栗木さんが左乳房を触って、「乳がんでは?」と疑いを持ったのは、9年前、平成11年の年明け早々だった。ちょうどその頃、親しい友人、義理の兄嫁、義妹が相次いで乳がんの手術を行った。「乳がんって、多いんだ」と思いながら、何気なく左乳房に触れると、大きなしこりが感じられた。一瞬「?」と思ったものの、それほど深刻には受け止めなかった。自分はがんにはならないと思っていたからである。
栗木さんは31歳のとき、結核で1年ほど清瀬の病院で療養生活を送っている。当時、子供がまだ1歳半で、1年間の入院生活に沈んでいた栗木さんを、看護師は「結核はもういのちに関わる病気ではありませんし、結核になった人はがんになりませんから、がんばりましょうよ」と慰め、励ました。
ハンセン病患者さんや結核患者さんを診ている医師らは、彼らががんに罹る割合が少ないことに気づき、結核菌やライ菌の抗体が、がんを縮小する可能性があるのではないかと考えていた。
皮膚結核治療に効果を上げていたワクチンを開発した故丸山千里さんはこのワクチンをがん患者さんに使用してみようと思い立った。丸山ワクチンはこうした背景があって誕生したのである。
「丸山ワクチンの理論に納得し、私はがんにはならないと思っていました」という栗木さん。結核を克服したあと、自分で乳房を触ってみたり、乳がん検診に行ったりすることは、まったくなかった。
しかし、周りで乳がんの手術をする人が相次ぎ、気になって触ってみたところ、左乳房に大きなしこりが感じられたのである。「自分はがんにならない」と思っていたものの、少し気になって地元のレディース・クリニックに飛び込んだ。
温存手術を勧められたが左乳房全摘手術を選択
エコーを撮ってもらった。 「がんでしょうか?」という栗木さんの問いに、医師は明確に答えず、ある大学病院で精密検査を行うよう、紹介状を書いてくれた。そのクリニックではエコー診断以上の検査設備がなかったからである。
紹介状を持って大学病院へ行くと、担当医師は触診も検査もしないで、「手術日をいつにしましょう」と言い放った。「がんかも知れない」という思いの一方で、「自分はがんにならない」と思っていた栗木さんは、突然、がんを宣告されたばかりか、手術日の相談までされ、大きなショックを受けると同時に怒りも覚えた。
やっとの思いで、「専門病院に相談したいと思います」と告げた栗木さんは、再び地元のレディース・クリニックに戻り、事情を話して、当時大塚にあった癌研付属病院への紹介状を書いてもらった。癌研に行くと、エコー、マンモグラフィ、血液検査、細胞診まで行い、乳がんであることをきちんと説明された。がんは直径3センチにも達しており、進行度は「4期に近い3期」と診断された。担当医師には、「よくここまで気がつかなかったね」と言われたが、実際、栗木さんには、身体がだるい、痛いといった違和感はまったくなかった。癌研の丹念な診断に、栗木さんは納得し、手術の覚悟を決めた。
担当医師から、「4期に近い3期ですが、温存手術もギリギリ可能です。どうですか」と勧められた。温存と全摘では、最初のメスの入れ方から違うと言われ、決断を迫られた栗木さんは、病院側に温存の症例を増やしたいという意向が感じられたことと、温存手術にした場合、術後に放射線治療のために毎日、通院しなければならない、仕事のことを考えるととても無理だと、あえて全摘手術を希望した。
がんを受け入れられない自分が今もいます
癌研の手術日程が立て込んでおり、がんと診断されてから手術まで1カ月を要した。平成11年2月末に入院し、3月1日に手術を受けた。お昼ごろに手術室に入り、3~4時間かかった。手術の途中でリンパ節に転移していることがわかり、左のリンパ節をほとんど切除した。「今でも左腕がしびれていて、感覚はあまりありません」と言う。
実は、大学病院でがんを宣告されたとき、栗木さんはそのことを夫に告げなかった。癌研で手術をすることになったときには、夫にすべてを話し、医師の説明も一緒に受けていた。手術の日、病院に来ていたカメラマンの夫に対して、栗木さんは「切除した乳房を写真に撮っておいてね」と頼んで手術台に上がった。夫は医師から切除された患部を見せられたが、写真に撮ることはしなかった。「勇気がなかったんでしょうね」と栗木さんは微笑む。
担当医師から、「5年生存率70パーセント、再発の可能性は30パーセント」と告げられたとき、ふだんから物静かで、感情を表に表さない夫は、動揺することなく、淡々と受け止めたように見えた。「夫は5年生存率70パーセントのほうを信じたんだと思います」と、栗木さんは振り返る。
手術から9年経過し、再発もない栗木さんだが、いまだに「乳がんになったことを素直に受け入れられない自分がいる」と言う。それは、結核にかかった人はがんにならないという俗説を信じていたこともあるが、がんになる10数年前から、ヨガを学び、平成9年からは「こころとからだクリニカセンター」でカウンセリング・ヨガセラピーを担当して、心身には人一倍気を遣ってきたという自負があったからだ。
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