がんや義足のことを知って欲しいと情報発信を続ける 希少がんの悪性軟部腫瘍の再発で義足に

取材・文●髙橋良典
写真提供●川口塔子
発行:2023年12月
更新:2023年12月

  

川口塔子さん 知覧茶コーディネーター

かわぐち とうこ 1990年鹿児島県鹿児島市生まれ。都内で鹿児島県専属の移住相談員として働くうちに鹿児島の特産品である知覧茶の魅力を再認識。2017年4月、日本一の茶の生産地である鹿児島県南九州市に移住。地域おこし協力隊として活動中の2017年9月、左大腿部にステージⅢの悪性軟部腫瘍が見つかる。2019年に社会復帰後、「知覧茶コーディネーター」としてお茶に関するPR、ブランディング、商品開発等の支援を行う。2022年8月、再発。同年9月に左足を大腿部から切断、義足での生活となる

鹿児島のお茶を全国に広めたいと南九州市に移住した川口塔子さん。移住して5カ月後に希少がん悪性軟部腫瘍が見つかった。陽子線治療を行い一時は寛解したかに見えたが、5年後に再発。左足を大腿部から切断し、義足生活が始まる。現在、「知覧茶コーディネーター」として活動する傍ら、自らの病いや義足について発信を続けている。

左足大腿部が右足の1.5倍に腫れて

鹿児島県南九州市で知覧茶コーディネーターとして活動している川口塔子さん。

当時、地域で和太鼓の活動をしていて、そのメンバーから「左足が腫れてない?」と声をかけられた。そう言われるまで、自分の足の異変にはまったく気づいていなかった。2017年9月のことだ。

帰宅して左足をよく見ると、膝裏から大腿部にかけて右足と比べて1.5倍くらい腫れている。痛みもなかったし、日常はパンツスタイルで過ごしていたので、自分ではまったく気づかなかった。それになぜそこが腫れているのかもわからない。取り敢えず整形外科で診てもらおうと、知人の紹介もあって翌日、隣町の整形外科専門病院を受診した。

たまたま、鹿児島大学病院から派遣されていた整形外科医の診察を受け、CTとMRI検査を行なったが、自分の足にがんができていることなど想像もしてなかった。

しかし、診察した医師から「ちょうど週末に鹿児島大学病院から悪性軟部腫瘍の権威の先生が回診に見えるので、診断を仰いでみたらどうか」と提案された。

悪性軟部腫瘍の診断が

金曜日に再び病院を訪れたとき、悪性軟部腫瘍の専門医から「これは間違いなく悪性軟部腫瘍である」と告げられることになる。

悪性軟部腫瘍とは、全身の軟部組織(筋肉、脂肪、神経など)から発生する腫瘍で、手や足、胴体などさまざまな部位に発生する。多くは痛みのないしこりや腫れが見られる。

「治療は、左足を切断せず温存することもできます」と言われてもいた。

だが、「悪性軟部腫瘍の治療法のガイドラインでは切断することがベストで、切断すれば再発率はゼロになる」ことも併せて医師から伝えられた。

「その後、現在の主治医の女性の医師に診ていただくことになるのですが、その医師からも『温存するよりも切断したほうが、運動性も機能性も上がる』というお話も伺いました」

「また、主治医から『切断がベストと言うものの、多くの患者さんを診てきて切断を受け入れる患者さんばかりではないこともわかっています。ですが温存もできなくはないが非常に難しい。そもそも抗がん薬が本当に効果があるかわからない。使用した患者さんの1/3しか効果が認められない。だから一か八かだけどやってみますか』という選択を迫られてもいました」

当時、川口さんは左足を切断するというイメージは全く湧かなくて、迷うことなく温存することを選択するのだが、主治医からさらに畳みかけてこう尋ねられた。

「薬が効かないかもしれないし、効かなかった場合2番手の薬もあるけど、その薬もおそらく効かないでしょう。その場合は切断するしかなくなるが、それでもやりますか」

当時、ごくごく普通の生活していた川口さんはいまほど精神的に強くなくて、初診の段階では、医師の話を聞きながらしばしば涙を流していたという。

「初診から治療が始まるまで1カ月くらい空いたことで、その間に腫瘍が大きくなり筋肉を圧迫し始めて痛みが出てきました。ですから引きずり歩きしかできなかったので、車椅子に乗って院内を移動していました」

