やりきったと言えるなら、明日死んでもいいという気持ちで生きる 28歳で精巣腫瘍に罹患したことで起業を決断
中村優志さん 株式会社リシュブルー代表取締役
保険会社で最年少管理職として働こうとしていた、まさにそのタイミングだった。28歳の若者にとって、抽象概念でしかなかった死を突き付けられた瞬間だった。本当にやりたいことがあるなら、今すぐやるという考えに変わった中村さんは、保険会社を退職して起業する。精巣腫瘍に罹患したことで、安定した生活を捨てて起業したその思いを訊いた――。
左の睾丸に何かゴリッとしたものが
がんに罹患したことで、新たな人生が始まることもままある。フランス系保険会社の最年少管理職としての地位を捨て、新たに日本酒のもつ可能性を引き出すためのサポートをする会社を立ち上げた中村優志さんもその1人だ。
2021年1月に5年間在籍した都市銀行を退職。その年の3月からフランス系保険会社に最年少管理職候補として転職する予定になっていたが、自身の体にある異変を感じ始めていた。2月のことである。
「胸に肉が付いてきたり、乳首が硬くなったりしてきたのです。あとからわかったことですが、それは女性化乳房という症状で、精巣に腫瘍があるとホルモンバランスが崩れて胸が大きくなる現象だったのです。でもそのときは、『食べすぎで太ったのかな』、としか考えていませんでした」
そんな大きな病が潜んでいるなど知る由もなく、中村さんは予定通り3月から転職先の保険会社で働き始める。
最初の3カ月は現場を勉強して、4カ月目から管理職の仕事を任される予定になっていた。
その現場周りの仕事が終わり、さあ管理職としての仕事を始めていこうというタイミングで精巣腫瘍が発覚したのだ。中村さん弱冠28歳のときだ。
「お風呂で体を洗っていて、いつもは何気なく洗っているのですが、そのときは左の睾丸に何かゴリッとした、ちょっと尖った感覚を感じました」
結婚してまだ1年も経ってない頃で、中村さんは風呂から上がり、奥さんの夏帆さんに「左の睾丸に、何か石みたいなものがあるんだけど……」と話した。
「明日、クリニックに行って診てもらったら」と、夏帆さんに言われた。
「結婚していて本当によかった」と、当時を振り返り中村さんは言う。
「これが独身だったら、痛くもないし放っておいたと思うのです。事実、クリニックを受診するまでは、全くがんかも知れないとは思ってもみませんでした。でも妻のそのひと言があったから、精巣がんが早期で発見されたのだと思っています」
違和感を感じたのが月曜日で、たまたま翌日が振替休日だったことも中村さんに幸いした。
「精巣に腫瘍がある場合、99%は悪性です」
翌日、上野にある泌尿器科クリニックを受診すると、エコー検査していた医師の顔色が怪しくなってきた。そして「ちょっとここではわからないですね」と言った。
思い切って医師に、「最悪の場合、がんですか」と尋ねてみた。
「ハッキリしたことはわからないけど、もしかしたら精巣腫瘍の可能性もなきにしもあらず、ですね」と応え、逆に「翌日も休めますか」と訊いてきた。
それを聞いて「これは、やっぱりがんかも知れない」とある程度覚悟した。
帰宅後、夏帆さんに「もしかしたら精巣がんかも知れない」と告げる。
「彼女はショックだったと思いますが、まだそのとき私は28歳でしたし、実感がなかったのだと思います。私も妻も周りでがんに罹った人はいなくて、そのときはがんと聞いても実感がわかず、正直、対岸の火事くらいにしか思っていませんでした」
翌日、クリニックの医師から紹介された関東中央病院を受診し、朝の8時半か9時から血液、尿、CT、触診、問診などの検査が昼過ぎまで続いた。
しかし、午前中に医師に呼び出され、「腫瘍があることは間違いないのですが、悪性か良性かはわかりません。しかし、精巣にある場合、99%は悪性です。精巣腫瘍の場合、本人が気づくのが遅く、ステージⅠ、Ⅱくらいでは気づかないことがよくあります。ステージⅢくらいになってなんとなく睾丸の大きさが変わってきたとか、痛みなどで気づくことが多くて、その頃には転移して発見されます」と告げられた。
中村さんは仕事中の夏帆さんに電話を入れ、「やはりがんの可能性が高い」と告げ、なんとか気持ちを落ち着かせようとするのだが、これからどうなるのだろうかという不安感は増すばかりだった。
術後化学療法を行う前に不妊治療を
担当医から「金曜日に入院して、翌月曜日に摘出手術をするのでそのつもりでいてください」と告げられ、「あまりの展開の速さに気持ちがついて行けず、本当に死ぬのかと思いました」と振り返る。
夏帆さんの帰宅を待って、生命保険や今後のことなどを話し合った。というのもこれまで保険や金融のことは妻から任されていたので、夏帆さんにこれまでの保険の情報などを伝え、慌ただしく金曜日に入院、翌月曜日に摘出手術を行った。
手術時間は約3時間だった。摘出手術の結果、ステージⅠc、非セミノーマ(非精上皮脾腫)型だった。
入院は1週間で、その後は経過観察となった。
2~3週間後、経過観察のための検査に病院に行くと、主治医から「医学的見地から言えば、がん細胞が体内に残っている可能性は否定できません。ですから、再発・転移防止の観点から抗がん薬治療を6:4の割合でお勧めしますが、副作用のこともありますので、中村さんにその判断はお任せします」と言われた。
「大事を取ることにこしたことはないので、10月に抗がん薬治療を開始するため、会社を休むことにしました。抗がん薬治療を受けるにあたって、子どもをつくるかどうか妻と話し合いを持ちました。抗がん薬治療をすると子どもが出来づらくなると言われていたので、抗がん薬治療を受ける前に不妊治療をしました。私はもともと精子の数が少なく、子どもが出来づらい体質だったことがこの病でわかったので、別の大学病院で残った右の睾丸にメスを入れ、精子を採取して凍結保存しました」
副作用は本当につらかった
不妊治療の術後経過は良好だったので、11月中旬からBEP療法(ブレオマイシン+エトポシド+シスプラチン)を始めることになった。
しかし、副作用がひどく「二度と経験したくないというくらいつらかった」と中村さん。
「事前に主治医から副作用については聞かされていましたが、これまで自分の中でどれだけしんどいかという物差しがなかったので、本当のつらさがわからなかったのです。脱毛、嘔吐、頭痛、39度の発熱などがありました。またシスプラチンは腎臓に負担がかかるので、体外に排出するために水分をたくさん摂らなければいけなくて、トイレに1日15回ぐらい行きました。私はまだ30年の経験しかありませんが、これまでの人生で1番しんどくて、これからも決して経験したくないことのナンバーワンの体験でした」
その抗がん薬治療は2週間続いた。その後、減少した白血球が正常に戻るスピードが普通の人より遅かったため、白血球を増やすG-CSF製剤の注射を7回くらい通院で行った。
「12月の第1週目までは白血球を増やす注射をやって、12月中旬から2カ月に1度、血液検査、CT検査を行うために通院していましたが、昨年の11月から3カ月に1度の検査通院になりました。会社は不妊手術や抗がん薬治療を含めて、年内一杯は休職しました」
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