今日の日を生きている幸運に感謝
後悔することなく1日1日を大切に

文:柳谷美也子(患者会「ConBrio」代表)
発行:2005年7月
更新:2013年4月

  

私とがんとの闘いの始まりは2002年8月末。咳が出始めた。夏風邪だと思っていたがなかなか治まらなかった。

10月になり夫が肺炎に罹った。このころになってもまだ咳をしている私に「お母さんも診てもらったほうがええで」と夫。

咳止め薬でも出してもらおうか。そんな軽い気持ちで受診した。

ところがX線写真には全体がもやもやと白い肺が写っていた。翌日国立病院へ入院。主治医との面談で、胸部X線写真と腫瘍マーカーの数値から、「いくつか考えられますが、腫瘍の可能性が高いです」と思ってもみなかった言葉が告げられた。

様々な検査そして気管支鏡・細胞診による確定診断の結果、
「残念ですが、がんです」

まさかの診断だった。肺内転移を伴う肺腺がん。左下葉の一番大きい腫瘍が原発。両肺に大小多数の結節が見られる。他臓器への転移はない。表面的には冷静に主治医の説明を聞いていた。だが現実として受け入れるには少々時間がかかった。

「がん? 私は死んでしまうのか?」

今はがんは不治の病ではないと頭では分かっている。しかし死に至る病でもあるのも確かだ。自分の人生の終わりがやってくることなど信じられない。考えたこともない。体が小刻みに震えていた。

撃沈しそうな気持ちを浮上させてくれたのは、主治医の「治りますから頑張りましょう」という言葉と、夫の「なってしまったものは、くよくよしても仕方ない。頑張って治そう」という言葉だった。小・中学生の3人の子供達が一人前になるまで私は死ぬわけにはいかない、まだ生きていたい。大丈夫だよ絶対……そう自分に言い聞かせた。

結節=小さながんのかたまり

イレッサでの治療を選択

がん告知に続いて治療法の説明が行われた。

「抗がん剤での治療になりますが、今、イレッサという薬があります。新聞にも出ていたのでご存知だと思いますが、副作用で亡くなっている方もいます。従来の抗がん剤で治療するかイレッサにするか、決めて下さい」

がんですと言われた直後に、冷静な判断など無理である。

「何か聞きたいことはありますか」と聞かれても、何を尋ねたらいいかすら頭に浮かばない。週末に外泊し、その間に考え、決めることになった。

イレッサは他の抗がん剤のようなQOL(生活の質)を脅かすような副作用は少ない。が、万一の重篤な副作用を考えると躊躇する気持ちもあり、なかなか決心がつかなかった。

しかし、そんな私を「新しい薬で治療を受けよう」と夫が後押ししてくれたことで、私はイレッサを飲むことを決めた。

服用開始から1カ月ほどは、重い副作用が出た場合に備えるため入院することになった。服用から3日ほどたったところで、自宅へ電話をかけた。

「咳、出てへんな」と電話口で夫が言った。数日後の胸部X線撮影の結果、腫瘍の影が薄くなっていることが分かり、その1週間後の撮影では明らかに両肺の腫瘍が縮小しているのが認められた。

「万歳! イレッサが効いている!」

1日1錠の服用以外、することもない退屈な毎日。週末は自宅へ2泊3日の外泊。そして無事に退院。

自分が患者になるまでは、がんに対して無知だった。闘いは、まず敵を知ることから始まる。外泊中も退院後も、インターネットでがんの知識と情報を収集した。私の場合の病期は転移のある4期。この5年生存率はほとんどゼロであるが、肺内に限った転移で他の臓器への転移がなければ、生存率はこれより高くなる、と併記されていた。

死ぬことは、自分という存在が一切なくなることだ。取り戻すことは出来ない。死自体が怖いというより、「無」が訪れることがつらい。毎日夫と子供たちにしてあげていることが何も出来なくなってしまうのか……そう思うと遣り切れなくてどうしようもなかった。

退院後、患者会「ConBrio」を設立

写真:患者会の忘年会で、メンバーたちと
患者会の忘年会で、メンバーたちと

そんなときインターネットの中で、普通であれば出会うはずもない人たちと不思議な縁が出来た。メル友ならぬ「がん友」である。不安や孤独に押し潰されそうな私に勇気をくれた人たちだ(まだピンと来ず、半ば悪夢の中にいるような感じです……このホームページに辿り着き、皆さん、病気から逃げず、正面から向き合い、前向きに生きているんだなあと感心し、勇気をもらいました)。告知から間もないころ、私はそんな書き込みをした。今という一瞬一瞬を生きていることが大切なことなのだと教えられたのだった。