陽子線治療を受けるかセカンドオピニオンを受ける

抗がん薬治療中の川口さん

まず化学療法は、細胞障害性抗がん薬のドキソルビシン+イホマイドの併用療法を6クール行うことになった。

「これらは抗がん薬のなかでも比較的強いと言われている薬で、髪の毛がゴソッと抜けることは聞いていました。薬は1週間かけて点滴で投与していく方法で、それを1カ月ごとのサイクルを組んで行いました」

しかし、最初の3クールは全く効果が認められず、もうこの併用療法ではダメかと思われたのだが、あと3クール続けたところ、一気に効果が出て腫瘍が縮小してきた。

しかし、手術するにはまだまだ大き過ぎたので、放射線治療で腫瘍を小さくした後、手術を行う治療計画になっていた。

抗がん薬治療を終えたあと、放射線治療を受けるため放射線治療医の診察を受けた。

「医師が私のカルテを見て、『本当にこの手術を受けるのですか。相当に大変な手術になりますよ。私なら陽子線治療を勧めます』と言ってくれました」

そんな選択肢もあるのか、と川口さんは大いに迷うことになる。

陽子線治療の説明を聞いてから判断しようと、指宿にあるメディポリス国際陽子線治療センターの医師から説明を受けた。その医師にセカンドオピニオンとして国立がん研究センター中央病院の医師の判断を仰ぐことを伝えた。

すると医師に「この国では手術第一主義なので、ガイドラインに沿って手術を勧めてくると思います。陽子線治療を1番には勧めないでしょう。ですからそれを聞いてきてください。その上で川口さんが選択したらいいでしょう」と言われた。

「セカンドオピニオンは陽子線の先生が言われた通りでした。ただ、持参した主治医が作成した手術式などが示してある資料を見せたところ『あなたの主治医は素晴らしい。信頼できる主治医に診てもらっているのですね』と言われ私の主治医に対するお墨付きを貰って帰ってきたようなものでした」

主治医に背中を押してもらい陽子線治療を選択

川口さんは主治医にじっくり話す機会を設けてもらい、こう切り出した。

「いま私としては陽子線治療に気持ちが傾いていますが、正直迷っています。すると主治医は『医師としてはエビデンス重視なので、陽子線治療を受けたらいいとはどうしても言えません。なぜなら、川口さんのがんで陽子線治療を受けた患者さんはほぼいないからです。後遺症を少なくするという意味ではおそらくいい選択になると思う。ですから医師としては勧められないけど、友だちなら行っておいでよ、と多分言うと思う。あなたの選択が5年後、10年後にはスタンダードになる可能性もないわけではない』と、強く背中を押してもらいました」

それでメディポリス国際陽子線治療センターで陽子線治療を受けることを決断した。

「タイミングがすごく良くて、手術に代わる医療として陽子線治療を受けるということを主治医が一筆書けば保険適用になるというタイミングでした。2018年4月から私のがんが保険適用になったからです」

3月に鹿児島大学病院を退院し、南九州市に戻った川口さんは2018年4月から自分で車を運転し、1カ月半ほぼ毎日、メディポリス国際陽子線治療センターで治療を受けた。

「陽子線治療は痛みのない治療とはいうものの、陽子線照射を受けることによって火傷の副作用が起きることがあり、そのケアには相当苦労しました。また筋肉の強張りが出てきて、徐々に正座することができなくなりました。陽子線治療は照射が終了した日から効果が出てくるので、そこから経過観察が始まりました。日常生活に戻るという意味ではそこからがスタートになりました。経過観察中に腫瘍が大きくなっていなければ、効果があったということになります」

2018年陽子線治療保険適用=小児がん(2016年)・骨軟部腫瘍・頭頸部がん・前立腺がん

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