生きることを強く願い、決して諦めない
「逃走」から「闘争」へ

文:横井和枝
発行:2006年6月
更新:2019年7月

  

秋も深まったある日、私は知り合いにコーヒーをご馳走しようと、大きめのコーヒーを2杯買いました。でも、その日はその知り合いに会うことができず、コーヒー好きの私はその2杯のコーヒーを両方飲む羽目になってしまいました。

その頃の私は、企業の新薬開発担当看護師として働き始めたばかりの頃でもありました。慣れない環境のせいか、食欲があまりなく、胃もたれがあるときもありましたが、たいして気に留めてもいませんでした。

しかし、この日は特別でした。コーヒー2杯のせいだけではないような強烈な胃痛に襲われ、徐々にガスがたまって、腹部の激痛となっていったのです。

「コーヒーやストレスのせいではない」。そう直感的に思った私は、次の日すぐに、以前働いていたクリニックへ向かいました。

スキルス胃がんの疑い

クリニックでは、エコーや内視鏡、その他検査を行いました。内視鏡検査では私自身も一緒に画像を確認しました。そこには私にがんを疑わせる「物」が映っていました。しかしそのときにはお腹の痛みも治まっており、「この若さでそんなはずはないだろう」という気持ちが心にフタをしました。

そのとき私は30歳。初めての結婚記念日の2週間後の出来事でした。

4日後、結果が出たので至急来て欲しいと連絡があり、結果は「がん」。しかも一番進行の速い厄介な未分化のがんとのことでした。

医師は、翌日に入院すぐに手術することを勧め、病院の手配もしてくれましたが、私はどうしてもすぐに入院する決意ができません。内視鏡の画像を見たときから、看護師としての私は、がんを予想することができ、がんであればすぐに手術をすることが良いことも頭では十分理解していました。しかしどうしても気持ちの整理をつけることができないのです。

手術をすることで自分自身の体がどう変化し、どんな後遺症があるのか。それらすべてが手に取るように分かる自分。その知識が、恐怖を余計に増長させていました。

こんなに若い自分がなぜ? 結婚したばかりなのに子供はどうするの? 今、痛みが無いのに手術の痛みを味わうの? もしも手遅れなのであれば、体がきれいなまま死にたい。死ぬことは怖いけれど、自分が自分でなくなって生き続けることはもっと怖い。そんな相反する思いが胸の中を行きつ戻りつしていたのです。

援助者ではなく、病を通して明らかになった、患者の現実に困惑しきっていたのです。それから4日間必要な検査を受けながら、徐々にこうした気持ちを入院するために整理していくのです。

手術を決意させた医師の一言

写真:手術前、家族みんなで温泉旅行に
手術前、家族みんなで温泉旅行に

私は入院・手術が避けられないものであることを自覚しました。しかし、いざ入院して主治医と手術について話し合う中で、私は手術をすることは仕方がないとしても、できるだけ自然に近い形で胃を残せるような術式にして欲しいと伝えました。

そんな私に医師は、「手術で大盛小盛はできない」と言いました。確かに、私のように転移のない状態であっても、スキルスがんの疑いがあれば、手術ですべて取り去ってしまうことがベストな選択であることは理解できます。

医師の言葉を、夫は手術を食事と同じように比喩するなど失礼だと怒りました。しかし私には、医師が、できるだけわかりやすく自分の気持ちを伝えるための比喩として使っただけだったと医療者としては理解できました。ただ、一方的にすべて切り取るしか方法がないと告げられたことだけは、未来への希望や可能性を奪い去る言葉として、非常につらいものだったのです。

そのときの私は、すべて胃を切り去ることによる副作用や後遺症だけに目が向いていたのです。すべて切るのなら生きていくことが怖い。「死への恐怖」と「生き続ける勇気」両極の思考と感情の中で、先の見えないスリガラスの向こうの世界しか見えず、現実の自分を見ることができませんでした。

来週の手術までに心を決めなくてはいけない。私は一時外泊し、未来への希望を持ち続けるために、セカンドオピニオンを求めることにしました。セカンドオピニオンは、仕事上お付き合いのあった医師など3人に伺いました。結果はどの医師も主治医と同じで、全切除が正しいというものでした。

しかし、その中の1人の医師の言葉が、私の気持ちを大きく変えてくれたのです。それは、「ごめんな」という一言でした。ある外科医は、開口一番に私の気持ちに添えないことを謝り、外科医としての意見であることを断った上で、「未来への希望をつなぐための全切除だ」ということを私に告げたのです。 そのとき、初めて私は、命を最優先し、今を作らなければ、未来は存在しないのだということに気付きました。まずは生きるために何をすべきなのかということに目を向けることができました。