そんな中で、メールのやり取りを軸にオフ(インターネットではなく実際の社会)でおしゃべりをするがん患者会「ConBrio」を立ち上げた。

活動はメーリングリストと不定期の会合をする程度ではあるが、心に抱える思いを解放して聞いてもらい、その思いに共感し合い、体験を語り合う。そうして心の澱が流されていき、がんと向き合う勇気と前へ歩き続ける元気を分け合う。そのお手伝いを少しでも出来ることは嬉しかった。そういう場をがん患者や家族の仲間で、これからも続けていきたいと思う。

2003年に、患者会「ConBrio」を設立。メーリングリストの他、不定期で会合を開いている。
連絡先(Eメール)

子供たちにがんを告白

写真:退院後、家族と一緒に、浅草の浅草寺へ
退院後、家族と一緒に、浅草の浅草寺へ

このころ1つ問題があった。子供たちに私の病名は伝えていなかったのだ。

長いこと悩んだ末、とうとう話すことにした。テレビのがん特集を見たときだった。

「お母さんも同じ病気なんだよ」

テレビドラマなどでがんは怖い病気というイメージを子供も持っている。

「えっ。うそ……」

「でもね、この人たちは治ってこんなに元気にしてるでしょ。お母さんも薬を飲んで、ほとんど治ったから、元気なんだよ」

「そうかあ」子供たちを安心させるためだけではなく、私自身、そう信じようとしていた。

「お母さんも、玄米ごはんにしたらいいよ」当時小学4年の娘から、すぐにそんな言葉が返ってきた。子供のほうが大人よりも前向きだと苦笑してしまった。

話してよかったと思った。その後の通院の際もごまかすことなく説明できたし、今後何かあったときの対応も違うだろう。

脳への転移が判明

発病からもうすぐ2年というとき、脳転移が見つかった。頭部MRI検査の結果、4~5ミリの転移巣が2個、他にも微小なものがいくつか見つかった。

脳転移が見つかったがん友の多くが亡くなっていることが頭をよぎった。

不安の波が押し寄せてきたが、医師の説明から急を要する状態ではないことが分かった。イレッサが脳にも多少は効いているのかも知れない。少しほっとした。しばらくは様子を見ることになった。

しかし、その3カ月後、腫瘍の数が増えたため、とうとう全脳照射の放射線治療を行うことになった。照射は1回3グレイで10回。合計で30グレイ。治療は通院で行った。照射1日目、帰宅してから頭痛と嘔吐が始まった。トイレに何度か駆け込み、その後はもう横になっているしかなかった。次の照射日に吐き気止めを処方してもらった。次第に体が慣れてきて吐き気も治まり、10回の治療をクリア。

照射終了1週間後から脱毛が始まった。抜け毛がうっとうしいので、自らはさみで虎刈りにしたが、やがてそのわずかな髪もすべて抜けた。がん友のスキンヘッドを見た経験があり心の準備は出来ていた。それでも、鏡に映る自分の姿に悲しくなった。見事にすべて脱毛した頭は、前もって購入しておいたかつらやバンダナで隠した。

照射後の検査では、脳の腫瘍の増大は無く、効果はあったとの診断。それから1年、今年に入ってから、ほぼ半年振りにMRIを撮ると、腫瘍の数が減っていることが判明。画像上に確認できるものは1つだけになった。イレッサの効果がはっきりと現れていると分かったときと同じように嬉しかった。

「この病院でのイレッサ最長記録です。このまま行きましょう」

4月初めに主治医の診察があった。よかった。今度も継続だ。

現実から目を逸らさず、希望も捨てず

がん告知からもうすぐ2年半になる。診察日が来るたび繰り返す不安と安堵。今は何の症状もなく普通に生活している。命の期限が近づいているようには到底思えない。だが、こんな日々がこのまま続くという保障は何も無い。がんに容赦なく命を奪われていったがん友のことを思い出し、その経過を自分に当てはめてしまうことがときにある。自分に残された時間も、そう長くはないのかもしれないと思えてしまう。

そんなときは「患者の数だけ症例はあって、よく似た病状でも異なる経過を辿ることは珍しくない。人は人、私は私、と割り切って考えよう」と自分に言い聞かせるのだ。

たまたまイレッサという薬が出た時期に発病し、薬が効いた私は幸運ながん患者だ。今も体のなかにはがんは存在する。が、悪化もしていない。がんと共存してここまで生きてきた。その幸運に感謝しなければと思う。

と同時に、いつか終わりがやってくるそのときに後悔することのないよう、1日1日をいとおしいものとして大切に暮らしていきたいと思う。

専業主婦の私には家事育児しか仕事はないが、それなりに課題はいろいろある。自分の周りを少しずつ整理し、私の領域だったことは家族に引き継がなければいけない(実際には何も出来ていないが)。

もちろん、医学がどんどん進歩すれば、まだ何10年も……あるいは天寿をまっとうできる可能性だってあるとも思いたい。命に期限があることから目を逸らさずに、だが決して希望も捨てずに、明日も元気に生きていこうと思う。

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