「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(5)

読者投稿:小川嘉子さん
発行:2006年6月
更新:2013年12月

  

5. 抗がん剤治療

1カ月ぶりのわが家! 懐かしい。とっ散らかっているが、やっぱりわが家はいい。今日は何もせずゆっくりすることにし、次女と一緒にお風呂に入った。「久しぶりだね」と言いながら娘が腫れ物に触るようにして洗ってくれる。長女が帰って来たので、ケーキはなかったが紅茶で退院を祝って喜び合った。色々話したいこともあったが、それは明日にしてぐっすり眠った。

やっぱりわが家はいい!

自宅へ戻るとどうしても宵っ張りの朝寝坊に戻ってしまう。悪い癖だ。今日は仕事が休みなので、珍しく次女が夕食を作ってくれる。が、食後すぐお腹が痛くなり、ソファーに横になる。かわいそうに自分の料理が悪かったのかと娘が落ち込んでいる。長女が帰って来て「何作ったの?」「野菜炒めだけど」「油がきつかったんじゃないの?」「少しにしたんだけどなぁ」と次女はますます落ち込んでいた。あなたのせいじゃないのよ。

翌日から少しずつ仕事をしてみる。ちょうど事務所の決算時なので私の仕事はまだ残っていた。そしてご飯の支度も。退院して翌日から会社へ行く人はあまりいないと思うが、事務所が自宅と一緒なのでつい仕事をしてしまう。それに主婦にとって家庭は常に職場であり、ゆっくりしろというほうが無理というもの。「無理するな」と主人が言ってくれるのが嬉しい。今までみんな当たり前のようになっていた家事の存在がわかってもらえたらしい。もっとも私も仕事をしているので、主人はよく手伝ってくれていた。

しかし仕事を始めて1時間もすると、疲れてソファーに横になる始末。すると主人がすぐ毛布を掛けてくれ(こんなに優しかったっけ?)リビングのソファーは私のベッドになった。近々再入院になるのでその前に少しでも仕事をしておかねばと気が焦る。

まだスーパーまでの買い物は無理。長女が「コープに入会すると運んでくれるよ」と言うが、今ひとつ気が乗らない。食品はやはり自分の目で見て買わないと。でも私を気遣ってそう言ってくれるのは嬉しい。

再入院は2月25日と決まったが、今度は抗がん剤治療だけだから気が楽である。再入院するまでに決算のうち、私の受け持ちであるワープロを全部仕上げた。2月19日に退院して再入院までたった5日間、自分でもよく頑張ったと思う。

2月25日(水)

午後からの入院なので、11時頃主人の運転で次女と病院へ向かった。退院のとき高速道路の継ぎ目がお腹に響いてとても痛かったので、高速には乗らず一般道を走ってもらった。

入院手続きを済ませA棟北ウイング947号室へ。ここはエレベーターと食堂をはさんで、北ウイングと南ウイングに分かれている。今度は窓側なのでとても明るい。

入院するとすぐ採血し、レントゲンを撮った。しばしば起こる腹痛については「内臓に問題はないのでしばらく様子を見るしかない。徐々に改善されると思う」と主治医の説明があった。

抗がん剤治療が始まる

写真:ジェムザール

3時半からいよいよ抗がん剤のジェムザールを点滴で投与する。始めに吐き気止めを、続いてジェムザールを1000ミリグラム。30分ずつかけて入れた。ジェムザールには少し血管痛があった。ゆっくり入れたほうが痛みは少ないと思うが、30分以上時間をかけると副作用が強くなるというデータがあるとか。我慢する。

吐き気止めはカイトリル注3ミリグラム3ミリリットル(グラニセトロン)5-HT3受容体拮抗剤。デカドロン注8ミリグラム2ミリリットル(デキサメタゾン)ステロイド剤。大塚生食注100ミリリットル1プラボトルと書いてあった。

ジェムザールについては、娘たちがインターネットで調べたものをプリントアウトしてくれた。

●1983年 イーライリリー社が合成

●1995年 オランダ等で初めて認可

●1996年 米国で膵がんの適応で認可

●同年4月 膵がんの適応症として希少疾病用医薬品の指定(日本)

