まだ25歳、リスクを恐れて手術しなければ後悔する 肺転移のある線維層状肝細胞がん

取材・文●髙橋良典
写真提供●平塚 泉
発行:2022年11月
更新:2022年11月

  

平塚 泉さん 美容師

ひらつか いずみ 1995埼玉県生まれ。2014年美容師免許取得後、H.company入社に伴い渋谷Sienaに配属。スタイリストとして仕事も順調だった矢先、2020年7月腹痛を訴え、入院。希少がんの1つ、線維層状肝細胞がんと診断され、化学療法、2度の手術を乗り越え、2021年系列店の大宮kateに復職

美容師仲間と飲みに行き、帰宅後に強い腹痛と嘔吐が平塚泉さんを襲った。近所のクリニックを受診、普通の腹痛とは思えず、頼み込んで受けた血液検査。その数値に驚いて近所の大学病院を紹介された。その痛みの原因は、思ってもみなかった肝臓の大きな腫瘍。

切除手術を受けるため別の大学病院を受診するが、そこで肺に遠隔転移が見つかり、手術はできないと告げられた。そして、化学療法を受けるためがん研有明病院を紹介されるも化学療法の結果は芳しくない。リスクを冒して手術を受けるか、迷う平塚さんの背中を押したものは――。

強い腹痛と嘔吐が襲ってきた

大宮kateに復職して、元気に働いている

現在、美容師として埼玉県大宮市で働いている平塚泉さんは、仕事帰りに美容師の仲間と飲食したのち帰宅。さて眠ろうとベッドに入った直後、強い腹痛と嘔吐が襲ってきた。2020年7月のことだった……。

「とても眠れるような状態ではなかったので、救急車を呼ぼうと思ったのですが、一人暮らしのため呼びづらく、結局、一睡もせず痛みに耐えて一晩過ごしました」

自分の体に何が起こったのかわからなかったものの、たぶんお酒の飲み過ぎが原因ではないかと考えた。

翌日、痛みを押して近所のクリニックを訪ねたが、医師からは鎮痛薬を処方されただけだった。

「診察を待っている間も泣きそうになるくらい痛かったので、『急性膵炎じゃないかな』と医師に『採血だけでもしてください』と頼みました」

平塚さんが急性膵炎を疑ったのはみぞおちの痛みと吐き気があり、ネット検索をかけてみると急性膵炎にヒットしたからだ。

またその日はお酒を飲んでいたので、よけい急性膵炎を疑う根拠になったのと、自分と同じような症状の有名人の体験談も見つかったからだった。

クリニックで採血の後、鎮痛薬を処方され、その足で職場に向かった。

しかし、とても接客やカットができる状態ではない。

平塚さんの様子を見た店長が「体調が優れないようなら上がっていいよ」と言ってくれ、這うようにして自宅に戻り、その夜はクリニックから処方された鎮痛薬と胃腸薬を飲んでそのまま眠った。

翌日、採血の結果を聞きにクリニックに行くと、心配していた膵臓には問題なかったものの、肝臓の異常を測るGOPやGPTの数値が基準値の1,000倍を超えていると知らされた。

医師は「うちでは手に負えない」からと、近くにある大学病院に紹介状を書いてくれ、平塚さんはその足で急いで病院に向かった。

肝臓に巨大な腫瘍、肺に遠隔転移も見つかる

抗がん薬の影響が遅れてでたため脱毛が始まったのが肝がん手術後、髪が生え始めたのはすべての治療が終了後、3~4カ月経ってから

大学病院ではCTやエコーなどの検査が行われたが、医師から「肝臓に膿があるので、詳しく検査してみましょう」と告げられ、検査入院することになった。平塚さんにとっては「あれよ、あれよ」という展開だった。

