自分が作ったご当地ヒーロー映画「超辛グランマサラー」製作中 大腸がんに罹患して「やろうと思ったらとにかくやろう」

取材・文●髙橋良典
写真提供●宮沢 天
発行:2023年10月
更新:2023年10月

  

宮沢 天さん 俳優

みやざわ てん 1968年和歌山県生まれ。明治大学文学部演劇学専攻卒業後、声優・俳優として活動を開始する。2011年千葉テレビのヒーロー番組「鳳神ヤツルギ」に準主役として2013年3月まで出演。2015年から地元調布市でオリジナルヒーロー「超辛グランマサラー」として活動を始める。2020年12月S状結腸がんが見つかり翌年1月手術。ステージⅢと診断。現在、自身が主演・監督・総指揮の「超辛グランマサラー」の映画製作中。出演作品は中国中央電視台「東方戦場」など多数

地元・東京調布市で自ら企画・制作したオリジナル特撮ヒーロー「超辛グランマサラー」として活動している俳優の宮沢天さん。ご当地ヒーロー活動を始めて5年目の2020年12月、大腸にがんが見つかった。

がんに罹ったことで、これまで何かと理由をつけて先延ばしにしていたことを全部やろうと決断した。その手始めに、来年公開予定の「超辛グランマサラー」を主役とした映画製作を始めている。

「内視鏡が奥まで入らない」

地元・調布市でオリジナル特撮ヒーロー「超辛グランマサラー」として2015年から活動を続けている俳優の宮沢天さん。ご当地ヒーローとしての変身を始めて5年が過ぎた2020年12月、大腸がんと診断された。

実は、その年の5月ころから食後、ひどい腹痛が1時間くらい起こる日が続いていた。

「そのときには何か悪いものでも食べたかな、くらいに考えていました。ただそのとき出た便はすごく細かったですね」

家族や友人にそのことを話すと、「そんな状態が続いているなら1度、人間ドックを受診してみてみたら」と勧められ、7月に人間ドックを受診した。

すると、思っても見なかった「心臓に影がある」という検査結果が出たのだ。ただ、検査結果のなかに「便の中に血が混じっている」という記載もあったのだが、心臓に影があることが心配なあまり、便に血が混じっていることは後回しにし、心臓カテーテル検査のため10月に入院。検査の結果、心臓には別段、異常はないことが判明してひと安心した。

心臓がなんともないとわかったので、12月に入って近所のクリニックで大腸の内視鏡検査を受けることにした。

モニターを見ながら内視鏡を入れていた医師に、「S状結腸に大きい腫瘍があって、内視鏡がそれ以上入らない。いま見えているだけでも腫瘍の大きさはステージⅢくらいありそうだけど、その先がどうなっているのかサッパリわからない。杏林大学病院に紹介状を書くので、出来るだけ早く受診してください」と言われた。

それまで大腸に腫瘍があるなど思っても見なかったので、医師の言葉は青天の霹靂だった。

「よく頭が真っ白になるとか言いますが、そこまでではなかったものの、ワッーといった声にならない感情が湧いてきました。ああ、5月頃に起こっていた腹痛の原因はこれだったのかと思い至りました」

S状結腸がんステージⅢと診断される

2日後、杏林大学医学部付属病院消化器内科を受診。血液検査、内視鏡検査、CT検査を受けた。

検査を担当した医師は宮沢さんに、「がんであることは間違いない。腸に内容物が詰まっていて、腸管が相当細くなっています。このままだといつ腸閉塞を起こしてもおかしくない症状です。出来るだけ早い段階で入院して手術に備えるか、年末なので年明けに入院するか、どうしますか」と問いかけ、こう続けた。

「年明け入院となると、その間に何か起こったときには緊急手術になります。そのときは、ほぼ間違いなく人工肛門になることを覚悟しておいてください」

俳優業の宮沢さんにとって「人工肛門になったら仕事も相当制限されてしまうし、日常生活にも支障がでるだろう。なら年内に入院するしかない」と決断して、12月19日に入院。

