〝前へ〟進む商品を開発! 子宮頸がんⅠB2期で子宮と卵巣全摘手術を乗り越え

取材・文●髙橋良典
写真提供●水田悠子
発行:2022年7月
更新:2022年7月

  

水田悠子さん (株)encyclo代表取締役

みずた ゆうこ 東京都生まれ。2005年(株)ポーラ入社。販売、新商品企画開発を担当。2012年29歳で子宮頸がんに罹患。1年余り休職した後、職場に復帰。2018年オルビス(株)に移動後も商品開発に携わる。2020年5月、ポーラ・オルビスグループより(株)encyclo(エンサイクロ)創業。代表取締役に就任、現在に至る

大手化粧品会社に勤務していた水田悠子さんに、子宮頸がんが見つかったのは29歳のときだった。ステージⅠB2と診断され、子宮と卵巣の全摘手術を受ける。

がん治療から解放されたものの、術後の後遺症のリンパ浮腫を予防するため専門クリニックを訪れたとき、見せられたのはまるでギブスのようなストッキングだった。これを一生履き続けなければいけないのかと落ち込み、会社の仕事のモチベーションも見いだせなくなっていた水田さんにある転機が訪れる――。

不正出血が続いて

2012年5月、水田悠子さんに子宮頸がんが見つかる。29歳のときだった。

「その年の1月くらいから不正出血があったのですが、そんなにひどいものではなかったので、最初のうちはあまり気にはとめていませんでした」

しかし、不正出血がたびたび続くので、さすがに不安になって2月に近所のクリニックを受診。子宮がん検診を受けたのだが、検査の結果は陰性だった。

「びらんが出来ているので、出血しやすくなっているのでしょう」と言われ、膣剤を使った治療のため2カ月近く通院したが、それでもたまに不正出血があった。

クリニックの医師は、水田さんに「安心するためにも、大学病院でもっと詳しい検査をしてみますか」と提案してきた。

5月初旬に紹介された大学病院で精密検査を受け、ゴールデンウィーク明けに検査結果が出る予定だった。

「ゴールデンウィーク中に外出したとき、乗り換えた駅で大出血を起こしてトイレに駆け込みましたが、出血が止まりません。ちょうど受診した大学病院の近くの駅だったので、すぐタクシーで病院に向かいました」

当然、休日だったので水田さんの担当医は不在。当直医に事情を話し、出血を止める応急処置をしてもらい帰宅した。

子宮頸がんが進行している

入院直前、ジャンクフードの食べ納め

大出血した日から4日後の連休明け初日。午後から出勤するつもりで午前中に病院に予約を入れていたが、一向に自分の番号は呼ばれない。

待合室にほとんど人がいなくなった12時過ぎ、ようやく呼ばれ診察室に入ると、担当医は「今日は1人で来られたのですか」と話しかけてきた。

それを聞いて「これはよくない話になるな」と、水田さんは身構えた。

担当医は淡々と「早期の子宮頸がんではなく、進行しているので手術を急ぎます。それと残念ですが子宮は残せません」と、矢継ぎ早に検査や手術の日程を告げた。

「医師から告げられた情報があまりに大量だったため、気持ちがついていけず、『ちょっと待って』という状態でした」

また、病期については精密検査をしてみなければ確定はできないが、子宮内に肉眼で見てもわかるぐらいの大きな腫瘍があるとのことだった。

クリニックでは「びらん」と言われていたので、炎症が治れば治癒すると最初は思っていたが、ゴールデンウィーク中の大出血で「これはただ事ではないな」と思い、検査結果を聞く前にインターネットで自分の症状を調べていた。

水田さんがまず当たりをつけていたのが、子宮頸がんの前がん病変で、「軽く切除しなくてはならないかも」と心構えはしていたのだが、実際に告知された結果は最悪だった。

午後から出社する予定だったが、その告知を聞いてとても出社できる気分ではなくなり、会社の上司に検査結果と午後も休むことを告げた。

そして、帰宅途中のタクシーの中から、当時付き合っていたパートナーに連絡を入れた。彼とは2年くらいの付き合いで、「いずれ、結婚できればいいね」という話をする関係だった。

不正出血が続いていたとき、「早く、大きい病院で検査してもらったら」と言ってくれていたので、申し訳ない気持ちになって「こんな結果になってごめん」と謝った。

彼は「一番つらいのは君なんだから」と言ってくれた。

自宅に戻り、医療関係の仕事に携わっていた父に検査結果を告げると「最高の治療を受けさせるから、心配いらない」と力強く言ってくれた。

子宮頸がん検診はしていたのに

水田さんはたまたまネットで見つけた広汎子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)が、自分に適応になるなら受けたいと思い、その手術を行っている病院でセカンドオピニオンを受けることにした。広汎子宮頸部摘出術は初期の子宮頸がんに対し、子宮頸部のみを摘出する手術で、妊娠能力を温存できる手術の1つだ。

しかし、水田さんの症状は進んでおり、トラケレクトミー手術を受けることは叶わなかった。

精密検査の結果、転移はなくがんは子宮に限局していたが、腫瘍の大きさが4㎝を超えていた。

「いま思い返せば、不正出血が始まる3~4年前からトイレに行く回数が増えていました。1時間の会議でも、前後に行かなければならないほど。その原因は、腫瘍が大きくなって膀胱を圧迫していた結果だとわかりました」

また、水田さんは大学時代からこれまで子宮頸がん検診を3~4回も受けていたのだが、すべて陰性だった。ただ、水田さんの子宮頸がんの種類が扁平上皮がんではなく腺がんだったため、表面をそぎ取る検診では見つかりにくく、陰性という結果が出てしまったのかもしれない。

子宮と卵巣の全摘を決断

治療期間中に友人と

最初の病院での手術予定は6月だったが、セカンドオピニオンを受けた病院で、5月31日に手術のキャンセルが出た。1日でも早く手術をしたいと、水田さんは2つ目の病院で手術を受けることにした。

主治医から「子宮頸がんでは卵巣への転移の確率は低いが、卵巣に転移すれば見つけるのが非常に難しく、発見されたときには手遅れになってしまうことがよくあるので、卵巣も摘出することを勧めます」と言われ、初発治療で完全に終わらせたいと思って、卵巣も摘出することを決断した。

5月28日に入院、31日の子宮と卵巣摘出する手術は8時間にも及ぶものだった。

麻酔から覚めると、熱が出ていて意識が朦朧としているなか、「手術は成功したみたいよ」と言う両親の声を聞き安心した。

術後の経過は順調で、6月7日に無事退院することができた。

退院後、術後補助化学療法は6月からスタートし10月中旬まで6クール行われた。

「もともと腫瘍が大きく、腺がんの中でも細胞のたちが悪いということが手術前にわかっていたので、医師から術後補助化学療法(シスプラチン+パクリタキセル)を勧められていました」

抗がん薬の副作用については、脱毛や全身の骨が痛かったり、倦怠感や味覚障害があったりしたものの、思っていたよりは軽くて助かったという。

「吐き気もあるにはありましたが、食事が摂れないほどではなく、吐き気止めの薬もよく効いて、治療と治療の合間は元気な期間もあって、何とか乗り切ることが出来ました」

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