「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(6)

読者投稿:小川嘉子さん
発行:2006年7月
更新:2014年1月

  

6. 外来抗がん剤治療(その1)

3月(術後2カ月)

5日、退院翌日。少し胸がつかえる感じがする。先週もジェムザール投与2日目に同じ感じだった。軽い副作用かなと思う。料理を作っていても手を伸ばすと傷口が痛いので、上の棚からお鍋が下ろせない。デスクワークも2時間が限度。ソファーに横になると、うとうとしているらしい。もどかしいけど、徐々に回復するだろうから焦らないことにする。

11日、外来で初めての抗がん剤投与の日。白血球4400。肝機能OKで予定どおり。お腹を庇いながら歩き、買い物もしたので相当疲れた。でも1人で行動できたことで少し自信がついた。

23日、待望のミュージカル『エリザベート』観劇。主人のエスコートで帝劇へ行く。1月19日、告知の日に切符を取りに来たんだっけ。あのときもしかしたら観られないかもと思ったが、今日主人と来ることができたなんて夢のよう。心に深く深く刻み込んで鑑賞する。まだ会場の階段は手すりにつかまって歩く状態だったが、幕間に軽い食事をしてもお腹も痛くならず、後半もゆったりした気分で楽しめた。術後2カ月弱。思い出になる1日だった。

4月(術後3カ月)

3日、次女の法科大学院入学式。主人と一緒に出席。入学式はこぢんまりとした中にも厳かに行われた。学生は50人ほどで、殆どが社会人のようだった。次女の入学式に出席できたことを感謝する。私の入院中の入学試験、さぞ大変だったろうと済まなく思う。手術日に途中で抜けたのは、2次試験の申込みをしたのだそうだ。次女は一言も言わず毎日病院通いをしてくれた。しかも勤めながら。入学できて本当によかった。もし不合格だったら、私は一生後悔することになっただろう。

告知より怖い生存率のデータ

8日、抗がん剤2クール目が始まっている。4月からがん発見因縁の超音波室が化学療法室に。明るくて気持ちがいい。ガラス越しに、無菌状態でジェムザールを調合しているのが見える。終わってカーテンを開けたら、K医師がコンピュータで外来予約をみていた。AHCCのことを話すと、

「健康食品でしょ? 飲んじゃえば? 薬じゃないから大丈夫。A先生には僕から伝えておくから」と気軽にOKを出してくださった。

手術以来気になっていた、生存者のことを質問したところ、恐ろしい返事が返ってきた。消化器内科で診た膵臓患者は約170人、うち手術できたのが20人、私が21人目ということだった。そのうち2年生存2人、3年生存1人、あとは1~2年の間に亡くなっている。途中で来なくなる人もいるが、現在生存している人は1人。抗がん剤を投与していなかったとはいえ、余りにも厳しい数字だ。

「手術しても駄目なのですか」

「そうですね。厳しいです。大腸がんの人は肝臓に転移しても手術できますが、膵がんの人が肝臓に転移したら(どこに転移してもということ)手術できません」

「要するに転移、再発したらもうダメということですね」

こんな会話を交わしているうち、多分私の表情が硬くなっていったのだろう。

「そんなに心配しなくても、元気で生きている人も全国でいるのだから。いきなり肺にいくことはないと思うけど、肝臓は気をつけたほうが」とも。私はステージ2。会計へ行くまでに、足がぎくしゃくしているのを感じた。体全体が硬張っている。手術ができれば、ある程度安心していいと思ったのは甘かったのだ! 生存率が厳しいことも、再発・転移のことも知ってはいたが、T大学病院のデータがこれほど厳しいものとは。家に着くまで、この数字がずっと頭から離れない。

〈がん患者は手術した後から、本当の心理的苦悩が始まるのか。再発・転移に怯えて暮らすのか……〉

家に帰っても、K医師から聞いた生存率について、とても話せなかった。私自身の頭の中で、この数字をどう受けとめていいか、まとまっていなかったから。本に書いてある5年生存率5パーセントとはどういう意味なのか。T大学病院は0パーセントではないか。いや、私は術後にすぐジェムザールを打っている。私が初めてなのだからT大学病院ではテストケースなのだ。今までの人とは違う。私が良い結果を出さなければジェムザールを打っている意味がなくなる。私が元気でいれば、後からの人は希望が持てるでしょ? がんばってジェムザールを続けよう! あまりくよくよしないほうが良いと思いながら、手術後初めて怖い! と実感した。がんの宣告のときより動揺したので、すぐには誰にも話せない。話せばこのデータを肯定したことになるような気がして……。

AHCCの服用がOKになったことを主人に話したら「これで免疫力がつくから大丈夫だよ」と安心したように言う。ふっと、自分の不安な気持ちをぶつけたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。本当は吐きだしてしまったほうが気が楽になるだろうが、安心している主人に今は言えなかった。お風呂に入りながら(3年もつのだろうか)などと思い、ジワッとしてくる自分が情けなくなる。弱虫!

健康食品との出合い

顧問先の社長の奥様が、大腸がん手術後に再発、余命6カ月と宣告された。本人は術後、嫌がって抗がん剤治療を受けなかった。家族はなんとか延命できないか、情報を集めた。その中の1つにAHCCがあった。

当時は今のように簡易に手に入らず、扱っている病院を受診し、手に入れたそうだ。その他に温熱療法とかも試されたそうだ。再発後、奥様はAHCCを飲み続け、中国を旅行されたりし、2年ほど元気に過ごされた後、亡くなられたと聞いていた。私ががんになったことを話すと、今度は社長自身の話をしてくれた。昨年人間ドックで、肺に影があるので精密検査をするよう言われたが、仕事が山積していて急には無理。社長も1日1袋服用していたが、3袋に増やした。1カ月後検査を受けると影が完全に消えていた。絶対とはいえないがAHCCのお陰だと思う、と。そういう経緯があり「身近に実績があるのだから」と、主人は私にも勧めた。朝晩1袋ずつ服用することにする。

11日、お花見。姉たちを呼んで退院祝いをし、家のそばの公園へお花見に行った。大勢の人でにぎわっている。毎年なんということなく眺めていた桜の花が、今年は眩しく見える。(無事今年も桜が見られた)と同時に、(来年も見られるかなぁ)とふとそんなことを思ったら、目の奥がジーンとしてきた。そんな弱気ではいけない“来年も絶対来るぞ”という気持ちでいなければ。生存率のことは、姉たちにも話せなかった。

13日、術後初めて仕事で外出する。いつもより書類が少ないのに、鞄が重く感じる。が、五反田のハローワークを往復して自信がついた。もう大丈夫、仕事復帰だ!

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