6年がかりで発見された前立腺がん。ホルモン療法と食事療法で立ち向かう
「もう手術しても治りません」と言われた病期D1の前立腺がんと闘う

取材・文:江口敏
発行:2008年2月
更新:2013年8月

  

三谷文夫さん

みたに ふみお
昭和11年生まれ。
千葉県佐倉市在住。国土交通省(旧運輸省)に36年間勤務、航空保安業務に従事。
退職後、航空保安業務関連の財団法人に7年間勤務。
平成9年、人間ドックでPSA4.4。その後、PSA値が上昇するが、がん未発見。
平成15年、5回目の針生検で前立腺がん発見、病期D1。
同年4月からホルモン療法を開始。PSA値が0.01まで下がり、平成17年4月より間欠療法に移行。
現在3度目のホルモン療法を行っている。
ホームページで「前立腺がん体験記」を公開している


人間ドックのPSA検査で「がんの疑い」の指摘

写真:「前立腺がん市民フォーラム」にパネリストとして参加した三谷さん

「前立腺がん市民フォーラム」にパネリストとして参加した三谷さん(右端)

少年時代、飛行機と無線通信にあこがれた三谷さんは、少年時代の夢をかなえる形で運輸省(現国土交通省)に入り、航空交通の安全に関わる航空保安業務に従事した。国土交通省勤務36年間に、地方空港勤務など12回転勤し、沖縄など11回引っ越したという。終の棲家である現在の住まいは、成田空港からほど近い佐倉市にある。

長年勤めた運輸省を退職し、航空保安業務関連の財団法人に勤めていた平成9年3月、三谷さんは虎ノ門病院で人間ドックに入った。そこで初めてPSA(前立腺特異抗原)検査を受けた。数値は4.4を示した。担当医師から「がんの疑いがありますから、精密検査を行います」と言われた。

寝耳に水であった。三谷さんは少し尿の出が緩いという自覚はあったが、前の病院では「歳を取ってくれば、尿の出が緩くなることは、誰にだってありますよ。気にすることはありません」と言われていたため、気にも留めていなかった。それが突然、「がんの疑いがある」と言われ、三谷さんは焦った。

がんの知識は皆無であり、医師に言われるままに精密検査を受けるしかなかった。前立腺がんエコー検査でも、MRI検査でも、がんは見つからなかった。肛門から針を刺して細胞を採取する針生検も行った。6カ所から細胞を採取して検査したが、がん細胞は発見されなかった。

泌尿器科の主治医は「針生検でがんが見つかる可能性は50パーセントです。がんがあるとも、ないとも断言できません」と説明した。

三谷さんは一抹の不安を残しながらも、ひとまずホッとし、様子を見ることにした。そして、何事もなかったように財団法人での仕事に精を出した。

1年後の平成10年3月、再びPSA値を調べると、10.5に上昇していた。一般的にPSA値が10~20に達すると、がんの可能性は30~40パーセントと言われている。主治医は三谷さんに、3カ月ごとにPSA検査を行うことを告げ、三谷さんも了解した。

同年9月、PSA値は15.4に上昇した。そこでエコー検査、MRI検査を受け、2回目の針生検も行った。しかし、がんは見つからなかった。

主治医は「PSA値が一直線に上昇していますから、がんの可能性が高いですね。前立腺肥大症の場合は、PSA値は多少変化はあっても、ほぼ水平線に近い値を示しますから」と説明した。

PSA値は上昇一途もがん細胞は発見されず

その後も、PSA値は上昇し続けた。平成11年11月に3回目のエコー検査、MRI検査、針生検を行った際には、PSA値は38.0に達していたが、がんは発見されなかった。平成12年11月、MRI検査を受けたあと、4回目の針生検を受けた。PSA値は58.3に上昇していたが、やはりがんは発見されなかった。主治医が「がんがあるはずなのに見つかりませんでした」と言いながら、「ヘビの生殺しのようで申し訳ありません」と済まなさそうに言ったことを、三谷さんはよく憶えている。

