若くして乳がんになっても、私は、生・き・る

取材・文:吉田健城
発行:2010年7月
更新:2019年7月

  

初発30歳
がんになって、以前よりずっと行動的な人間になった気がします
堀内祥子さん(仮名 30歳)

平成21年、30歳になったのを機に受診した乳がん検診で、がんが見つかる。乳がんについての猛勉強と患者会の助言を参考に、自分の納得のいく病院で乳房温存手術。その後は放射線治療を受けた

抽選で当たって受けた乳がん検診

乳がんの告知を受けたのは平成21年11月のことです。きっかけは市の乳がん検診でした。市の広報で30歳以上なら抽選で当たれば受けられると書いてあったので申し込んだところ、運よく当たったんです。

乳がん検診を受けようと思い立ったのは30歳になったし、しばらく自活したあと、また親元に戻って暮らし始めたタイミングでもあったので、なんとなく乳がん検診ぐらい受けておくかという気になったからです。

マンモグラフィ検査でカテゴリー3という結果が出たので詳しい検査を受けることになり、地元の総合病院でマンモトーム()等を受けたところ、乳がんであることが判明したんです。

告知してくれたお医者さんは乳がん以外も担当している外科の先生でした。

がんは幸いまだ小さいので、治療は全摘手術ではなく、4分の1切除による温存手術で対応できるという話でした。

セカンドオピニオン()に関しては一切話がなく、「ウチでやるなら何月何日なら入院可能ですから、気持ちの整理がついたらすぐ入院してください」という感じでした。

告知を受けたことはショックでしたけど、目の前が真っ暗になるようなことはなく、わりとすんなり受け入れることができました。検査の段階で予感はありましたし、なってしまったものを悔やんでいても仕方がないと思ったからです。

マンモトーム=乳房内にできた病変に約3~4ミリほどの針を刺して、組織を吸引し採取する針生検機器
セカンドオピニオン=「第2の意見」として病状や治療法について、担当医以外の医師の意見を聞いて参考にすること

寝る間を惜しんで「乳がん」を猛勉強

写真:乳がんノート

告知を受けたあと、乳がんについて猛勉強した。本を読むだけでなく、自分で乳がんノートを作った

告知を受けたあと真っ先にやったのは猛勉強です。図書館から乳がん関連の本をたくさん借りてきて、受験時代もやったことがないくらい寝る間を惜しんで勉強しました。読むだけでなく、自分の知識にするためノートも作ったのでこれが後々役に立ちました。

手術は、はじめ告知を受けた地元の総合病院で受けるつもりでいました。通院に便利だし、お医者さんも乳がん専門ではないけれど、手術をたくさんこなしているので、大丈夫だと思ったんです。

実際入院の予約まで入れていたんですが、すぐに解約しました。乳がん患者会「イデアフォー」の集まりに行ったら、多くの方から異口同音に「専門医にかかったほうがいい。温存手術でも専門の先生はきれいに仕上げてくれるから」とアドバイスされたことや、がん治療で有名な都内の大病院に行ったところ、「MRI(核磁気共鳴画像法)をとってがんの広がりを見ないと、部分切除が4分の1でいいかどうかわからない」といわれたからです。

その後「イデアフォー」の皆さんから紹介された大病院や乳がんの治療で有名な形成外科などを訪ね歩いて、自分にとって何がベストの治療法か模索したんですが、温存手術でいくか、皮下乳腺全摘術()にするか、どの先生に手術をしてもらうか、迷ってなかなか結論が出ませんでした。

皮下乳腺全摘術=皮膚や乳頭・乳輪を残したまま乳腺を全摘する手術

温存か皮下全摘かで迷った末に温存を選択

皮下乳腺全摘術は乳がんの治療で有名な形成外科で勧められた治療法でした。

「温存もあるけど、再発のリスクを考えれば、全摘してから(形成外科の技術で)きれいに再建したほうがいい。再発率も大幅に下がるので、これをお勧めします」と言われ、確かにこれもあるなと思ったんです。

それでも結局「イデアフォー」で紹介された都心にある公立病院を選択したのは、多少変形しても自前のおっぱいとインプラント(人工臓器)が入ったおっぱいでは感覚が違うという思いがあったからです。結局入院したのは今年の1月27日で、29日に手術を受けています。

切除した病変部は4~5センチほどで、地元の総合病院で言われたリンパ節に2カ所ある「怪しい腫れ」は、センチネルリンパ節生検()で転移ではないことがわかり、腋下リンパ節は取らずに済んでいます。

その後は3月2日から5週間、放射線治療を受けています。人より強く焼けた感じはありましたが、幸い副作用はほとんど出ませんでした。

手術後は傷口と周辺はどんどんきれいになっていく感じがあり、毎日、携帯電話のカメラにとって、うまくいってるじゃんと思いながら、しみじみと眺めていました。

時間の経過とともに最近は横乳のあたりが少しへこんだ感じがあります。でも、主治医が見せてくれた参考写真のようにはいかないものだと聞いているので、ショックを受けるようなことはないです。

がんになったことは友人にはまだ話していません。退院してすぐ友人の結婚式があり、話したい気持ちはあったんですが、話せば、めでたい席で友人がショックを受けるだろうと思いやめました。しかし、別に隠すことでもないし、自分では、がんになったおかげで人間的に成長できたという思いもあるので、機会があれば言うつもりです。

センチネルリンパ節生検=乳房のがん細胞が、リンパ管を通って最初に流れるセンチネルリンパ節を検査し、ここに転移がなければ、その先のリンパ節にも転移がないと判断される

がんになって生まれた新しい自分

がんになって自分自身で1番変わったと思うのは、以前に比べ、行動的になったことです。

がんを告知されてすぐのころは、最悪の場合は死ぬかもしれないと思うし、腋下リンパ節を取れば腕が上がらない体になると思ったりもします。そんなとき、脳裏に去来したのは、これまで、やりたいことがたくさんあったのに、何もしてこなかったという悔恨でした。

これじゃダメだと思い、すごく焦りました。

私は、行動半径が狭くてめったに都心に出なかったし、お小遣い帳をつけて節約を心掛けるようなタイプだったんです。

でも、がんになったことで「違う」と思いました。

そこで放射線治療で毎日、都心に出ることになったのを機会に、ショッピングを楽しむようになり、食べたいものを食べるようになりました。

結婚についても、以前より結婚願望が芽生えました。乳がんになったことで、受け入れてくれる男性がいるだろうかと心配する声も聞きますが、私は、そんな人はいくらでもいると思っています。子供が欲しいという気持ちも強くなっています。放射線をやっているときは、ふと、これで子供におっぱいをあげられなくなるなと思ったりもしましたが、もう片方のおっぱいであげられます。以前よりずっと行動的になったし、人間的に少し成長した感覚もあるので、期待感はあります。


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