承認直後の薬が劇的に効果を発揮! 若きジャズダンサーが4期のALK陽性肺腺がんに

取材・文●髙橋良典
写真提供●山﨑未友季
発行:2023年5月
更新:2023年5月

  

山﨑未友季さん ジャズダンサー

やまざき みゆき 1987年名古屋市生まれ。2010年名古屋芸術大学音楽学部音楽文化創造学科ミュージカルコース卒業。2011年よりDance Studio SWING BEATメインインストラクターとしてクラスを持ち年に1度の劇場公演の企画・運営に携わる。現在、年間300以上のレッスンを請け負っている

ジャズダンサーの山﨑未友季さんは公演を前に咳が止まらなくなり、クリニックを受診する。喘息と診断され、薬を処方されるが、症状は一向に収まらない。そんなある日、血痰が出て再びクリニックを受診。レントゲン検査後、がんセンターを紹介され、そこで肺腺がんと診断される。

まだ若く煙草も吸わない私がどうしてと納得がいかなかったが、主治医のひと言に救われる。承認されたばかりの分子標的薬が劇的に効き、再び舞台に立つことができるようになった山﨑さんにいまの気持ちを訊いた。

咳が続いて血痰も

ジャズダンサーで、名古屋市千種区にあるダンス教室「Dance Studio SWING BEAT」でインストラクターを務める山﨑未友季さん。2021年夏ころから急に咳が出始め、止まらなくなり近所のクリニックを受診する。

そこでは〝喘息〟と診断され、薬を処方された。しかし、薬を飲んでも一向に咳が止まらない。それでも、自分の症状に診断名の喘息以外の疑いを持つことはなかった。

「ちょうどその頃、自分が主宰している団体のダンス公演が控えていて、自分の体調にそれほど気を配ることはできていませんでした」

公演が成功裏に終了した11月初旬、咳き込んだときに出た痰の中に血が混じっていることに気づいた。

「これはどうなの?」と疑念が頭をもたげ、再びクリニックを受診して医師に血痰が出たことを訴えた。それでレントゲンを撮ったところ、左胸になんとなく靄がかかっている箇所が見つかった。そこで初めて医師から、「年齢を考慮しないのであれば、がんの可能性があります」と告げられた。

「さすがにこれはおかしいと思っていたので、やはりそうか……と思いました」

山﨑さん34歳のときのことだ。

2021年10月31日、がんと診断される直前のダンス公演で(前列右から2番目)

11月9日、改めて胸部CT検査を行った。その2日後の11日の早朝、急に胸が苦しくなり救急車で病院に運ばれたが、程なくして回復した。翌12日に、クリニックから紹介されたがんセンターを受診して、改めて精密検査をすることになった。

前日に胸が苦しくなった原因は、肺に水が溜まっていたためで、胸水穿刺(きょうすいせんし)で水を抜く処置をした。

脳転移の有無を調べるMRI検査も必要だったが、そのがんセンターにはMRIはなく、別の病院に行ってMRI検査を行うことになった。その結果、脳に10カ所の転移が見つかり、ガンマナイフで治療することになった。ところが、治療を始めると腫瘍は15カ所あることがわかり、そのすべてにガンマナイフを照射した。

ガンマナイフは約200個の線源(コバルト60)から出るガンマ線を用いて病巣部に照射する放射線治療で、開頭手術を行わなくても脳内の腫瘍を周囲の正常な細胞にほとんど影響を与えず、まるでナイフで切り取るように治療できるためそう名付けられた治療法である。

ガンマナイフ治療後。ロングヘアを頭の高い位置でふたつ結びをしてもらう

ALK陽性肺腺がんと診断される

ガンマナイフの治療を受けた病院を11月19日に退院。22日に改めてがんセンターを受診し、PET-CT検査や遺伝子検査を行った結果、山﨑さんはALK陽性肺腺がんと診断された。さらに腰椎と左座骨に骨転移があった。

山﨑さんは主治医から肺がんと告げられたとき、自分はすごく健康体だし、喫煙もしてないのに肺がんなんかになるはずはないと思った。肺がんはヘビースモーカーがなるものと思っていた、まして若い自分が肺がんなどなるはずないと思い込んでいたからだ。

主治医から告げられたALK陽性肺がんとは、ALK融合遺伝子変異が原因の肺がんで、とくに腺がんに多く見られる。また喫煙者より非喫煙者に多い傾向があると説明を受け、やっと自分が肺がんであることを受け入れることができた。

また遠隔転移もありステージでいえば4なのだが、「治療法がはっきり確立しているALK陽性肺腺がんの場合、あまりそういう言い方はしない」と主治医から教えられた。

がんと告げられた当初は身近にがん経験者があまりいなくて、乳がんで乳房を摘出した女性はいるにはいたが、その方が元気だったこともあって、そんなには恐怖心を抱くことはなかった、という。

「とにかく、あれよ、あれよという展開でことが進んでいくので、自分ががんなのだと実感する間がなかったからかもしれません。それに、主治医は飄々(ひょうひょう)とした先生で、あまり深刻な表情で話されたりしなかったので、私もこの先生の言う通りにしてればいいのだと思い、あまり深刻にならずにすんだのかもしれません」

ところが時間が経つにつれ、自分はがんなのだと改めて実感するようになり、もう踊れないかもしれないと思ったりして、不安な気持ちになったという。

そんなとき、主治医からは「治療に使う薬は飲み薬だから、踊ることは可能だよ」と言ってもらい、〝上手にやれば続けられるかもしれない〟と気持ちが揺れ動いた。

「離れて暮らしている両親や妹には大変心配をかけました。家族は、がんはTVドラマなどではひどい話ばかりのイメージがあるので、若くて肺がんになるなんて、すぐにでも死んじゃうんじゃないか、と思ったみたいです。私は主治医から『ALK陽性肺がんには、こういう治療法があるので大丈夫だよ』と聞かされていたので、両親や妹よりは幾分冷静でいられました」

山﨑さんはその年(2021年)12月にダンスの公演を行うことになっていた。その公演をどうするかずっと考えていたが、この事態では中止せざるを得なかった。

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