西洋医学と東洋医学との間で絶妙な間合いをとる
管理栄養士のがん闘病の記録・円藤弘子さん
えんどう ひろこ
滋賀県彦根市生まれ。
滋賀県立短期(現4年制)大学家政部食物科卒業直後から寿退職まで5年余り長浜赤十字病院栄養士。
のち10年間は専業主婦。
和光堂育児相談担当で社会復帰。
管理栄養士免許試験取得。
夫の転勤に伴い各地で栄養指導業務や教職に従事。
1993年に卵巣がんが発覚。
がん患者としての経験から業界紙をはじめ、がん情報誌に食の実践報告と再発予防食を提案。
「がん予防15カ条」とがんの再発予防の食事法
卵巣がんを機に300冊もの文献を読破し、標準治療のかたわら漢方薬や丸山ワクチン、健康食品などの代替療法も実践。管理栄養士としての立場から、独自の食事療法を提唱している人がいる。円藤弘子さん、69歳。はつらつとした笑顔が印象的な女性である。
円藤さんが卵巣がんの手術を受けたのは1993年のこと。闘病生活を続けるうちに、食とがんとの関連性に大きな関心を寄せるようになった。97年に世界がん研究財団と米国がん研究財団から「がん予防15カ条」のリポートが発表され、2005年6月には国立がん研究センターがん予防・検診センターによる「科学的根拠に基づくがん予防」の指針も出されたことを踏まえての、健康的なバランスのとれた「円藤式のがん再発予防の食事法」を考案。以下はその一部である。
(1) 1日2回以上のごはんを主食に、たとえば胚芽米に米粒麦1割混入など。
(2) 野菜・果物は1日400グラム以上。野菜は毎日、たとえば生で1皿、浸しや煮物で3皿分、具だくさんの味噌汁1杯など。
(3) 新鮮な旬の青背魚や天然回遊魚を主に、ときに赤身の肉も。
(4) 納豆・豆腐、それに安心飼料の鶏卵を。乳製品はヨーグルトを主にチーズ少々も。
(5) 低脂肪の食習慣を続ける。揚げ物調理品、ファーストフードは摂らず。加工食品の継続使用はしない。
(6) 塩蔵食品と塩分は最少限に。
(7) 腹8分目に、よく噛んでゆっくり食べる。熱い飲料は冷まして飲む。
円藤さんの食事法は、栄養指導の専門家ががん体験を通じてつくり上げたという点で、大変貴重なものといえる。では、円藤さんはいかにがんを克服し、独自の食事法にたどりついたのか。
ステージ3C期の卵巣がん 大安の日に手術を受ける
円藤さんが栄養士としてのキャリアをスタートさせたのは、滋賀県の短大を卒業した1957年のことだ。病院勤務を経て結婚退職したが、73年に難関の管理栄養士試験に合格。その後はフリーランスの管理栄養士として活躍し、93年には大阪府茨木市保健医療センターと(財)大阪市環境保健協会の訪問栄養指導で此花保健所管区担当の仕事をかけ持ちするなど、多忙な日々を過ごしていた。
円藤さんを病魔が襲ったのは、そんな矢先のことである。
そのころ、円藤さんは子宮筋腫の経過観察で大阪市内の病院に通っていた。当時56歳。2年前に閉経を迎えていたにもかかわらず、不正出血があることが気になった。そのことを上司の保健師に相談すると、彼女はこう言った。「そういう不正出血は卵巣を疑ったほうがいいよ」
近所の親しい看護師の勧めもあって、円藤さんは大阪大学付属病院で精密検査を受けた。1年半後に知った結果は、「ステージ3C期の卵巣がん」。手術日は11月4日の大安の日と決まった。
「医師や看護師の皆さんが、『円藤さん、大安ですね』と声をかけてくださるんです。手術日の日柄にこだわるのは、関西人の特徴なのかな」
自分の病気や治療のことは自分で学ぶしかない
1994年9月、長女の結婚式に出席
(術後10カ月ほど経ったころ)
とはいうものの、10年以上前の医療界では、患者本人への告知はまだ進んでいない。ご多分にもれず、円藤さんも直接告知を受けることはなかった。
「でも、卵巣に問題があるのなら、卵巣膿腫か卵巣がんだろう、とは思ってましたね。『筋腫ではなかった』という研修医の話でした」
手術後は13日目から抗がん剤のシスプラチン、アドリアマイシン、シクロフォスファミドを併用する点滴治療を3回受けた。翌年1月の軽快退院を経て、3カ月後に再び入院。合計7回の抗がん剤治療を受けた。
抗がん剤の副作用の厳しさは、円藤さんの予想をはるかに超えていた。最初は半信半疑だった円藤さんも、間断なく襲う激しい吐き気と闘いながら、自分ががんに冒されている事実を認めないわけにはいかなかった。
だが、化学療法の苦しさにもかかわらず、腫瘍マーカーの値はじりじりと上昇していった。
(抗がん剤が効いていないのに、続けてるんじゃないの)
円藤さんは不安にかられた。
同じころ、リンパ節への転移が発覚する。こうなったら、自分の病気や治療のことは自分で学ぶしかない――腹をくくった円藤さんは、猛然と勉強を始める。病室を抜け出しては阪大の学生生協にある書店に通い詰め、医学の専門書を手当たり次第に立ち読みした。読破したがん関連書の数は通算で300冊以上にも上った。
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