主治医からもう治療法はないと言われて 肝細胞がん新たな治療を受けるための努力をしたい

取材・文●髙橋良典
写真●「がんサポート」編集部
発行:2021年11月
更新:2021年11月

  

内田曽太さん 有限会社ユー・ティー・エ代表取締役

うちだ そうた 1951年8月東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、シーメンス社に入社。病院に医療機器を納入する仕事に従事する。同社退職後、貿易会社や不動産会社経営など10数種の仕事に従事。現在、不動産仲介業会社社長として働いている

自他ともに「無敵の男」と認めていた内田曽太さん。ところがある日、急に下腹部が痛くなり、意識も朦朧とし救急搬送され、肝がんと診断される。

ラジオ波焼灼術などの治療を行なうものの再発を繰り返し、最後の治療として期待した免疫チェックポイント阻害薬と抗がん薬との併用療法も効果がなく、主治医からこれ以上もう治療法はないと告げられた。

アルコール肝硬変から肝がんに

2017年5月30日の午後、内田曽太さんは外出先で急に下腹部が痛くなってきた。

その前日、浅草の仲間たちと祭りの酒を多く飲んだからだろうか。そう思い、少し休めば良くなるだろうと急いで帰宅した。

しばらく横になっていた。ところが、トイレに行こうと起き上がろうとするのだが意識が朦朧としてまともに動けない。何とか這ってトイレまで行こうとするのだがそれができない。仕方なくまたベッドに戻って横になっていると、しばらくして奥さんが帰宅。奥さんは、内田さんの様子がおかしいことに気づき、急いで救急車を呼んだ。

救急車の中で血圧を測ると上が70、下が40くらいしかなかった。

脳に何か障害が起こっているのではないかと思った救急隊員は、近くの救急病院に運び込む。そこで脳のCT検査をしたが、脳には異常は認められなかった。

医師に「これまでに、どこか悪い所はありませんか」と訊ねられ、「脂肪肝でクリニックに通っています」と答えた。

それについて内田さんはこう話す。

「γGPTが400近くあり、医者からは酒を控えるようには注意されてました」

しかし、内田さんには自覚症状がまったくなかったので、毎日ではないものの酒を飲むことを止めることはなかった。

それを聞いた医師が早速検査すると、肝臓からの出血が認められた。

「出血を止める手術をしなければいけませんが、ここでは処置ができません」

そう言われ、紹介された杏林大学医学部附属病院に搬送されて、肝臓からの出血を止めるカテーテル治療を受けた。

そこで、肝臓からの出血はアルコール性肝硬変から肝細胞がんになったことが原因の肝細胞がん破裂による出血と診断された。

肝細胞がんは、肝炎ウィルス感染による慢性肝炎や肝硬変、脂肪肝が原因となる予後不良のがんである。

「もって1年ぐらい」

「自覚症状がなかったので肝がんと言われても実感がまったく湧かなかった」と語る内田さん

応急処置後の肝がん治療について、「当院では治療出来ないので武蔵野赤十字病院に紹介状を書くのでそちらに行かれてはどうか」と医師に訊ねられた。

内田さんは特別な理由はなかったが、その医師に「医科歯科はどうでしょう?」と尋ねると、「そこでもいいですよ」ということで、東京医科歯科大学附属病院に治療に通うことになった。

救急車で運ばれた救急病院の医師は「もって1年ぐらいじゃないですか」と、奥さんに話したと肝細胞がんと診断されて4年経った今年(2021年)、奥さんから初めて聞かされた。

「これだけ酒を飲んでいたから『仕方ないか、酒止めるしかないな』としか思いませんでしたね。それまで痛いとかといった自覚症状がまるでなかったので肝がんだと言われても自分としてはその実感がまったく湧きませんでした」

そう思うのも無理からぬことで、それまで内田さんは自身を「無敵の男」と呼ぶくらい病気らしい病気をしたことがなく、まして入院したことなどこれまで1度もなかったからだ。

期待された併用療法も効果なし

主治医にもう治療法はないと言われても「動けるうちは仕事でもなんでもいいのでやっていきたい」と内田さん

まず肝がんの治療をする前に、静脈瘤の治療から始まった。

カテーテルでの肝動脈化学塞栓療法を行い、その後、ラジオ波焼灼術を行った。

「その当時、肝臓に3㎝ぐらいの腫瘍が3つあって、3㎝以上だと手術は出来にくいという話でした。ラジオ波での治療は20分ぐらいで割と楽な治療でした」

内田さんはその後の経過を見るため2週間程度入院した後、3週間に1度のペースで病院に通った。

「がんが再発するたび、ラジオ波の治療を都合3回行いました」

ラジオ波焼灼術以外は肝臓の機能が充分でないときに不足するアミノ酸を補給するためアミノバクト(一般名イソロイシン・ロイシン・バリン)を服用するぐらいだった。

その間にも再び静脈瘤が出て来たので、クリップでその瘤(こぶ)を取る治療を行っているうちに、昨年(2020年)横隔膜にがんの転移が発見された。

そこで、最も治療効果が高いと期待され、昨年9月に保険適用になったばかりの免疫チェックポイント阻害薬テセントリク(同アテゾリズマブ)と分子標的薬アバスチン(同ベバシズマブ)の併用療法を勧められ、治療を行なうことになった。

この併用療法の利点は治療効果が期待されることのみならず、QOL(生活の質)も維持されている点だ。QOLが維持されているということは、治療を継続できるケースが多いということだ。

事実、この併用療法を行った内田さんには著しい副作用は現れることはなかった。

副作用は現れなかったものの治療効果を期待したこの併用療法では、都合3クール行ったものの、内田さんにとってその効果は芳しいものではなかった。

その結果、今年(2021年)9月、主治医からこの併用療法の中止を告げられたのだった。

「もうこれ以上、この病院でやれることはありません。何かあっても、コロナで病室がすぐに取れるとは限らないので、そのときのために新しい病院を探すことも考えてください」と最終通告を受けた。

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