「ぶざまな乳がん体験」から、何かを得てほしい
漫画家・大山和栄さん
医師の言葉がチンプンカンプン
漫画家の
大山和栄さん
がんは、ある日、突然、やってくる。
身内にがんで亡くなった人がいても、新聞やテレビでがんの情報を見聞きしても、「いざ自分ががんになったとき」をリアルに想像してみることは少ない。
漫画家の大山和栄さんにとっても、がんはどこか他人事だった。だから、2002年の初夏、左の脇の下にできたシコリが乳がんの転移だとは、思ってもみなかった。
「のどの扁桃腺が腫れた」ぐらいの気軽さで、大山さんは脇の下のシコリを診てもらいに大学病院へ行く。CTを撮ったところ、脇の下と乳房に2つのシコリが映っていた。
フィルムを指さしながら外科医が言った。
「腋下のシコリの『親玉』は、これですね」
医師の指先はフィルム上の脇からすっと動いて、乳房に映った白いビー玉状のものに止まった。大山さんは心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
「先生、これって腫瘍ですか?乳がんですか?」
「まず脇の下のシコリを切除して検査しないと、何とも言えません」
シコリの摘出手術後、大山さんは同じ大学病院内の乳腺外科で検査を受けた。
結果は、乳がんだった。腫瘍が小さいので、その部分だけをくり抜き、そのうえでさらにリンパ節を摘出する、と医師から説明された。
大山さんには「がんの予備知識」がなく、医師の言葉がまるで理解できなかった。
なぜ乳がんを切除して、それ以上またリンパ節を取るの?
「がんの性質」って何?
医師に繰り返し説明してもらっても、チンプンカンプンだ。もどかしさに涙を浮かべながら、大山さんは荒っぽく言った。
「先生がいちばんいいと思う方法で手術してくださればいいです!」
「納得することが大事だから、自分と向き合う時間を取りましょう」
医師の言葉で、その日の診察が終わった。
大山さんがインターネットで調べると、リンパ節への転移があるのは、2期の乳がんだとわかった。瞬間、「再発」や「死」を意識し、全身に恐怖が走ったという。
「乳がんの知識がなく、触ってシコリがなければ大丈夫だと思っていました。でも実際はそうやって見つけたときにはかなり大きくなっていた。もっと早い段階で、レントゲンで発見できたとは知りませんでした」
主治医に食らいついた
「取り残しのがんはない」と信じ、
副作用にも耐えた
次の診察日までの1週間、大山さんは眠れぬ毎日を過ごしていた。手術への疑問やがんへの不安が募っていく。友人はその様子を見かねて、「迷いがあるまま手術を受けたらよくないよ!」と、迷う大山さんの背中を押した。そこで、大山さんは別の病院の乳腺専門外来をたずねることにした。
問診表に疑問点や不安なことをいっぱい書き込んで順番を待っていると、外来とは別枠で、部長医師が対応してくれた。
「セカンドオピニオンですね。何かお困りですか?」
エコーで見ながら、医師は親切に説明してくれる。手術法の妥当性や、大山さんがかかろうとしている主治医は手術の経験が多いという情報も聞くことができた。
安心した大山さんは、元の主治医であるA医師の診察を受ける。そこで、A医師が姉を乳がんで亡くしたこと、乳がんの啓蒙活動をしていることなどを知る。主治医の人柄に触れるにつれ、次第にA医師との距離が縮まっていった。
さらに、大山さんは手術に向けて、わからないことをA医師に外来のたびに質問し続けた。”質問魔”の大山さんは、いつも外来の順番を最後に回される。
「リスクを冒しても手術が必要ですか?」
「この治療法しかないんですか?」
食らいつくように聞く大山さんに、A医師がうんざりした表情を見せる場合もあった。最初、がんのことをまるで知らないまま、質問さえできなかった大山さんとは、まるで別人だった。そして互いに話し合うことで、A医師との信頼関係が築かれていった。
やがて手術の日を迎え、大山さんは「納得して治療を受けられる」満足感を覚えていた。
ところが手術後、ベッドのプレートの主治医名には、若いB医師の名前があった。A医師は、大学から週1回その大学病院に通ってくる医師なので、入院の「主治医」にはならないのだった。
そんな説明は自分に対して一切なかった。大山さんは不満だったが、それでもB医師から、「1.7センチの浸潤性乳管がんで、取り残しはなかった」と聞き、安堵していた。
どっちの”主治医”を信じりゃいいの!
放射線治療を終え、大山さんは3カ月ぶりにA医師と向かい合っていた。
今後の治療について話し合いたいと、大山さんが希望してやっと取れた時間だった。
「うーん」
A医師は太い眉を寄せながらうなった。カルテをめくり、またうなり、こう言った。
「摘出した乳腺組織の端のところからがん細胞が見つかりました」
ふつう、がんをくり抜く手術法(乳房温存療法)では、しこりを含めて乳腺の一部を切り取る。その切れ端の部分を顕微鏡で調べたところ、肉眼ではわからないがん細胞が新たに発見された、という。
「残ったおっぱいにがんがある、ということですか?」
「あると断言はできません。でも用心のために、追加手術をしたほうがいい」
大山さんは一瞬、絶句した。やっとのことで考えをまとめてこう言った。
「そんなことを言って、人を惑わさないでください! 2人の医師の間で意見が違うって、どういうことですか! 私はこの怒りをどっちの先生にぶつけたらいいの? 今はとりあえず先生に怒ります!」
B医師や病理医は同じ病理標本を見て、「取り残しはない」と判断していた。A医師とはまるで正反対の見解だ。
病理医は「万一取り残したがん細胞があっても、放射線でたたくことができる」とも話していた。だからこそ、ぐったりするような副作用にも耐えてきたはずだった。本当なら、追加手術などという問題は、放射線治療の前に片づけておくことだろう。
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