「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(3)
3. 手術(その1)
2004年1月。入院当日、花の手入れを娘に頼んで家をあとに
平成16年1月30日、いよいよ手術の日。説明書通りの手順で準備が進む。6時から採血、浣腸、尿管挿入、首の点滴開始。手術着とT字帯に着替える。
主治医のA医師がどろどろした液体を鼻から入れる。「麻酔薬だから吸い込むようにして飲んで」と言われ、気味が悪かったが必死で吸い込む。鼻から胃へチューブを入れるための前処置だ。チューブが入るとき鼻が痛かったが、するっと入ったみたい。喉に少々違和感があるが、麻酔が効いているのか、思ったより簡単でほっとした。いっぺんに色々なことをされるので考えたり感じる暇もない。まさにまな板の鯉だ。6時15分に家族3人が来てくれた。内科の研修医が「頑張ってね」と来てくれた。ストレッチャーに横になり、肩に注射をする。これは麻酔の効果を高め、心身をリラックスさせるもので眠くなることがあるらしい。
7時40分、主治医と研修医、看護師に付き添われて手術室へ。手術室の前まで家族が来てくれた。主人が「頑張れよ!」と強く手を握ってくれたような気がする。後で聞くと、うっすら涙を浮かべていたそうだ。きっと主人の励ましが心に響いたのだろう。
慌ただしいのもあったけれど、すべてを先生に委ねるしかないと覚悟していたので、気持ちは落ち着いていた。
「がん」などに負けるもんか!
手術室に入り、ストレッチャーから手術台に移される。テレビで見るのと同じ、照明が物々しい。医師たちが大勢動いているが、何人いるのか誰が誰だか分からない。
硬膜外麻酔。「背中を丸めてください」と言われ、横向きになって背中を丸める。ヨードチンキのようなものが塗られ、針を刺されたが、ポスッという感じでそれほど痛くなかった。その後、全身麻酔で私の意識は完全に無くなった。
何も分からないまま手術は進められ、そして終わった!
わたし、生きているのね
T大学付属病院B病棟
3時40分頃、無事手術を終えた私は主治医に付き添われてHCUに運ばれたらしい。「わたし、生きてるのね」と言ったのをかすかに覚えている。もしかしてこのまま会えなくなるのでは……と無意識に思っていたのかもしれない。長女に「仕事に行きなさい」と言ったのもかすかに……。そのまま、また眠りの中へ……。
以下は娘たちから聞いた手術当日の様子。
6:15 3人病室へ到着。手術の準備が着々と進んでいるようだ。
7:45 手術室へ、みんなで励ます。ママの目にうっすら涙。すぐ眠くなって目が覚めたらまた会えるのだ。8時からの手術が他にも5~6件あるようだ。沢山の人が入り口で一時のお別れをしている。
8:00 病棟へ荷物をまとめに行き、HCUに持ち込めるもの以外は看護師に預かってもらう。同室の皆さんにお礼のハンカチを渡す。励ましの言葉をもらう。
8:20 控え室で待つ。パパに「朝食を」と言ったがしょんぼりして「食べたくない、お前たち食べてこい」「じゃあ、1人にしておこう」と1階のレストランへ。サンドイッチを買ってきて、パパに食べてもらう。待っている間、長女は台本、次女は勉強。パパは、ただただぼんやりと窓の外を見ている。何を考えているんだろうねと2人。
12:10(長女の話)「小川さんのご家族の方、先生がお呼びです」と看護師に呼ばれ、ドキッとした。パパは終わったら知らせると言われていたので一瞬「もう終わったのか」と思ったと言う。既に4時間くらい経過しているので、手術が出来なかったのではないなと。手術室の前でK助教授が切除した膵臓と脾臓を見せてくれた。鳥の“もも肉”(パパはレバーのようと言う)みたいな塊に1カ所少し盛り上がっているところがあり「ここが患部です。触ってみてください」と言われ、パパが小指でそっと触れ、少し硬いと言っていた。私は怖くて触れなかった。灰色っぽい臓器が付いていたが脾臓らしかった。
12:15(次女の話)所用で外出し、戻ってくると控え室が空っぽ。どうしたんだろうと焦った。もしかしてもう終わったのかと思ってHCUに行ったが誰もいない。スタッフセンターへ行くと「小川さん? さっき先生に呼ばれましたよ」と言われ、何かあったのかと一瞬パニくった。手術室へ行くと、2人がいた。「切り取ったママの臓器を見せてもらった」と聞いた。「何だ、そうだったのか」とほっとする。でも私も見たかったのに残念!
14:00 A棟の売店でお弁当を買って3人で食べる。まだ手術は終わらない。長いなあ。
15:40(2人の話)麻酔が覚めてHCUで面会。顔色も良く元気。意識が朦朧としているのに「いぎでだぁ」(声がガラガラでそう聞こえたらしい)とか「ハラキリだ」とかへらず口を言う元気がある。看護師が「痛いですか」と言ったら「イダイ!」と言った。
主治医は次女に色々話をしてくれ「術後一時的に痴呆症状になる人もいるが、日にちが経てば治る。多分小川さんの性格なら大丈夫でしょう」
主治医も手術後の緊張がまだ解けていないようだった。多分何が起こるかも知れない術後をまかされているのだからと。
意識は戻ったが眠っているし、主治医が「今晩は私が寝ずに見ていますから」と言ってくれたので安心して帰った。
同じカテゴリーの最新記事
- 家族との時間を大切に今このときを生きている 脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠腫に
- 子どもの誕生が治療中の励みに 潰瘍性大腸炎の定期検査で大腸がん見つかる
- 自分の病気を確定してくれた臨床検査技師を目指す 神経芽腫の晩期合併症と今も闘いながら
- 自分の体験をユーチューバーとして発信 末梢性T細胞リンパ腫に罹患して
- 死への意識は人生を豊かにしてくれた メイクトレーナーとして独立し波に乗ってきたとき乳がん
- 今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って
- がんになって優先順位がハッキリした 悪性リンパ腫寛解後、4人目を授かる
- 移住目的だったサウナ開設をパワーに乗り越える 心機一転直後に乳がん
- 「また1年生きることができた」と歳を取ることがうれしい 社会人1年目で発症した悪性リンパ腫
- 芸人を諦めてもYouTube(ユーチューブ)を頑張っていけばいつか夢は見つかる 類上皮血管内肉腫と類上皮肉腫を併発