妹を乳がんで失って 検診の大切さを知り早期発見につながる

取材・文●髙橋良典
写真提供●橋本千裕
発行:2023年7月
更新:2023年7月

  

橋本千裕さん アロマ占星術家/ホロスコープセラピスト

はしもと ちひろ 東京都練馬区生まれ。アパレル会社退社後、1999年に東京目白でリラクセーションサロンを設立。アロマテラピー資格取得後、2001年にアロマセラピースクールを設立。アロマレシピの考案や整形外科でのメディカルアロマなどアロマセラピスト、講師として活動する。また、2003年よりアロマ占星術家/ホロスコープセラピストとしても活動。ホロスコープの対面鑑定、オンライン鑑定、メール鑑定、またホロスコープや月のリズムのレッスンなどを行っている

女性のがん罹患数のトップは乳がんだが、40~69歳までの乳がん検診率は全国で47.4%(2019年)と半数に達していない。妹さんを若くして乳がんで亡くした橋本千裕さんは、乳がん検診の大切さを知ったことで自身の乳がんを早期に発見することができた。

現在アロマ占星術家/ホロスコープセラピストとして活動する橋本さんは、相談者らに乳がんを早期発見するために、乳がん検診の大切さを話して感謝されているという。橋本さんにその思いを訊いた——。

妹を乳がんで失って

アロマテラピーと占星術

東京・目白のサロンでアロマ占星術家/ホロスコープセラピストとして活動している橋本千裕さんは、いまから8年前に3歳違いの妹さんを乳がんで亡くしていた。

妹さんが乳がんの告知を受けたときにはすでに他臓器に転移していて、緩和ケアしかない状態だった。骨が痛いと病院に行ったのだが、それは乳がんが骨転移して出た痛みだったのだ。彼女はそれまで乳がん検診を1度も受けたことはなかったという。

そんな不幸なことがあったため、橋本さんは改めてがん検診の大切さを実感した。

「私は自治体が行っている2年に1度の乳がん検診は受けていましたが、自分でしこりがあるかどうかセルフチェックするといったことまでは気を使っていませんでした」

橋本さんは乳がん検診で、右胸にしこりがあることに気づいた。妹さんが亡くなって3年後の2018年のことだった。

検査でそのしこりは「乳腺が発達したもので、腫瘍ではない」と診断された。ところが、医師から思いがけなく「反対側の左胸に、少し気になる箇所がある」と言われた。

「『その箇所に水が溜まって組織が少し大きくなっていているので、経過観察を続けましょう』と言われました」

経過観察2年目、乳がん告知を受ける

経過観察を続けて2年目の2020年11月に組織検査を行なったとき、左胸は乳がんと診断された。正式に乳がんの告知を受けたのは翌12月のことだった。

「経過観察を続けていたため、発見されたとき腫瘍の大きさは1㎝弱で、ステージは1でした。いまでも忘れられないのですが、告知を受けた日は、診察まですごく待たされ、その日の乳がん告知は私で5人目だったそうです。だから乳がんになる方が本当に多いのだな、と実感しました」

乳がんと告知を受けて、どうだったのだろうか。

「やっぱり、というか、とうとう来たか、という気持ちでした。ただ、そのときは遺伝性乳がんについての知識はまったくなかったのですが、若くして妹も乳がんで亡くなっているし、そういう家系なのかな、とも思いました。ただ、経過観察を続けていたので、ステージ1程度で済んだのでよかったなと思いました」

告知されてから手術までの間に主治医から乳がんには色々な種類があり、再発リスクを抑えるためにさまざまな治療法があることも聞かされた。

「当時は手術が終われば乳がんから解放されると思っていたのですが、再発のリスクや転移の問題のことも考えなくていけないのだ、と知らされました。ですから早く手術をして、次の段階に進まなくてはいけないと思いました」

