病を克服して料理で恩返しがしたい 開店して間もなく希少がんの類上皮肉腫に
鈴木伸朋さん イタリアンシェフ
弱冠32歳で群馬県前橋市にイタリアレストランをオープンさせた鈴木伸朋さん。オーナーシェフとしてこれからが勝負のときに病魔に襲われた。コロナ禍でも維持していた店を治療のため閉じることに。
それを聞いた昔の同僚や友人たちがクラウドファンディングを立ち上げてくれた。そして化学療法の効果によって中華料理のシェフと共同で店を再開するまでに体調も回復。一昨年(2021年)には結婚も。
さぁ、これからというとき、鈴木さんを襲った病い、それは希少がんの類上皮肉腫。痛みに耐えながらのインタビューに応えてくれた鈴木さんの思いとは――。
やっと確定診断された類上皮肉腫
イタリアレストラン「ダルクオーレ」を、2017年6月群馬県前橋市で開店し、オーナーシェフとしてお客さんにイタリア料理を提供し喜んでもらっていた鈴木伸朋さん。
それは2019年12月頃のことだった。膝を曲げると激痛が走るようになり、正座ができなくなってきた。
「どうしたのだろう?」と近所の整形外科を受診したが、鎮痛薬の「ロキソニン」を処方されただけだった。
しかし、痛みは一向に良くならない。そこで別の整形外科病院を受診したが、そこでも鎮痛薬を処方されただけで、一向に痛みは治まらないまま2~3カ月が過ぎていった。
2020年3月後半、鈴木さんに何か重大な病気が隠されているのではないかと考えた整形外科病院の医師がMRI検査を提案してきた。
この提案が鈴木さんの病に近づく第1歩になった。
MRI撮影した結果、右太ももから膝にかけて腫瘍が発見されたからだ。
「『ひょっとしたらがんかもしれない』と思っていたので、腫瘍が見つかったときには『これはやばいことになった』と思いました」(鈴木さん)
早速、医師は群馬大学病院に紹介状を書き、2020年4月7日に受診することになった。
精密検査の結果、主治医は鈴木さんに「この腫瘍はがんではない」と告げた。それを聞いて「がんじゃ、なかったんだ」とホッとした。
しかし、すぐに奈落に突き落とされる結果となってしまった。
6月中旬になって、主治医から腫瘍は類上皮肉腫(るいじょうひにくしゅ)と確定したと伝えられたからだった。
「この病院でも年間1~2例しか見つかっていません」
しかし、なぜこんなにも確定診断に時間がかかったのだろうか。
それは類上皮肉腫という滅多に発症することのない希少がんで、しかも診断自体が難しいがんだったからだ。
類上皮肉腫は、主に手足などの末梢に発生することの多い軟部腫瘍の1種。軟部腫瘍には良性と転移や再発を繰り返す悪性のものとに分けられていて、類上皮肉腫は悪性軟部腫瘍の1つだ。類上皮肉腫は悪性軟部腫瘍全体の約1%で、年間に新たに発症するのは100万人あたり0.4人程度で極めて稀れ。発症年齢は10~30代の男性に多いとされている。
始めて聞く類上皮肉腫に、鈴木さんは「どういった種類のがんですか?」と主治医に訊ねたが、「ぼくらも、まだよくわかってないがん腫です」という答えが返ってきた。
「主治医からは、群馬大学病院でも年間1~2例しか見つかっていない希少がんだと言われました。治療法もまだ確立したものはないとも言われました」
この時点で鈴木さんは大腿骨、仙骨、恥骨、背骨など全身の骨に腫瘍があり、手術は不可能と告げられていた。
2つ目の治療薬に効果が認められ回復へ
「群馬大学病院の主治医が提案してくれた治療法は化学療法で、最初にアドリアシン(一般名ドキソルビシン)とイホマイド(同イホスファミド)、次にヴォトリエント(同パゾパニブ)、その他に2つの抗がん薬の名前を挙げてくれたのですが、それらの薬は現在使用していないので名前は忘れてしまいました」
しかし、「自分のがんはこの治療法で本当に間違いはないのか」、そう思った鈴木さんはセカンドオピニオンを求めた。
「入院中だった自分の代わりに母親と叔父に東京の病院に出向いてもらいました。その結果、群馬大学病院が提案した治療法で間違いはないとの回答だったので、予定通りそのまま治療を続けることにしました」
最初にアドリアシンの投与が始まった。
3カ月くらい投与したのだが、残念ながら効果はまったくなかった。
そこで、2020年10月にヴォトリエントに切り替えると回復に向かい始めた。
ヴォトリエントは、がん細胞の増殖と血管新生にかかわる受容体を阻害することにより効果を発揮する分子標的薬。毎日1回服用するタイプの薬剤で、鈴木さんは現在も服用している。
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