「そんな軽い命なら私にください」と訴えながら命の尊さを説く
「余命1年半」を宣告されてから始めた「いのちの授業」

取材・文:江口敏
発行:2008年1月
更新:2019年7月

  

渡部成俊さん

わたべ しげとし
昭和20年生まれ、1歳から横浜で育つ。
10歳で父を亡くし、小学校時代からアルバイトで家計を支える。
中学卒業後、さまざまな職業に就きながら、定時制の商業高校を卒業。
26歳で婦人服プレス業を開業。会社経営の傍ら、地域の少年野球代表、子供会会長、区の青少年委員を務めるなど、青少年教育に携わった。
平成13年にすい臓がんを発病したが、翌年大手術を乗り越えて、仕事に復帰、江戸川区の教育事業「すくすくスクール」のクラブマネージャーも務めた。
平成17年、転移性肺がんを再発し、「余命1年半」の宣告を受ける。
その後、命の大切さを訴える講演「いのちの授業」を始め、これまでに73回行ってきた


進行性すい臓がんで入院し手術を受ける

写真:マイクなしで立ったまま子どもたちに語りかける渡部さん

マイクなしで立ったまま子どもたちに語りかける渡部さん

校長先生に紹介されて、細身の中年男性が正面の演壇に進み出た。演壇にはマイクが立てられているが、中年男性は演壇の脇に立ち、背筋をピンと伸ばして、マイクなしで子どもたちに大きな声で語りかけた。

「皆さん、こんにちは!」

「こんにちはー!」

小学校5、6年生の生徒の元気な声が、講堂いっぱいに響き渡る。

「君たちの元気な声を聞くと、私も勇気が出まーす!」

平成19年10月10日午前11時、都営新宿線瑞江駅からほど近い、東京都江戸川区立鎌田小学校の講堂で、渡部成俊さん(62歳)の講演「いのちの授業」がスタートした。渡部さんとしては73回目の講演である。

「私はあと1年半の命と宣告され、去年の12月31日で命がなくなると言われていました。しかし、お正月を迎えることができ、1月には満62歳の誕生日を迎えることができました。今日、こうして皆さんと会えて、得したような気持ちです」

10代になったばかりの生徒たちは、「余命ゼロ」の末期がん患者である渡部さんの「いのちの授業」にぐいぐいと引き込まれていった。

*  *  *   

写真:自宅兼仕事場で奥さんとくつろぐ渡部さん
自宅兼仕事場で奥さんとくつろぐ渡部さん

長年、江戸川区で婦人服をプレス加工する工場を経営してきた渡部さんの身体に、区民健康診断で異常が見つかったのは、6年前の平成13年、56歳のときだった。

保健所から大きな病院で精密検査をしてもらうように言われ、大学病院に検査入院して調べてもらったところ、すい臓に進行性のがんが発見されたのであった。

担当医師から、「がんの進行段階4段階のうちの2段階です。渡部さんはまだ若いし、大きな手術をしても十分耐えられる体力があります。いまのうちに手術をすれば、病気を克服し、長生きして人生を楽しむことができるはずです」と手術を奨められ、渡部さんは大手術を受けることを決断し、入院した。

食道がん、大腸がん、胃がん、すい臓がんなど、同じ世代のがん患者ばかりが入る6人部屋だった。そこで渡部さんは、「何でも相談してよ」と気遣ってくれた、隣のベッドの食道がんの患者、通称スーさんと親しくなった。

スーさんはすでに手術を終え、退院の日を待つばかりの状態で、「渡部さんも大丈夫だから、がんばって手術をするといい」と励ましてくれた。スーさんには近々結婚する1人息子がいて、毎日のように会社帰りに寄っては、スーさんと結婚式の打ち合わせをしていた。そんなスーさんの楽しげな様子を見ながら、渡部さんも次第に大手術に向けて勇気が湧き、希望を抱くようになっていた。

手術の日、全身麻酔の注射を打たれ、家族に見守られて手術室に向かう渡部さんのストレッチャーに、点滴の管をぶら下げたスーさんが近寄り、「大丈夫だからな」と言って、強く手を握りしめた。渡部さんは意識が次第に遠のくなか、スーさんの手をしっかりと握り返した……。

目を覚ますと、すでに夜のとばりが下りていた。「お父さん、気がついた? よかったね。悪いところを全部取ったらしいよ。すごいじゃない」と言う奥さんの言葉をかすかに聞き、渡部さんは「生かされたんだ……」と思いながら、再び深い眠りについた。

同室のスーさんの死で学んだ生と死の意味

まる2日間、集中治療室で過ごして病室に戻った渡部さんは、同室のメンバーが2人変わっていることに気づいた。スーさんに聞くと、「渡部さんが集中治療室に行っている間に亡くなったんだよ」と言う。渡部さんは「そんなバカな」と驚きつつ、「病院とはそういうところなんだ。病気ってこわいものだな」と思ったと言う。

さらに衝撃的な出来事が起きた。ある晩、消灯時間が来て、病室のメンバーが眠りについてから1時間ほど経ったとき、渡部さんは隣のスーさんが「ウッ」と声を上げると同時に、ガチャンという物音がするのを聞いて跳び起きた。点滴が外れたスーさんが、胸を押さえながら仰向けに倒れていた。

看護師が飛んできて、スーさんをストレッチャーで緊急治療室に運んでいった。渡部さんは、朝にはスーさんが元気になって戻ってきてくれることを祈りつつ、布団をかぶった。しかし、朝になってもスーさんは帰らなかった。当直の看護師から、スーさんが亡くなったことを知らされ、渡部さんは絶句した。

「あんなに退院を楽しみにしていたスーさんが、なぜ死ななければならなかったのか。なぜ私でなかったのか。なぜ他の人でなかったのか。もし神がいるなら、私は神をうらみたいと思いましたよ」

渡部さんは遠くを見つめながら、つらそうに振り返る。実際、渡部さんはスーさんの死に衝撃を受け、身体じゅうの力が萎え、生きる気力を失いそうになった。その渡部さんを支えてくれたのは、家族であり、同級生であり、地域の仲間であった。

その間、渡部さんは大切なことを学んだと言う。

「私は、人間は生まれてから死ぬまで、その人生は1人の人生であり、1人で生きていくものと思っていました。しかし、スーさんの死を目のあたりにして、生と死は一対のものであり、人間は生まれてから死ぬまで、一対の生と死を背負いながら生きている、ということを強く感じました。
そう思ったとき、私は、人間は1人で生きているのではなく、つらいとき、苦しいとき、悲しいときに、温かい手を差しのべてくれる思いやりや、やさしさによって、生きる力を与えられているんだということが、よくわかったのです」

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