入院する前はコロナ禍の真っ最中で、「主治医が濃厚接触者になってしまったので、検査日や手術日がずれるかもしれません。橋本さんもコロナに感染したら手術は延期になります」と言われた。

腫瘍はそんなに大きくないので、「手術を急がなくてもいいかな」と思ったりしたが、幸いにもコロナに感染していなくて、翌2021年1月に国際医療福祉大学三田病院で左胸の部分切除の手術を行った。入院期間は1週間ほどだった。

病院の窓からは富士山や東京タワーが見えた

切除した箇所からの出血が止まらない

入院期間が通常の日数より少し長くなったのは術後、手術した箇所からの出血がなかなか止まらなかったからだ。

出血がやっと収まって退院したのだが、その後も出血は少しだが続いていた。

「何かあったら、救急車で病院に駆けつけてください」と、主治医から毎日20日間くらい連絡が入って来るような状態だった。

橋本さんの乳がんはホルモン受容体陽性、HER2陽性だった。

「『腫瘍が小さかったので抗がん薬治療はやらなくていいけど、術後に放射線治療はやりましょう』と言われました。私の乳がんは、いろんな治療法があるトリプルポジティブというタイプで、『もし再発しても、さまざまな治療法があるのでまずは安心してください』と言われました」

放射線治療の1年後に副作用が

術後ホルモン治療が始まり、体調が落ちついてから放射線治療に移ることになるのだが、ここでも問題があった。

「放射線治療は病床数が200床以上ある病院でしかできないそうで、三田病院から別の病院を2つ紹介されました。ところがその1つでクラスターが発生したため、もう1つの都立大久保病院で受けることになりました。女優の岡江久美子さんが、乳がん手術後の放射線治療中にコロナに感染して亡くなったと報道された時期と重なったこともあり、コロナ禍では、病院も患者も振り回されて、とにかく気が休まる暇がありませんでした」

橋本さんは放射線治療が始まる前、主治医から「どんな種類のがん保険に加入していますか」と尋ねられた。

「がん保険によっては14日間の放射線治療で保険が下りる場合と、30日間のコースでしか下りない場合とがあることを知りました。私は14日間で保険が下りる保険に加入していましたので幸いでしたが、それでも14日間毎日病院に通わなくてはいけないのか、とも思いました」

では、放射線治療での副作用はどうだったのだろうか。

「放射線治療を受ける前に、主治医から副作用についての説明がありました。その中で肺炎になる可能性があると言われたのですが、放射線治療が終わって1年後に熱が出て体調が悪くなったので、CT検査をすると肺炎になっていました。ちょうどコロナワクチンを接種した後だったので、その副反応で熱が出たのかと思っていたら肺炎になっていて、放射線治療は1年後でも副作用が出ることに少し驚きました」

放射線治療に先立って行われたホルモン治療についてはどうなのか。

「ホルモン治療はタモキシフェンという薬を現在も飲んでいるのですが、主治医の説明では副作用として子宮体がんのリスクが上がるということを聞いていました。タモキシフェンを飲み始めて1年くらい経った頃に不正出血があり、検査しに病院に行きました。結果は陰性だったのですが、まだ出血が続いているので、現在も経過観察中で、4カ月に1度検査で病院に通っています。だから副作用っていろいろあるんだな、と思いました」

肺炎の症状が落ち着いてきた頃に主治医から、「妹さんが乳がんで亡くなっているので、橋本さんは遺伝性乳がんのリスクがあるので検査をしませんか」と訊かれた。

「そこで初めて遺伝性乳がんの存在を知りました。そして、遺伝性乳がんは卵巣がんになるリスクが高いということも聞きました」

主治医が橋本さんに話す1年前(2020年)から、遺伝性乳がんのBRCA遺伝子検査は保険適用になっていた。

「アメリカに検体を送って結果を待っている間、もしも陽性ならアンジェリーナ・ジョリーのように乳房を全摘して、卵巣も取る覚悟をしていましたが、結果は陰性でした」

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