「がんの可能性がある」と言われてから4年近くが経ち、三谷さんはもう、がんが見つからないことに、慣れっこになっていた。しかし、麻酔をかけずに行う針生検の痛み、苦しさには耐えられなくなってきていた。三谷さんは年に1回の針生検は中止して、様子を見ることにした。その後、時の経過とともに排尿困難が進み、下腹部に不快感を感じるようになっていた。しばしば腰痛にも悩まされ、年中風邪気味であった。三谷さんは、自分のがんが次第に大きくなっていることを、自覚していた。PSA値も上昇を続けた。平成13年11月が88.1、平成14年7月には118.0となった。主治医は「私の患者さんで、PSA値が50を超え、がんでなかった人は、これまで1人もいません。三谷さんは100パーセント、がん細胞があるはずです」と断言した。

平成14年11月、PSA値が138.0になった。主治医が真剣な表情で言った。「もうこれ以上、様子を見ている段階ではありません。危険な状況にあるので徹底的に針生検を行う必要があります。こんどの針生検は下半身に麻酔をかけ、18カ所から細胞を採取します」と。

平成15年1月、2年以上受けなかったMRI検査を受けた。画像は明らかにこれまでのものとは違っていた。前立腺の表面がでこぼこし、形が崩れていた。がん細胞が前立腺の外側に浸潤し、前立腺近くのリンパ節に大きな腫瘍が写っていた。三谷さんが、来るべきものが来たことを覚った瞬間であった。最初に「がんの疑いがある」と言われてから、6年の月日が流れていた。

18カ所の針生検を行い 17カ所からがん細胞が

同年2月20日、4泊5日のスケジュールで5回目の針生検を受けた。下半身に麻酔をかけ、18カ所から細胞を取る大掛かりな針生検であった。18カ所のうち17カ所からがん細胞が発見された。主治医の話によればがんの中には見つかりやすいがんと、広く分布していて見つけにくいがんがあるとの説明を受けた。2年前までに受けた4回の針生検では、まったく見つからなかったがん細胞が、5回目には前立腺のほぼ全域から発見されたのである。

三谷さんは、正式な「がん宣告」に、それほどショックは受けなかった。すでに覚悟ができており、「やっと見つかったか」という思いのほうが強かったのである

しかし、主治医から「病期が進んでおり、D1かD2のどちらかです。手術をして根本的にがんを全部取り去ることは困難です」と言われたことはショックだった。三谷さんは「がんが見つかっても、先生がちゃんと治してくれるものと思っていました。しかし、完全には治療できないと言われ、エッ! と思いました。治らないと言われるとは、夢にも思っていませんでしたから……」と、そのときの気持ちを振り返る。

三谷さんは前立腺がんに関する本を読み、病期D1の前立腺がん患者の5年生存率が23パーセントであることを知った。念のため、主治医に「あとどれくらいでしょうか」と聞くと、医師は「さぁ、何とも言えませんね。2~3年の人もいらっしゃれば、5~10年の人もいらっしゃいます。わかりません」と答えた。 さまざまな治療法を提示された三谷さんは、家族と相談して、精巣を取り除いて男性ホルモンを抑え込む除睾手術、直腸に副作用が出て人工肛門になる可能性がある放射線治療は断り、「治す治療法ではありませんよ」といわれたホルモン療法を選択した。

平成15年4月、ホルモン療法によるがん治療が始まった。目標は当時164まで上がっていたPSA値を2.0まで下げることだった。リュープリンSR11.25ミリグラム注射を3カ月に1回打ち、カソデックス錠80ミリグラムを毎日1錠飲んだ。リュープリン注射をすると、身体がほてり始め、翌日から身体が急に熱くなって、全身から汗が噴き出るホットフラッシュの副作用が出たが、がんを抑えるためと懸命に我慢した。

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