今できることをやっておきたい
胃がんの手術から16カ月後に、サハラマラソン237キロを走り抜く・多田慎一さん

取材・文:崎谷武彦
発行:2004年8月
更新:2019年7月

  
多田慎一さん
多田慎一さん
(会社員)

ただ しんいち
1949年、山形県生まれ。
73年、日本光学工業株式会社(現・株式会社ニコン)に入社後、一貫して情報システム関係の仕事を担当。
2004年4月から株式会社ニコン技術工房に出向。
6月から同社代表取締役。
趣味は登山とランニングと碁。
2002年、健康診断で胃がんが見つかり、同年12月に手術で胃の3分の2を切除。
初期のがんで転移もなく、手術後、医師は“完治”を宣言した。
2004年4月、サハラ砂漠で237キロを走るマラソンレースに術後16カ月で参加、見事に完走した。妻と2人の娘の4人家族。


灼熱の砂漠を走る“世界一過酷なレース”

写真:サハラマラソン

サハラマラソンは6泊7日、約230キロを自分の足で走破する。コース上には500メートルおきに道しるべが設置されている

サハラ砂漠。面積約1000万平方キロメートル。アフリカ大陸の3分の1近くを占める世界最大のこの砂漠を走るマラソン大会がある。

毎年4月にモロッコ南部で開かれるランニングレース「サハラマラソン」である。今年で19回目になるこのマラソンは、7日間で約230キロを走破するというウルトラレース。もちろん全行程すべて灼熱の砂漠である。しかも7日分の食糧などを、すべて参加者が自分で持って走るというのがルールだ。そのため、“世界一過酷なレース”ともいわれている。

多田慎一さんは3年前、たまたま見たテレビでこのレースのことを知った。多田さんは40歳のときからジョギングをするようになった。フルマラソンも10回以上走った経験がある。毎週、だいたい30キロは走っている。登山は25歳のときから続けている。ロッククライミングもする本格派だ。ネパールでトレッキングに参加したこともある。だから体力には自信がある。

もっともこのときはすぐ自分もサハラマラソンに参加しようと思ったわけではない。記憶にとどめておこうと思った程度だった。心が動きだしたのは、2002年になってからだ。その翌年の2003年に多田さんは勤続30年を迎え、リフレッシュ休暇を取れることになっていた。有給休暇と合わせるとたっぷり2週間は休むことができる。

そこで多田さんはサハラマラソンに参加することにした。

リフレッシュ休暇が取れるのは2003年の7月から2004年の7月までの期間。サハラマラソンが行われるのは毎年4月だから、リフレッシュ休暇を利用しようとすれば2004年の大会に参加するしかない。そこで多田さんは2002年から早速情報を集め始めた。サハラマラソンへの準備もかねて、2003年の4月には100キロのウルトラマラソンに参加する計画も立てていた。

だが2002年の秋、多田さんはその計画を断念せざるを得なくなった。突然、がんを宣告されたのだ。

健康診断から始まった突然のがん宣告

2002年10月、多田さんは社内の診療所で定期健康診断を受けた。3週間後、“要精密検査”の連絡がきた。レントゲン撮影の結果、胃に影があるので内視鏡による精密検査を受けたほうがいいというのである。

登山やマラソンが趣味という多田さんはいたって健康だったが、唯一、若い頃から胃腸が弱かった。そのためそれまでにも何度か健康診断で、胃のレントゲンが引っかかったことがある。しかしたいていは軽い胃炎だったり、潰瘍の治った跡があったりしただけだった。だからこのときも多田さんは「またか」と思った程度で、社内の診療所で気楽に精密検査を受けた。けれども11月25日の昼前、診療所の医師から検査結果を聞いて、多田さんは愕然とした。

「多田さん、胃がんです。内視鏡で胃壁の3カ所の細胞を採って調べましたが、そのうち2カ所からがん細胞が見つかりました」

いきなりの、がん宣告だった。

「もう走れないのか。山もだめか。酒も飲めないな。会社には迷惑かけるな。家族にも負担をかけるだろう。親父とお袋は心配するだろうな……。そんな不安で頭がいっぱいになり、一瞬、クラッときました」

もっとも、しばらくすると多田さんは平静を取り戻していた。がんだと告げたあと、医師がさらに続けてこう言ったからだ。

「内視鏡か開腹による切除が必要でしょう。いずれにしてもここでは治療はできませんので、ご家族と相談して病院を決めてください。今すぐ命に危険がある状況ではないので、開腹手術をするようになった場合は、仕事の都合で日程を決めてもいいと思います」

診療所から自分のデスクに戻ると、誰にいうともなくこう言った。

「オーイ、胃がんだってよ」

するとオフィスのどこかからこんな声が返ってきた。

「誰がですか」

じたばたしてもしようがない

まさか多田さんががんになるとは、誰も思っていなかったのだろう。多田さん自身も同じ思いだった。なにしろそれまでは健康そのものだったし、自覚症状はまったくといっていいほどなかったのだ。何年か前に体重が減ったことはあったが、それは多分、食生活のスタイルを少し変えたからだった。ときどき下痢をしたり胃が痛んだりすることはあったが、もともと胃腸が弱かった多田さんにとってそれはごく普通のことだった。酒はほぼ毎日飲んでいたが、大酒を飲むようなことはなかった。タバコはもともと吸わない。いくら考えても思い当たる節はなかった。 「強いてあげれば、ストレスでしょうか」

大手光学機器メーカーに入社以来、多田さんは一貫して情報システム関係の仕事をしてきた。神経を使う仕事である。若いときは徹夜をしたり、休みは月2日だけということもあった。体力的にもタフな仕事だ。もっとも40代以降は管理的な仕事が中心になり、徹夜をするようなことはなくなった。仕事上でストレスがたまることは多かれ少なかれ誰にでもあるが、山登りやジョギングなどで発散できていた。それにもともと多田さんはあまりくよくよ考え込んだりはしないほうだ。

「がんだといわれたその日も午後には、じたばたしてもしようがない、治療は病院に任せるしかないから、自分に何ができるかを考えようと思うようになっていました」

そう言いながら明るく笑う多田さんは、しかし、とてもおおらかな性格の反面、非常に神経質で几帳面なところがある。たとえば入院が12月5日と決まったとき、多田さんは娘に年賀状の印刷を頼み、歳暮の手配などをしながら、クリスマスツリーに使う樅の木のことまで気にかけている。

さらに入院で仕事の予定をキャンセルしなければならない相手には、「がん」「入院」「出張」と、親しさの度合いに応じて伝え方を変えようということまで考えている。おまけに1度入院してから一時帰宅したときには、ちゃんと自分で年賀状の宛名書きを済ませているのだ。

これからがんの手術を受けるという人が普通、ここまでいろいろ気遣えるものだろうか。その平常心ぶりにも感心するが、おそらく多田さんは責任感が強く、自分のやることを人任せにできない性格なのだろう。当然、普段の仕事でも細かいところまで気を配り、どんなに小さなことでも手を抜くようなことはまずなかったに違いない。いくら登山やジョギングで発散していたとしても、これではやはりストレスが相当蓄積していたはずだ。

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