そして年が明けた2021年1月4日に腹腔鏡手術を行った。手術時間は5時間で、切除したS状結腸は10㎝くらい。病理検査の結果、S状結腸がんステージⅢと診断された。

主治医からは「リンパ節にも転移はなく、腫瘍もきれいに切除できたので、術後はこのまま経過観察をしましょう」と言われ、1月14日に退院した。

現在は、術後化学療法を行うことなく3カ月に1度、血液検査やCT検査などの定期検診を受けている。

年間500食たべたこともあるカレー好き

術後、主治医から今後の食生活について「あまり刺激物を摂らないように」と注意を受け、今はカレーを食べるペースを週2~3回にセーブしている。

実は、宮沢さんは多いときには年間500食も食べたことがあるほどのカレー好き。

宮沢さん自身はS状結腸がんになった原因をこう分析している。

「辛いカレーが特別に好きというわけではないのですが、調布市で激辛のイベントがあり、そのイベントに乗っかってある時期、辛いものばかり食べていたことがありました。知り合いの医者から、カレーばかり食べているから大腸がんになったのだと言われましたね。確かに刺激物を常に摂っていたのは間違いありません。また、コンビニなんかにある加工肉を好んで食べてもいましたので、概ね大腸がんになりそうな食生活だったことは間違いありません」

また手術後の後遺症についてはこう話す。

「腸を10㎝も切除したことで、水分を摂りすぎるとものすごい下痢になって止まらなくなります。ですから撮影の前は水分も最小限、食事もできるだけ摂らないようにしています」

東日本大震災をきっかけに 地元に何か貢献できることを

高校生のとき和歌山城で「暴れん坊将軍」のロケを見たのがきっかけで俳優の道に

和歌山県出身の宮沢さんが俳優の道を志そうと思ったのは、高校生の演劇部の仲間と和歌山城で「暴れん坊将軍」のロケを見たことがきっかけだった。そして高校卒業後、明治大学文学部演劇学専攻に入学する。

「でも、そこは演劇学を学ぶところで、実技を学ぶところではないことを知りませんでした。それで、声優事務所の養成所にも入りました」

大学卒業後は本格的に俳優の道を目指すのだが、回ってくるのは地味な脇役ばかり。バイトを掛け持ちしながら生活を続けていくのがやっとだったが、夢は捨てなかった。

「ヒーローはカッコイイ人がやるもので、自分は違うというのは最初の頃からありました。ですから、陰で誰かを助ける役を演じてみたいと思っていました」

その後、宮沢さんは2010年10月、千葉テレビ制作のヒーロー番組「鳳神ヤツルギ」のオーデションで準主役を射止めた。カレー屋を営む元ヒーローが、主人公がピンチに陥ったとき助けていくという長年願っていた役に巡り合えた。「鳳神ヤツルギ」は2011年4月からの放映予定で、2010年12月から撮影が開始された。

ところが放送直前の2011年3月11日、東日本大震災が襲ってきた。

「そのとき、武蔵府中の税務署で確定申告をしていました。その最中に地震が襲ってきたわけです。しばらくは動けませんでしたし、落ち着いて外に出てみると、甲州街道は自動車で一杯、電車はすべて止まっているといった状態でした。ですから、府中から自宅のある国領に歩いて帰ることにしました」

「歩きだしてみると、歩道はもちろん車道も人で一杯、歩くこともままなりません。丁度、調布駅前まで来たとき、駅前の商店の方々が炊き出しをやっていました。あたりも暗くなって気持ちも心細くなり始めた頃だったので、商店街の方々の厚意に胸が熱くなりました。

その後、計画停電などがあり、地元の人たちが大変な思いをしていることなどを互いに話し合うことが増えました。そして自然と地元に対する愛着が湧いて来たのです。

ショーも中止になったりしていたので、何かやりたいとは思ったのですが、如何せん資金もなければ、自分たちの生活もあったので、2013年くらいまでは悶々とした生活を送っていました。千葉では何かやっている。それを見て何か地元でも同じようにやれないだろうか、と考えるようになりました」

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