「自分がどんな病気か不安だったので、症状をネットで検索して、『多分、肝炎か肝嚢胞で、きちんと治療すれば大丈夫だろう』と思い込んでいました」

ところが、その淡い期待は入院4日目にあっけなく破られた。

4日目に撮影した造影CT検査の結果、肝臓に悪性の腫瘍があることが判明したからだ。しかも腫瘍は11㎝を超えていて、病院では「手術はできない」と告げられた。

「まさか、自分ががんとは思ってもみませんでした」

平塚さんは両親と相談の上、ネット検索で見つけた肝臓の腫瘍切除を得意としている大学病院の医師を訪ねた。

大学病院で改めて精密検査を行うと、肺に遠隔転移が見つかり、「この状態だと手術はできない」と告げられた。平塚さんにとって、思ってもみない展開だった。

手術を受けるためにその大学病院を受診したのに、手術ができないとなるとどうすればいいのか。

残された治療法は化学療法しかない。大学病院の医師から、化学療法を得意としている医師ががん研有明病院にいると紹介された。

がん研有明病院では分子標的薬レンビマ(一般名レンバチニブ)を毎日2錠服用3カ月続けたが、腫瘍の大きさに変化は見られなかった。

「薬の副作用で軽度の吐き気と胸やけがあったので、食欲はまったくなく、あまり食べることができませんでした。でも甲状腺機能が低下したことで、喉のかすれやむくみ症状があったため、食べられなくても体重は増えてしまいました」

「仕事はがんと判明したときにお休みをいただき、溝の口の住まいを引き払って、埼玉の実家に戻って、そこから病院に通院しました」

リスクを冒して手術を選択する

化学療法の効果が芳しくないと判断した主治医の消化器内科医は、腫瘍も大きかったこともあり手術することを提案してきた。

まだ病名ははっきりと断定されていなかったものの、がん研有明病院の医師たちの間では、希少がんの1つ線維層状肝細胞がん(フィブロラメラ肝細胞がん)と思っていたのではないかと、平塚さんは思っている。

フィブロラメラ肝細胞がんとは肝臓にごくまれに発症する悪性腫瘍で、肝硬変を発症していない若い患者に発症することが特徴である。悪性度は原発性肝細胞がんより低く、外科手術で切除可能で予後も良好といわれている。

しかし、平塚さんの場合は肺に遠隔転移があり、手術を行うことは難しいとされていた。

手術を行う消化器外科医からは、「肺に遠隔転移があることで、がん自体の悪性度も高く、手術で刺激を加えるとがんの成長が促進され、3カ月くらいで亡くなる方もいる」と告げられた。

消化器外科医から手術のリスクを聞いた平塚さんは、3カ月で死亡というリスクも怖かったが、反面、手術を望む気持も強くなっていった。

「そのとき25歳だったので、手術をしなければ、1年、2年で亡くなる可能性もある。手術が成功すれば長期生存の可能性もないわけではない。しかし、リスクを恐れて手術を受けないという選択をすれば後悔が残るだろう。だから私の中では、手術をするという選択肢しかありませんでした」

「よく聞くがんの長期生存年数は5年といいますよね。そのときはまだ25歳だったので5年生きたとしても30歳です。そう考えたらまだ結婚もしていなくて、子どもも産んではいません。仕事のほうも落ち着いてきて、さあ、これからというときだったので、私のなかではタイミングが悪すぎて、こんなことで死ねないし死にたくないと思いました」

平塚さんがSNSでがんに罹患したことを配信すると、友人やお客さんから、びっくりするくらい多くの激励メッセージが寄せられたという。

このことが、平塚さんに手術を決断させる大きなモチベーションにもなっていた。

「私、みんなから愛されているな、人に恵まれている、と本当に思いました」

しかし、両親は主治医の提案には断固反対だった。

それは、そうだろう。手術が成功しなければ娘が3カ月で亡くなるかもしれないのだ、そんなギャンブルのようなことに大事な娘の命を託すわけにはいかない、そう思って当然のことだ。

だから両親はなんとか手術を回避して娘の治療を続ける手立てはないか、必死になって探し、福岡にある病院を見つけてきてそこに転院してはどうかと強く勧めてきた。

「場所が福岡で、コロナ禍真っ只中のときに飛行機に乗るのも危険だと思い、その病院を断念するよう両親を説得しました。最終的に両親は、私の意見を受け入れてくれて手術をすることが決まりました」

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