それまでの私は、「後遺症を残さずに手術すること」に希望をつなごうとしていたのですが、それからの私は「まず生きること」に希望を持とうと気持ちが切り替わりました。病にかかったことへの執着を捨て、今の自分を生きることが何より病を克服する善循環へのポイントだと思ったのです。

この間わずか一日半。こうして手術の決意とその後を受け入れた私は、家族全員で温泉へと出かけました。

希望通りの、納得のいく治療が受けられた

旅行から帰り心を決めて病院へ戻った私に、主治医から再度説明がありました。私が未来への希望を残したいという気持ちはよく理解できるため、再度医師同士で話し合いを持ったということでした。

その結果、手術中に腫瘍を検査に出して、どうしても全部切らなくてはいけないという結果が出ない限り、すべて切除はしないという説明でした。私は、ぶつかり合いはしたけれど自分の気持ちが相手に伝わったことがとても嬉しく、これで本当に納得して手術に向き合えると感じました。

そして手術当日、検査の結果、胃は4分の1を残すことができました。また、心配されていたリンパ節への転移は無く、終わってみれば私の希望通りの手術となりました。

術後は、残った機能障害といかにうまく付き合っていくかだけを考えて、内面はつらくても、外から見て「胃がない人とは思えない」と言われるような自分になることを目標にしました。幸せなことに、手術をしてから1年半後には、手術前と同じように食事をとることができるようになり、手術から3年以上、とくに問題なく過ごしています。

胃がんの告知を受けた10日後、すでに私は手術を受けていました。そんな10日間という短い期間だったにも関わらず、納得のいく治療を受けることができました。治療期間中は、できるだけ自分にマイナスイメージを持つことは避ける努力もしてみました。

困難な状況を支えてくれた言葉は、「今起きていることは、異常な状況ではなく、異常な状況に対する正常な反応」でした。そう思うことが、自分の体の回復力を肯定することになると思ったからです。

今の自分と闘うことの大切さ

写真:看護師として働いていた頃に同僚と。右が横井さん
看護師として働いていた頃に同僚と。右が横井さん

がんという非常にデリケートな病に罹ったにも関わらず、私はなぜこうした前向きな行動をとることができたのでしょうか。それは、20歳の頃のアトピー性皮膚炎の体験があったからだと思います。

外にも出られないようなアトピーになり、「社会的な死」というものを感じました。それは、体は元気で好奇心旺盛、力も有り余っているにも関らず、見た目を気にして外に出ることも、自立することもできないつらい自分の状況だったのです。

そのときの私は、過去となってしまった元気なときの自分と、未来に横たわる病気であり続ける自分の姿しか見えず、今の自分を受け止めることができないでいました。

3年間全国に治療を探し求めましたが、最終的には、ある日ふっとアトピーを持った今の自分を受け止められるようになったことで改善していきました。その一番の理由は、周囲の人たちが愛情を持って今の私を受け止め、支え続けてくれたお陰だと感じています。

その後、心理学を学び、同じ立ち位置でも異なる認識があるという「死の回避行動と生きた挙動(逃走と闘争)」という言葉を知りました。今の自分から逃げるの(逃走)ではなく、今の自分と戦う(闘争)こと。負けそうなとき、こうした気持ちの切り替えで前向きに生きていくことができると知ったのです。

そんな体験から、がんになったとき、死を近い将来に感じてはいても、社会的に死んでしまっている状態が一番つらい、誰にでも死が訪れるのだから、自分はがんであっても、今を生きることができると思ったのです。

そして、このように度重なる病に負けずに闘えたのは、ナースであるというだけで、光栄にもたくさんの患者さんのプライベートに触れることができ、彼らがその生き様、死に様をもって、たくさんの教えとエールをくれたからです。

その1つのメッセージが「死ぬ瞬間には意志がある」ということ。たとえば、家族にとって大切な記念日まで戦い、そのあと自分の人生を閉じたいと強く願っていた患者さんが、ご自分の希望通りの死を迎える、など、意志はすべてに反映されるという例をいくつも見てきました。

ですから反対に、「生きることに強い意志を持ちなさい」「自分が強く生きたいと願えば生きられる」「決して諦めてはいけない」と、今も患者さんからエールをもらっているように感じます。

今、私は医療コーディネーターとして歩んでいます。医療者と患者、両方の立場を体験したことから、両者の認識のすり合わせや自己決定の支援を行うためです。なぜなら、自己決定は生きる希望の源であり、生きがいの創造であると思うからです。それが、がん体験者として新しい命をいただいた、私の使命だと思うのです。

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