●1999年3月 非小細胞肺がんの適応症の承認(日本)

●2001年4月4日 膵がんの適応症として承認(日本)

●2001年現在99カ国で非小細胞肺がん・膵がんおよびその他の適応症で使用されている

★膵がんは画像診断が難しく、腫瘍縮小効果の正確な計測が困難。一般に膵がんの患者は疼痛を訴えたり体の状態(PS)が良くない方が多く、これらの症状が改善されれば患者にとってメリットが大きいことから、症状緩和と言う概念が出てきた。実際に、腫瘍縮小効果以外に膵がん特有の疼痛の軽減、鎮痛剤投与の減少やPSの改善が認められた。

ジェムザールの膵がんでの追加適応承認にあたっては、国内で有効な治療薬がないこと、海外での膵がんの適応症での使用実績や、非小細胞肺がんの適応症での使用実績から、有効性、安全性は日本人と外国人と同様であると判断されたことにより、承認申請が行われた。(★に関する記事は2001年4月11日プレス発表資料)

今年(2005年)『がんサポート』6月号の標準治療膵がん編にジェムザールの使用について新しい研究が進められているという情報があったので、とても参考になった。

また、この体験談を書いていたとき、11月号で「膵がんの最新治療」と題して「膵がんは全身病と考えジェムザール単剤による化学療法が間違いのない選択」という記事が載っていた。これを読んだとき「ああ、私は術後にジェムザールを打って良かった」と心から安心し、私のためにこの記事があるように思えた。

主人や娘も前回の入院のときとうって変わり「じゃあね~」という感じで帰っていった。今回は何事もなければ9日間で退院できる。

膵がんには健康保険が適用されないため、患者は高額医療費負担など不便を強いられた。そのため患者たちは「ジェムザールを承認しない政府は生存権を侵害している」と5万人以上の署名を01年1月に坂口力厚労大臣に提出。その甲斐もあって適応拡大が認められた

2月26日(木)2日目

主治医から「きょうは何もすることがないので、ゆっくりしていてください。なにか変化があったら必ず知らせてください」と言われた。いまのところ目まいも吐き気もない。食事も取れるので、栄養補充のためつけていた点滴の針を抜いた。

午後から食堂で日記を書く。病室のテーブルに「食堂にいます」というメモを置いていたので、4時頃内科のK医師が覗いてくれた。「いま副作用がなければもう大丈夫、計画通り進めそうですね」とおっしゃった。夕方次女が寄ってくれ「副作用とくになさそうね」と安心していた。

2月27日(金)3日目

採血。白血球を調べるのかな。朝食がご飯だったので食べられなかった。隣のMさんはパン食だったので1個くださり助かった。同室の皆さんはいい人ばかりで居心地がいい。

午前、看護師から「右の目が少し赤いけれど」と言われた。連絡がいったらしく食堂で日記を書いていると、M研修医が様子を見に来てくれた。土日は外泊していいことになっていたが、血液検査の結果を見てから決めることになった。昼頃シャワーとシャンプーをして、午後からまた日記を書く。主治医が食堂まで来てくださる。なにせ病室でおとなしくしていない患者なので。目の充血については「今まで目が赤くなる副作用はあまり聞いていないが、初めてのケースということもあるので、様子をみて明朝外泊を決めましょう」と慎重だった。エコーを撮ったが異常なしだった。

夕食は少しお腹が痛いのと、何となく食欲がなく、4割弱しか食べられなかった。これって副作用かなあ。でもたいしたことはないので先生にも言わなかった。

次女が『ベルサイユのばら』の本を2冊買ってきてくれた。今日は8時までゆっくり話ができた。

2月28日(土)4日目

朝主治医が目を見て、赤みが強くなってないので大丈夫と言われ、外泊許可が出た。家に電話をする。迎えに行こうかと言ってくれたが、1人で帰ってみることにした。

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